遭遇戦
魔王を名乗る黒髪の美少女――、アルシェが金色の瞳を煌々と輝かせながら、俺とベルの動きを牽制している。
距離2m。絶望的な遠さだ。動けない。
抵抗の手段がなにもない。
心に何も浮かばない。とてつもなく動くのが億劫だ。
まるで闇夜の中をあてもなくふわりと漂う幽霊のように、正体なく、頼りなく、不安である。
あるいは時間がゆっくり流れているかのように、体の動きが緩慢に知覚されている。
絶望感がまるで拭えない。ひたいに汗がへばりつく。
動くには戦意が足りない。体が震えて動かない。
「グゥオォオォオオオオン!」
ベルが一声咆えた! 雷鳴のように大地を揺るがす大音声が遺跡の周囲に轟響いた!
強烈な神気を撒き散らし、ベルが虹色の光をまとっている。
ふと心に、熱い魂が宿るのを感じた。
魔王アルシェは再び距離を取り、1km以上先に転移している。
「『催眠』に負けるな! おにいちゃんのへぼー!」
「へぼっていうな。別に眠ってなんかいなかったぞ!」
「催眠は、眠らせるだけじゃなくて、心の隙きを突いて相手を思い通りに動かすことができるんだよ! 至近距離なら、私よりも強いかも知れないおにいちゃんが、なんで近接戦闘能力へぼピーな魔王に至近距離で怯んでるのか?」
「そうだよ……。俺、なんで絶望してたんだ?」
「たぶん、心の隙きを突かれて『勝てない』って印象を植え付けられたんだと思うよ」
「そんなことができるのか?」
「できる。私、確信したよ。かつて、一人で魔王の軍勢に挑み、軍を同士討ちさせて国を乗っ取ったおそろしい夢魔の噂を聞いたことがある。それがあいつだ」
「嘘だろ? 敵軍をまるごと洗脳とかチートすぎるぞ。だけど、あいつ、『私の『催眠』をレジストした』って言ってなかったか?」
「スキルの力だけで、催眠をかけたってわけじゃないみたいだね。あの振り子のような規則的な8の字の動きは、催眠の効果をあげるためだし、あいつの美しい姿は視線を惹きつけ、心の隙きを突くための道具なんだと思う。しかも、瞳の色が変わる魔眼持ちときた。あいつは精神攻撃のエキスパートなんだよ、きっと。一度『美しい』と認識しちゃうと、おにいちゃんみたいな強力な魔法抵抗力を持ってる人でも、あっさり催眠にかかっちゃうんだ」
「クソ。やっかいだな。ベルと同士討ちとか、冗談じゃないぜ」
「私だって、おにいちゃんと殺し合うのはゴメンだよ!」
仕切り直しだな……。しかし、魔王アルシェと戦ってみてわかったことがある。敵の武器は精神攻撃。おそらく視覚を中心に働きかけてくる。
そして、どうやら、魔王アルシェの転移には、ワンテンポ、タイムラグがあるようだ。いちいち距離を取るところを見ると、接近戦は不得意なのだろう。距離をとることで、優勢を保ったまま戦いたいってところか。慎重な性格と見た。
一方こっちだって、遠距離は克服済みだ。サーマルガンは、数キロぐらいの距離ならば、ほぼ真っ直ぐに飛ぶ。見えてさえいれば、狙いはまず外さない。そして、音速をゆうに超えるスピードをもっている。転移にタイムラグが有るのなら、当てることは余裕だろう。たかが、1kmぐらい離れたところで、サーマルガンを回避する時間は稼げまい。しかし、あのアルシェが纏う魔王の結界。たしか、雷属性でなければ9割ダメージカットだったか。プラズマは果たして雷属性に入るのか?
えーい! とりあえず、ぶちかますぜ!
サーマルガン発射!
俺の手の中のプラズマ化した魔力弾が、青いビームとなって射出される!
――あらゆる事はここから始まる
俺がサーマルガンを発射した直後、目の前に黒い渦が出現した。
ちくしょう。こう来たか! 瞬時にサーマルガンをキャンセルする。
黒い渦から俺に向かって、サーマルガンが発射される!
『停止』ッ! させるかよ!
『崩壊』を雷撃に載せ、渦に叩きつけてやる。
光の奔流が、中心点で波に変わる。
渦にはダメージを与えられなかったが、サーマルガンを防ぐことはできた!
あぶねー!
ギリギリのタイミングだったな。ベルがやられたこの黒渦のことを、知ってなければ防げなかった。
……パチパチパチパチ!
