麟三の帰還
俺たちファーメル教国の勇者である、いろはさんが重症を負って目を覚まさない。
これは、ファーメル教国にとって重大な事態だ。
「……というわけで、俺一旦ファーメル教国へ戻ります」
「トリニティ全員の前でリンゾーくんを紹介したかったんだが、そういう事情なら仕方ないか」
「そんなおおげさな歓迎はいらないよ」
「じゃあ、いずれ艦長級だけでやろう」
「そうだな。……はい、エレジアさん。これでいいか?」
「問題なさそうだ。では、リンゾー。この仕様通りにニードルピニオンをつくらせてもらう。変更点があったら早めに連絡してくれ」
「了解!」
「じゃあ、またな。ふたりとも」
「ああ」
「また後で」
エレジアさんとメテオルさんに事情を説明し、ファーメル教国へと跳ぶ。
ふうちゃんから聞いた戦場は、グラナの森近辺ということだったので、とりあえず知っているグラナ街道へ!
急げ!
ベルも事情を察したようで、すぐに協力してくれた。
「ベル、頼む!」
景色がぐにゃりと揺れ、一瞬でグラナ街道に着いた。
ライトのオーブがナイターの照明のように集められ、投光器の要領で地面が照らされている。光量はさほど多くはない。薄ぼんやりとしている。
周囲にはアイスフィールドのオーブがあげる冷気を帯びた白い霧が薄く立ちのぼっている。これが光を拡散しているのかもしれない。
足元を見渡すと、ご遺体を入れた寝袋のような顔が見える布袋が整然と並べられていた。その数は軽く見ただけで1000を超える。
なんて絶望的な光景だよ。どれほどのものが失われたのか。
家族・友達・恋人。一人ひとりに連なる悲しむ人たちの顔。一体何人の人が悲しみに暮れるのか。
まったく戦争なんてするもんじゃない。
回復術士たちが代わる代わる仮設テントの前で、怪我人を丁寧に診ていく。上級の回復魔法を使える人たちはそんなに人数がいないから、テントの中で休憩をとっているのだろう。彼らが魔力切れを起こしたら後遺症に苦しむ人達が多数出るのだ。
この光景を見て、そんな状況に置かれたら、ふうちゃんでなくても憔悴するだろう。
回復術士の一人に案内されて、ふうちゃんのいる仮設テントにやってきた。
「りんぞーさま! ベル様!」
ふうちゃんの顔色が明るくなった。
テントには、いろはさんが横たわっていて、ブリジットさんとふうちゃんがそれを見守っていた。
「ふうちゃん。ブリジットさん。お疲れ様」
「りんぞーさまも停戦交渉お疲れさまです」
「うん。しかし、ひどい状況だな」
「大勢の人がなくなりました。今は私達が無事に再会できたことを喜びましょう」
「そうだな。大体の状況は見てわかったが、二人でここにいて大丈夫なのか?」
「重傷者の手当は、最優先で済ませました。今は休んで魔力を回復しています」
「そうか。本当にお疲れ様。激しい戦いだったんだな」
ベッドに横たわるいろはさんの傍らに黒焦げになり、ずたずたに引き裂かれた和服が畳まれていた。
「いろはさんは先陣を切って戦っていました。召喚の勇者と召喚の勇者が従える神獣を討滅したんです」
「神獣ってまさか九尾か?」
「はい。あのとき私達で戦ったあの九尾です」
「そりゃあ、こうもなるか」
俺達いたもんを苦しませたあの九尾。
くそっ、だからあのとき殺しておこうとビリーに言ったのに!
しかし、いろはさんは、あれを倒したのか。
「転生者の方にはよくある症状なのです」
重苦しい雰囲気の中、ブリジットさんが口を開いた。
「ブリジットさん。どういうことだ?」
「回復魔法で身体を完璧に治しても、脳が回復したことを認識してくれない。前世の記憶にある、傷は瞬時に治らないという思い込みが回復魔法の効果を阻害するんです。現地の人達は魔法で瞬時に身体が治ることに違和感を抱きませんが、魔法に違和感を持つような前世の記憶を強く持つ転生者には時としてこのような現象が現れるのです」
「要するに身体は治ってても、頭が『そんなに早く治るわけがない』と思いこむわけか……。治っていることを脳が認識しないとどうなるんだ?」
「免疫が暴走して体のあちこちで炎症が起きます。やがて血圧が急速に低下し意識混濁や呼吸困難――つまり、ショック症状に陥ります」
「命に関わるってことか」
「先程まで高熱が出てひどい状況だったんですよ。今は収まってますが……」
「おそらく、……今夜が峠になるでしょうね」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
ブリジットさんと別れ、ふうちゃんと、いろはさんの容態を診ている。
いろはさんは特に苦しむような様子ではなく、普通に寝ているような印象だ。ここから状況が悪化するようなことがあるのか?
ポツポツとふうちゃんが戦場であったことを語りだした。
どうやら、ふうちゃんが子供の頃によく遊んでもらってた騎士団の人たちが亡くなったらしい。
ふうちゃんが戦場に横たわる、いろはさんを見つけたときにはまだいろはさんの意識はあって、上級回復魔法を使うふうちゃんに泣きながら謝っていたらしい。
「いろはさんは騎士団の人たちを守れなかったことを悔いてました」
「そっか。混戦のさなかでも、いろはさんは誰かを守るために戦ってたのか。そして、そんないろはさんの背中を見て、街を守るために戦場の味方たちが立ちあがった。本当に勇者だな」
「いろはさんはやり遂げたんです。それなのに、こんなことになって……」
そうか、ふうちゃんは幼い頃に遊んでもらった人を失っているのか。そして、今目の前で苦しんでいる親友に何もできないでいる。
そりゃ憔悴もするよな……。
「りんぞーさま。泣いてもいいですか?」
黙ってふうちゃんを抱き寄せた。
ひとしきり泣き終えたあと、恥ずかしそうにはにかみながら離れるふうちゃんから目を離す。
ふと、テントに吊るされている絵に気がついた。
大人の男と女の子が手をつないでいる絵だ。
ひどく懐かしい感じがする。
子供が書いたふうにデフォルメされているがなんだろうこの絵。この色使い以前どこかで……。
「ふうちゃん。この絵ってさ……」
「……私が書きました。起きたときに見守る人が誰もいなかったら寂しいじゃないですか?」
ああ、この子はそんなことを思ってこの絵を書いたのか。
「この大人の男の人は?」
「りんぞーさまです」
何かが頭の中でつながる気がした。
「なあ、ふうちゃん。スクールバスって知ってる?」
「……スクールバスは嫌いです」
ふうちゃんが頬を膨らませている。
「もしかして、ふうちゃん。あのときの小さな女の子?」
「おかえりなさい。りんぞーさま」
『小さな』が気に入らなかったのか、ふうちゃんから返ってきた答えはそっけなく、期待通りのものではなかったが、
「ただいま」
その答えは、満足の行くものだった。
「……双葉。いちゃつくなら外でやってよ」
「いろはさん!」
その晩、いろはさんが目を覚ました。




