後編
一応これにて本編は完結です。
精霊が姿を消すと同時に、魔力を吸い取られる感覚から解放される。長年恐れ続けてきた自身に降りかかる冤罪を、無事晴らす事ができた安堵もあってか、私は気が抜けたようにふらふらとその場に膝をついた。
「ルイーズ!大丈夫か!?」
「問題ありません、わ。少し休めば魔力は回復いたしますから…。」
「だが…!」
真剣な目をして私の身を案じてくださる殿下。とはいえ、私にはまだ事態が飲み込めていなくて。
「…あの、殿下?なぜ私の事を心配してくださるのですか?」
「当たり前だろう!婚約者の心配をしない男がいるわけがない。」
私の問いに、何を今更と言わんばかりに殿下が答える。
「いえ、ですから、私との婚約は破棄なさるのでしょう?」
「は!?」
「先ほどそうおっしゃったではありませんか。あちらのシェリル様と改めて婚約を結ばれるのですわよね?」
私が壇上で立ち竦んだままの彼女を目で示すと、殿下は慌てた様子で私の両肩を掴んだ。
「そ、そんなわけないだろう!私の婚約者は後にも先にも君だけだ!」
「え?ですが…。」
「あれは芝居だ!事情は後で話すが、私は君との婚約を破棄などしない!そもそもあの娘と婚約するなんて一言も言っていないだろう!」
「芝居…?」
あら?彼女と婚約するって言ってなかったかしら?
確かゲームではそうだったはずなのだけれど…。
私は首を傾げて先ほどの殿下の言葉を思い出す。
『クレイトン侯爵家令嬢――ルイーズ・クレイトン!君のシェリル嬢へのこれまでの行い、もはや看過する事はできない!よって君との婚約は、今この時をもって破棄させてもらう!』
…確かに、破棄は宣言していたけれど、シェリル様との婚約には言及していないわね。
「ではその事情というのは?」
「それは…。」
言い難そうに殿下が言葉を濁す。
その時――
「ルイーズ・クレイトン嬢。見事であった。」
「さすがルイーズちゃんだわ。」
そんな明るい声と共に、ホールの入り口に人影が現れた。その声の主が誰なのか、分からないはずもない。この国で最も尊い立場の人物であり、幼い頃からずっとよくしていただいた方々なのだから。
「へ、陛下。王妃殿下。」
私が反射的に礼を取ると、周りの生徒達も一斉に頭を垂れた。そんな彼らに「楽にせよ」と言いながら、二人はこちらに歩みを進める。当然ながらその後には護衛の騎士が数名付き従っていた。
…えぇと、何かしら?この展開は。
ゲームにはなかった状況に、更なる混乱に陥りつつ、とにもかくにも目の前に立ち止まった陛下と王妃殿下に問いかけた。
「このような場所に出向かれるとは、一体どうなさったのですか?」
「勿論この事態を見届ける為だとも。」
「はい?」
「我が息子ながら、カーレルが少々可哀想になってな。ひとつ、情状酌量を願いに参ったのだよ。」
「は、はあ。」
陛下の言葉に私が首を傾げると、王妃殿下が助け船を出すように言葉を繋いだ。
「二人はこの学園を卒業したら婚姻を結ぶ事になっているでしょう?」
「…はい。破棄がなければそうなる予定でしたが…。」
困惑交じりの私の言葉に、隣にいた殿下が慌てて口を挟む。
「ルイーズ!私は君との婚約を破棄などしない!だから先ほどのは全て芝居だと…!」
「…というわけで、まあ、二人は予定通り結婚するのよ。そうなると、ルイーズちゃんの王子妃教育の成果を見せてもらわないといけなかったの。」
言い募る殿下を窘めるように押し退けて、王妃殿下が扇で口許を隠しながら微笑む。
「成果…ですか。」
…なんとなく、意図が読めてきた気がする。
「簡単に言うと、卒業試験ってところかしら。危機に陥った場合の立ち回り方、考え方…総合的な心の強さを見るという事よ。これから王家の一員となれば、様々な場面でそういったものが必要になるから。」
王妃殿下の言葉に私は内心納得した。確かに今後王家に入れば国内外からの軋轢に晒される。生半可な精神では生きていけないだろう。いざという時に、動揺せず最善を尽くせるだけの強さが必要となる。
「だからまあ何かルイーズちゃんを試す場が必要だったわけなんだけど、何しろルイーズちゃん優秀だから。」
てへ☆という効果音が聞こえそうな程のいい笑顔で、王妃殿下が小首を傾げる。
「…はい?」
「全然なかったのよ。付け入る隙がね?勉強も運動も魔術も…誰も寄せ付けないし。生徒会活動もそつなくこなすし、生徒からも人望篤いし?」
「うむうむ。」
「…探すのに苦労したぞ。」
妙に未来の嫁贔屓な王妃殿下の発言に、ニコニコと頷く陛下。そんな二人を疲れた表情で見ながら殿下がため息を吐いた。
「唯一、君に嫌悪感を抱いているのがシェリル嬢だった。まあ、正直私としては視界にも入れたくない人種だったがな。君にその卒業試験をクリアしてもらわないと、私と君の結婚が認められないと言われたら、耐えるしかないだろう。」
顔を顰めながら殿下がそう言って、シェリルに視線を向ける。つられて目を向ければ、既に彼女とその取り巻き連中は騎士達に拘束されている所だった。
「カーレル様!どういう事ですか!?」
喚き散らすシェリルを殿下が氷のような瞳で睨み付ける。すっと私を庇うように前に立つと、口を開いた。
「今更説明が必要か?」
「…っ。」
「ありもしない罪の捏造、偽証、自作自演。何よりも、我が愛しい婚約者への非礼・侮辱の数々、許されると思ったか?」