ふと、背後の霊廟の入口付近から拍手の音がした。
振り返ると冴えない風貌の男が霊廟の入口を歩いて出てくるところだった。
「見事だ。実に見事。アルシェよ。確認は済んだ。戻れ」
男が、誰にともなくそう言うと、あれだけ距離が離れていても聞こえたのだろうか? 魔王と名乗った少女が転移し答えた。
「はい。ハル様」
魔王がうやうやしく、冴えないおっさんの隣で跪く。冴えないおっさんを見る魔王の容貌は、完全に恋する乙女のそれだ。
なにげなくベルを見やると、さっきまでとは打って変わって、今度はベルが恐慌状態に陥っている。顔は青ざめ、膝がブルブル震えている。
「おい! ベル! 落ち着け。お前が催眠にかかってんじゃねぇ!」
「おにいちゃん。逃げよう。殺される! あれはダメだよ。どうしようもない」
魔王が跪くような相手だ。ただの冴えないおっさんじゃないんだろうけど……、ベルが怯えるほどなのか?
「事象魔法に介入して、逃げられないようにした。さあ、話をはじめよう」
『停止』も発動しない。どうなってるんだよ、ちくしょう! いずれにせよ、ベルを正気に戻さないと逃げられないか。
「あんたは一体?」
「俺は、ただの冴えない男だよ」
「――大神霊ユスラハル」
ベルが小さくつぶやいた。
こいつが大神霊!?
「知っているのか。俺は、かつて創造神が廃棄しようとした箱庭を乗っ取り、神を放逐して生命の種をまいた創世神話の大悪党。正確には、その化身だ」
男が静かに答える。
ファーメリア様よりヤバそうじゃんか! 取り立てて凄みを感じないのは、仮の姿だからか?
「そんな大物が、俺たちにどんな用だ?」
「今すぐこの場から立ち去り、人間たちに、この遺跡の調査をやめるように伝えろ。ここに眠る俺の眷属は、制御などできないし、蘇れば大禍となろう」
「伝えるだけでいいのか?」
「これは神託だ。従わなければお前らは死ぬ」
「見返りはあるのか? 俺はお前を信仰していない。契約なら守るが、ただで『そうですか』って訳にはいかないな」
「10万年の月日は、創世神話すら忘れさせるのか。小僧。俺を大神霊と知った上で、俺から見返りを求めるか?」
「小僧じゃない。リンゾーだ」
「俺を目前にして、恐れないとはおもしろい。リンゾーよ。何が望みだ? 興がのれば、叶えてやろう。契約だ。否は言わせん」
「ベルの右手を治すことができるか? ベルは龍神だ。多分事象魔法級の回復魔法じゃないと回復は無理なんだろ?」
「殊の外、従魔思いの主だな。よかろう。その程度はたやすいな」
「ボーナーソイルドラゴンの骨も欲しい」
「勃起土竜の骨か。俺にとってはゴミ同然だが、お前にとっては価値のあるものなのか? よかろう」
「それと、人間を襲わないでくれ」
「ふむ……。人間か。奴らは触れただけで壊れるからな。楽しむには脆弱すぎる。まぁ、構わんか」
「では、リンゾー。俺たちは降りかかる火の粉は払うが、『人間がこの遺跡に手を出さない限り、積極的には人間を襲わない』とユスラハルの名にかけて誓おう。その従魔の手も戻してやる。それから、コイツをやろう。ボーナーソイルドラゴンの骨だ。契約は成立したな?」
よかった、話せるやつで。
「引き受けた!」
突如、ぐちゃぐちゃになったベルの右手の断面を黒い靄が覆う。次の瞬間、ベルの手がもとに戻った。
大神霊か……、どうやらハッタリじゃなさそうだな。
「さあ、この場から立ち去れ」
「ああ、もう用は済んだ!」
俺とベルは、背後を警戒しつつ、森に入る。とくにモンスターと出会うこともないままに、森の入り口に着いた。
空は夕日で赤く染まっている。
そうそう、森の入り口付近で眠りこくる『戦場の狼』の面々と合流したぞ。彼らが魔物に食われてなくて本当に良かった。
とっととギルドに帰って報告しないとな。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「しかし、探知能力が低すぎるのがこの体の欠点だな。実際、調査をするにも現地に赴かなきゃいかん」
「それで、ハル様、結局霊廟の調査結果はどうだったんですか?」
「話を聞いてなかったか? アルシェ。甦った黒神は、ここのオリジナルではなく、ラブレスが模倣した数打ちの方だった」
「彼らに教えなくてもいいんですか?」
「いい。人が作ったもので、人に壊せないものはないさ」
「真打ちの封印が解かれたとしたらどうします?」
「警告はした。造り手として最低限の義理は果たした。あとは新大陸の連中の問題だ。新大陸の連中もコレで滅びるほどは、ヤワではないだろうさ」
「そうだといいんですが……」
「さあ、旧大陸へ戻ろう。しかし、アルシェ。お前の夢渡り、なかなかに便利だな」
「私、今回結構活躍しましたよね? エロエロじゃない方の普通のご褒美を期待していいですか?」
「しっぽを握らせてくれたらな」
読んでるぞー。おもしろかった。誤字脱字を見つけた。ここが変だよ。
とっとと続き書け等、思われた方は、評価、ブクマ、コメント、
レビュー等いただけるとうれしいです。
活動報告に各話製作時に考えていたことなどがありますので、
興味のある方はどうぞ。




