もうこんな所まで、マスターここであいつを殺すしかありません!
遅くなりました。
次第に大きくなる足音、何処からともなく現れた本能が『逃げろ』と命じている。
「マスター何処でもいいので身を隠して」先程までの穏やかな口調とは180度ひっくり返った荒々しい言葉遣いからどれほどの緊急事態か分かる。
僕は咄嗟に目の前にある大きな岩の後ろに隠れようとしたが時すでに遅く、後方からは鼻がさけそうなほどの荒い呼吸音がし、振り返ると少し離れた所に仲間を殺された怒りからか荒削りされた殺意を持ったオークがこちらを睨んでいる。
「もうこんな所まで、マスターここであいつを殺すしかありません!」
「そんな事言ってもどうすればいいんだよ」
戦わないといけないことは分かっているが真正面での作戦なんて微塵も考えていないし、出任せな作戦で倒せる相手ではないのは分かっている。どうにかこの場をやり過ごせれば勝機はあるのだが。
オークが当然見逃す訳もなく「ピギュゥアア」と怒りの雄叫びを上げ、二足歩行の状態から両腕を地へと付け四足歩行へと体勢を変える。右後ろ足を地面へめり込ませ何かとんでもない事をしようとしている。
「マスター、オークは突進をするためにパワーを溜めています。まともに食らうと最悪死ぬことになるので必ず避けてください!」
「プルンの力でどうにかできないの?」
プルンの硬さならどうにか出来るのではと思い聞いた。
「攻撃は防げますが突進の衝撃で飛ばされると思うので避けてください」
「分かった、覚悟を決めるよ」といつ来るか分からない突進へと神経を集中させ避ける準備をしようと足を動かそうとしたが、足は釘付けされたように動かなくなっていた。
最悪だ。僕の体はこんな状況にも関わらず戦おうとしている。
(プルンに相談している暇なんてない、考えろ考えろ考えろ、一瞬だけでいいんだ)
必死に考えても出るのは答えではなく止まることを知らない殺意だけだ。
結局解決策は出ず、ついにオークが動き出した。
「マスタータイミングを逃さないでくださいね」
「..............」
「聞いていますかマスター!」
近づく足音と高鳴る心拍音、そんな中ひとつの策が思い浮かぶ。
「一か八かやるしかない。プルン、何でもいい、切れ味の良いものに変化してくれ」
「戦うなんて馬鹿なことを考えないでください」と言いながら抵抗しながらも形が変わる。
「頼む、動いてくれ!」
僕は自分の左手の甲をプルンで切る。強い痛みを感じたが僕の体から力が抜け、主導権が戻ってきた。
戻った感覚に安堵する間もなく、紙一重で突進を避ける。
オークは勢いを止めることが出来ずそのまま木へぶつかる。
「ど、どうしてこんなことをしたのですか?!」
赤く染ったプルンの声は震えており、動揺を隠せずにいる。
「ごめん……体が奪われそうだったんだ、相談無しにこんな行動をしたのは謝るよ」
「結果としては成功ですが……今後このような事は絶対しないと約束してください!」
「うん、約束するよ」
相談をする余裕がなかったとはいえ、一か八かの行動をとったことを深く反省した。
後ろでめりめりと、弾けるような音がし、振り向く。
それは避けた事の達成感で、すっかり忘れていたオークがその背よりも倍以上高い木を根から引っこ抜いている音だった。
オークは木を肩に担ぎ、よろけながらもこちらに近付いてきている。
「プルン、避ける事ばかりでその後の事を考えていなかったんだ。どうすればいいかな」
「そうですね....あの姿から想像して今回は突進では無いと思うので私で防げると思います。戦いの中、きっと隙が生まれるはずなのでそこを突いてください」
「ありがとう、やってみる」
そう会話を交わし、プルンを五角形の盾へと変化させた。
足を止めずにじりじりと迫り来るオーク、遠目でも分かる大きさは近づくにつれて更に大きくなっているように見える。
僕は盾の取手を両手で強く握り、 腰を落とし重心を前に傾け、きっとプルンを生かせるであろう防御態勢にはいった。形を作り、あとはオークにタイミングを合わせ足をバネのように使い衝撃を和らげる、シュミレーションも完璧だ。
「マ....ー」
「マス…ー」
「マスター!!!」
プルンの呼び掛ける声で我に返ると僕の体は、先程体に伝達した命令とは打って変わった構えを取っている。
軽く曲げた足はリズムよくステップを踏み、顎を引き一点を見ている。
更には本来身を守るために使う盾を攻めのために使うのか尖っている部分をオークに向け僕の右手は掴んでいる。
何故か喋ることは出来ずプルンの呼びかけに反応することが出来ない、この理解不能の状況に混乱していると僕の体は意識とは別に走り出した。
(ま、また乗っ取られた!!)