「そんな!カーレル様!」
「黙れ!二度と私の視界に入る事は許さん!連れていけ!」
殿下の言葉に、騎士達が彼女を引きずって会場を後にする。続けて殿下はかつての級友に視線を向けた。グレン、ザキの両名は騎士に後ろ手に縛られたまま、立ち竦んでいる。どうやら二人共展開の早さに付いていけていないようだ。
「…グレン、ザキ。」
「「殿下…。」」
「そなた達には失望した。あのような娘の甘言に惑わされ、ルイーズを貶めるとはな。」
「…返す言葉もございません。どうぞ、ご処分を。」
「…合わせる顔もないっす。」
先ほどの真実に打ちのめされた様子の二人は項垂れ、その場に跪いた。
「そなた達は貴族位の剥奪を――「お待ちください。」
殿下の言葉に被せるように私は声を上げる。
「…ルイーズ?なぜ止める。」
「二人の行動の責任の一端は、殿下にもございますわ。」
「…私にか?」
心外だ、と言わんばかりに殿下が眉を顰める。だが、だからこそ私がお諌めしなければならない。私は小さく息を吸い込むと彼と真正面から対峙した。
「はい。芝居であったとはいえ、殿下がシェリル様の傍にいたのです。それを周囲で見ていた者は、殿下がシェリル様の言い分を信じていると思っても仕方がありませんわ。」
「「ルイーズ様…。」」
「勿論、彼らの心の弱さが大きな原因です。彼女の甘言に付け入られてしまったのですから。グレン様やザキ様はもっと客観的に検証を行うべきだったでしょう。ですが、彼らの行動にお墨付きを与えてしまったのは殿下です。」
私が淡々と事実を述べると、殿下がバツの悪そうな表情を浮かべた。
「はっはっはっ、さすがはルイーズ嬢だな。」
重くなった空気を吹き飛ばすかのように笑ったのは、国王陛下だった。
「父上…。」
「カーレルよ、ルイーズ嬢の言うとおりだ。そなたは自分の行動が招く影響をもっと自覚しなければならん。」
「…はい。」
「では、今回の沙汰はルイーズ嬢に任せるとしよう。」
陛下がそう言って私を振り返った。
「え、私ですか?」
「そなた以外の誰にもその権利はなかろう。」
その言葉に、周囲の面々も大きく頷いて見せた。何だろう、この有無を言わせない空気は…。
「…分かりました。」
私は諦めて深呼吸をすると彼らに向き直る。
「ではグレン様、ザキ様にはもう少し実務を学んでいただきましょうか。学園の授業の後に王城で無償奉仕をしていただくというのはどうでしょう?確か外交部門と国境警備隊が今お忙しいと風の噂で伺いましたが。」
「ああ。確かにそうだが。」
「グレン様は語学の成績がとても優れていらっしゃいますし、ザキ様も剣術については既にこの学園内では右に出る者がいないとか。お二人には自身の長所を活かせる場所で、もう一度自分を見つめ直していただきたいと思います。」
「「ルイーズ様…。」」
驚いたように顔を上げ、2人が私を見つめる。陛下や殿下も呆気にとられたような表情をしていたが、すぐに陛下が慌てて口を開いた。
「ルイーズ嬢、本当にそれだけでよいのか?そなたの名誉を傷つけられたのだぞ?」
陛下の問いかけに私は微笑んで頷く。
「構いませんわ。私は自分の名誉は自分で守ってみせますから。もしまた今回のような事が起こったとしても。何度でも。」
そんな私の言葉に、陛下も殿下も目を点にして。そして一拍後には思いきり吹き出された。
「…ふっ、はっはっはっ。さすがはルイーズじゃ。」
「本当に、見事な矜持だわ。王子妃として、申し分ないわね。」
「父上、母上…笑いごとではありません。私の立場がないではありませんか。」
「そうだなカーレル。もっと精進せねば、お前の方が見捨てられかねんぞ。」
からかうような陛下の言葉に、殿下は小さくため息を吐くと、私の前に進み出て片膝をつき、私の手を取った。そして私を真っ直ぐに見上げると口を開く。
「ルイーズ。改めて謝罪させてほしい。他に方法がなかったとはいえ、このような場で君を貶めるような発言をした事、本当にすまなかった。これから先は決して君を欺くような真似はしないと誓う。だから…どうか私と結婚してくれないか。」
思ってもみなかった殿下の言葉に、私は息を飲んだ。言葉を言い終えた彼は、手を取ったまま私の返事を待って俯いている。
知っていた物語の結末とは全く異なるこの現実に、正直まだ頭の整理が追いつかない。それでも、先程の彼の真っ直ぐな視線と声を聞けば、これだけは理解できた。
この方は今、本当に心から、私を望んでくれているのだという事。
この先の未来を、私と共に歩みたいと願ってくれているのだという事。
そして、その事をとても幸せだと感じる、自分がいる事。
それを自覚した瞬間、私は緊張で強張っていた肩の力が抜けていくのを感じた。もう無理をして、自分の気持ちを圧し殺す必要なんてない。だから。
「…はい。私も、殿下と共に生きていきたいですわ。」
そう告げて、殿下の手をそっと握り返す。はっとしたように顔を上げた彼と目が合ったその瞬間、私はこの世界でようやく、心からの笑顔を浮かべる事ができたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
後日、カーレル視点の番外編を書こうかなと思いますので、よければお付き合いください。