僕の体はオークに近づくと体勢を崩すためか脛を重点的に殴打している。砂埃が舞い視界が悪くなるが、ペースは落ちず一撃一撃も正確だ。オークも負けじと木を振り回すが器用に盾を使い分け防いでいる。
腕や足、体のすべてが意識からの命令を拒否している。
目の前で戦闘が行われているが、まるで第三者の視点で見ている不思議な感覚だ。
意識はあるのに体が勝手に動く。先ほどまで意識も乗っ取られていたことを考えると、今までとは違った。
何故このような不思議なことが起きているのだろうか、乗っ取りに対する耐性が付いたのか、中途半端な腕の痛みによるものなのか原因は分からないが記憶を取り戻すチャンスだと前向きに考える。
考え事をしながらも体はひとりでに攻撃をしているが丸太のような太い足はなかなか膝を着かない。
戦闘は軽度の拮抗状態に入っていた。
僕の体は自由に動いているとはいえ、さすがに限界が近いのだろう。スピードが落ち始めているのが素人目でもわかる。
そこの変化を見抜いたのかオークは僕の胸ぐらを掴み、勢い良く引き寄せる。
右手を顔の横でグルグルと回し、舌を出しながら勝利を確信してこちらを殴る構えをした。
腕を振りかぶる。
刹那、顔が拳とぶつかる前に僕はしゃがみ、逆に勢いを使い脛に手応えのある一撃を加えた。
それによりオークは膝を着く。
背を低くしたオークに僕は腕を上げ脳天に向い振り下ろそうとしたが、オークの牙は突然発火し何事も無かったかのように立ち上がる。一旦トドメを諦め距離をとると「ピギァィィァァァ」その途端オークは叫ぶ。不気味だがどこか苦しそうなその声は、雄叫びや鳴き声ではなく、嘆きや苦しみの叫び声に近い。
傍に置いておった木を掴むが途端に燃え、即座に灰になり宙に広がる。
見るとオークの炎は掌にも現れており、球体にしてこちらに飛ばしてきた。最初の1発は避けることが出来たが、足を滑らせ2発目が左腕に直撃する。
熱さを感じたのも束の間、火は当たったと同時に消え、痛みだけが残り本来の僕へと戻る。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
皮膚は赤く腫れ、焦げ、剥がれている。
「プルン!どうしよう。手が.......!」
「盾である私がついていながら、申し訳ございません!ひとまず私がオークを引き付けますので、その間に先程の小川へ戻り冷やしてください!」
そう言い僕の手からするりと離れオークの元に単身突撃していく。
プルンが作ってくれたチャンスを無駄にする訳には行かない。プルンが心配ではあったが、交戦しているオークの注意がこちらに向かないよう、手をかばいながら小川へ戻る。
水で腕を冷やしながら元いた位置に目を向けると、プルンは燃え盛る炎に閉じ込められ、身一つ動いていない。そんなプルンにも手を緩めず、オークは火を弱めることなく攻撃を続ける。
まるで執着心の化身のようだ。
やられてしまったのではとも思ったが、オークが攻撃し続けていることを見ると、まだやられていないのかもと思う。心配で居ても立っても居られず、プルンを呼んだ。
するとプルンは瞬く間にこちらの方を向き、何事も無かったかのように向かってくる。
しかしそんな呑気な彼を見逃すわけもなく、プルンを追いかけオークもついて来ている。
「プルン、後ろを見てくれ!ついてきている!」と身振り手振りで伝えるが、「気にしないでください!」と屈託のないことを言いながら変わらず進んでいる。オークはそれほど自信があるのかプルンを捕まえもせず至近距離で火球を投げ続けている。
プルンは大丈夫と言っていたが懸念があるので、投石用の石を集めながら見守っているとある異変な事が目に映る。プルンは変わらず進んでいるが、オークはまるで壁に当たったかのように立ち止まったのだ。だが、腕だけは糸人形のように変化なく動いている。
二人の距離は徐々に広がり、ついに火球が当たらなくなるまで離れ、プルンは小川までやってきて勢いよく飛び込んだ。
「プルン大丈夫なの?それと聞きたいことが幾つかあるんだけどいいかな?」
そう問うと、プルンは「私の耐性を甘く見ないでください」と言いたげな表情で、続け様に「私の事より火傷は大丈夫ですか?それと余り時間が無いので、質問は1つだけにしてください。」と答えた。
時間もない、質問を一つだけ伝える。
「それなら、オークの変化について聞いてもいい?奴は、水辺をどうも嫌っているように見えたんだ。僕たちがここにいるのはわかってるだろうに、近づきやしない。」
「簡単に説明しますと、オークは現在魔力が暴走し、魔力自体に体のコントロールを奪われている状態にあります。
マスターも時折、ご自身の意思とは違う行動を勝手にとってしまうことに悩まされていたでしょう?あれと同じです。
あのオークは炎を何度も出していましたが、あれは炎の魔力に体を乗っ取られて起こる特徴です。
魔力は相反する属性の攻撃に非常にもろいです、なのでオークの炎が収まる前に水をかけて弱体化させ、トドメを刺しましょう!」
魔力と言われても、急に理解できるはずもなく、難しい顔をしていた僕を見かねたのか、プルンはさらにかみ砕いて説明をしてくれる。
「……つ、つまり、私たちが水辺にいる今こそ、奴を殺すチャンスです。チャンス!」
「う、うん……よくわからないけど。」
「そのうち慣れますよ。作戦も伝えますね。」
再度、虚ろな目をした豚の前に立つ。
目標までは約30メートル、自我を取り戻し始めたのか、それとも僕達を見失ったのか、動きが単純になっているのがわかる。僕は、袋状に変化させた、たっぷりの水を包み込んだプルンを右手でしっかりと握る。
手の内が水か汗か。少し湿った。
1歩、また1歩ゆっくりと横に歩きバレないように後ろに回り込み後ろから近づく。鼓動は次第に激しくなり、額から冷や汗が垂れるのを感じる。
(これが最後のチャンス。)
そう自分に言い聞かせる。
なるべく音を立てずに歩いていたが、オークに集中しており足元を見ておらず、木の枝を踏み折ってしまった。
「パキッ」と音が鳴り、奴がこちらをぐにゃりと向く。
動物の動きではない。
「やってしまった……」
乾いた音とは対照的にプルンは物静かだ。最初から音なんてしなかったのかと思い込むほどに。
だが、オークはその音に反応し、いくつもの火球が規則的に飛んできた。
「大丈夫です、その場で避けながら合図を待ってください」
「本当にごめん!」
「結果良ければ全てよしです、ここからが本番ですよ!」
そう言うプルンに少し救われ、気持ちを入れ替えることが出来た。
減速を知らない火の玉は、尽きることなく飛んでくる。最初は距離があり弾も雑に飛んでいたが、距離が縮まるにつれ精度も上がっている。左右に躱しながら時々プルンを身代わりにし、持ち堪える。
オークはじりじりと距離を詰めてくる。熱気すら感じる。また火が直撃するリスクが高まるが、作戦を成功させるには最適な位置でもあった。
「今です!」
とプルンの合図を聞き、すぐさまプルンが溜めこんでいた水を、オークの顔に目掛けてぶちまける。水が一気に蒸発するような音が響き、オークが激しい悲鳴をあげてのたうち回った。
プルンの言っていた通り、魔力が体の主導権を奪っている今は火が弱点となった。
恐れずに近づき、残りの水を最後の1滴まで残さずオークの頭に当てる。するとみるみる体の炎は消え、膝から崩れ落ち動かないまま、涙だけが頬を辿る。僕はこの涙がオークなりの火消しに見えた。
「やりましたねマスター、今度こそトドメを刺してください」
「そうだね、それじゃあナイフになってくれるかな」
うごめくプルンを片手で持ち上げ、狙いを定めようとしたが全く狙い所が分からない。あいにく、生物を殺した事のない僕には、体のどこを刺したら良いのか分からない。
本来なら力任せに振りかざせばいいのだが、涙を流すオークの姿が僕の殺意を弱めてしまう。
暴れたらどうしよう。
苦しんでしまったらかわいそう。
なかなか実行しない僕にプルンが「どうかしました?」と聞いてくる。
「初めてだからどこを狙えばいいのかなって」と敵意しか持っていないであろうプルンには、情が移ったなどとは言えるはずもなかった。
「グルゥゥ……」オークは呻く。その声からは『早く殺してくれ』と言っているようにも聞こえる。その声がまた僕を惑わす。
(首を落とせばいいのか?
ゴブリンみたく目に突き刺せばいいのか?
そもそもオークのことを考える必要なんであるのか?
いやそうじゃない、やっぱり首でいいのか?)
悩みから抜け出すように自分の考えを押し殺すが、残った自我が冒頭に繋ぎ止めてくる。良心が僕を堂々巡りに陥らせる。
そのときだった。
「オークは1度で仕留めないと暴れるから、頭と鼻の間を思いきり殴ってとどめを刺すのが一般的だぞ」
突如、プルンでない何者かの声が僕に手を差し伸べてくれた。初めて聞く声だがこれまでのどの考えよりもしっくりくる。そうと決まれば話が早い。
「プルン、できるだけ固く、打撃に特化した形状になってくれ!」
「ナイフって言ってたじゃないですか……こんな感じでよろしいですか?」とぶつぶつ言いながらも形をみるみる変えていき、こん棒に似た形に変化した。
少し距離をとり、謎の声に導かれるままに眉間へ一思いに振り下ろす。
鈍い音と、手に残るような嫌な感覚と同時に、オークは短く断末魔をあげ、白目を剥きながら倒れた。
──────
とどめを刺した後は頭を切り落とし、確実な絶命を与えたところで、僕は張りつめていた緊張が一気に解け、尻もちを着くように休んでいた。
だが、プルンは休まむことなくオークの体を隈無く調べている。先ほどから休息を一切していないことを見ると、やはり普通の生物ではないようだ。
しばらく死体を観察していたプルンは、オークが身に着けているぼろぼろのズボンの辺りで止まると、何か見つけたのか「マスター、死体のポケットの奥にあるものを取って貰えませんか?」と僕を呼んだ。
(形を変化して自分で取れないのかな……)
膝を付きながら近寄り、ポケットの中に手を入れるとクシャクシャになった紙が出てきた。
紙を広げると、大きな岩が1つと小さな岩が5つ描かれており、大きい岩が小さい岩へ向かうように矢印で結ばれている。
抽象画のようでよくわからないが、プルンは何か思うところがあるようで、「こ、これはもしかしたら相当まずいことになっているかもしれませんね……」とつぶやいた。
「この絵がどうかしたの?」
「ええ、この絵をそのままの意味でとらえるならば、ですが。
まず、この岩のような絵の位置関係から見るに、これはこの付近の大陸の地図の可能性が高いです。
位置的に、この地図で繋がれている小さな島は今いる島の事なのですが……もう片方、大きな島のほうには本来屈強な人間の部族が周辺を警備しているのです。
ですがもしこの矢印が、オークがこの島にくるために辿ったルートを表しているのであれば……部族の警備が機能していないということになります」
「.......だとすれば、人間が何者かによって活動を制限されているってこと?」
「制限されているだけなら良いですね。
これは最悪のケースですが、マスター……あなたが眠っている間に、彼らは魔物に殺戮されているのかもしれません」
プルンはそう言い、悲しげで苦い表情をし、それは事実を強引に噛み潰したように感じ取れる。
─────
精査は終わり、唯一見つけた地図を凝視しているプルンが何かピンと来たのかこちらを見上げる。
「そう言えば、外の景色を見て何か思い出せました?」
忘れていたが、当初の目的はそれだった。外に出てまだ短いが、濃い時間の中に思い当たる節は一つあった。
「何かを思い出した訳では無いけど、オークを倒す前に誰かが『眉間を狙え』ってコツを教えてくれたんだ。耳からではなく、脳に直接語りかけられたようだった」
「おお!それはもしかすると過去と似た経験をすることによって記憶がフラッシュバックしているかもしれませんね」
僕の答えに、声を弾ませながら体も弾ませる。
喜ぶのも束の間、プルンの目つきが少々真剣になり、問いかけてくる。
「マスター……1つ提案なのですが、オークがここまで乗ってきたボートを使い、島を出て別の大陸に行きませんか?
マスターの記憶、と村消滅の謎を解明するためにです。
勿論危険があることも分かっています。ですが……この島にある食料の残数と、また現れるかもしれないモンスターのことを考えるのであれば、きっとこれが、次善の策だと思うんです!
」
主人を危険な目に合わせる可能性がある、そうプルンも考えただろう。
だが、その目からは今の状況を打破したいという強い思いも感じ取れた。
プルンの決意を目の当たりにしたら、僕の返す答えは一つだ。
「もちろん!賛成だよ」
未知のモンスターに恐怖心はあったが、それを凌駕する知識欲がある。
何より、自身の頭に響く声の正体を知りたかった。
きっと僕も、プルンが言わなかったら僕のほうから島を出ようと言っただろう。
「ありがとうございます……!」
「でも、しっかりした傷の手当と、大陸に行く準備がしたいから、明日の朝でもいいかな?」
「分かりました。それでは少し歩いた所に薬草と木の実が生い茂っている場所があるので案内しますね。
あと、そろそろ暗くなる頃合いです。森は迷ったら危ないですし、急ぎましょう!」
空を見ると、透き通るような青空は消え、すっかり山吹色に染まっていた。