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悪役令嬢志望(4)悪役令嬢と真実の愛

 足元の水たまりと、ザーザー降る雨を見て、こんなにも心が安らぐことが、今までの人生であっただろうか? 俺は、雨の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


 湿って淀んだ空気が妙にうまい。


 子供の頃、運動会の日に、あんなに憎んでいた雨の匂いをまさか、こんなに心地よく感じる日が来るとはな。そう、運動が得意だった俺は、決まって運動会に降る雨にイライラしていたものだ。日ごろ目立たない俺だったが、運動会の日だけは、ヒーローになれたのだ。


 皆で、雨の匂いのする空気を堪能した後、軒下に集まり、打ち合わせを行うことにした。


 雨、だいぶ強くなってきたな。


 まず、ヘンリーが口火を切った。


「あのレッドっていう女僧兵、相当な強さだな。手合わせした感じレベル30を超えてるんじゃないか? 狼男のオレが、力で押されるなんてな。しかも回復魔法も使うようだしアレを倒すなら、少なくとも2人割り当てる必要があるだろうな」


「それを言うならボクと戦ってた大剣士も一緒さ。自分の身長ほどもある大剣を軽々振り回して、しかもすべての剣戟に残心がついてくる。隙なんてまるでない。完璧。お手上げだよ」


「俺とふうちゃんは、以前スカーレットバレットと一緒に仕事をしてる。結論から言うと、彼女たちと戦うのは、避けたい。勝てないとは言わないけど、本気で戦えば間違いなく犠牲者が出る」


 ぐるっと見回すと、皆がうなずいた。


「『女帝』の力についてだけど、ボクと戦ってた人が、急に攻撃をやめた距離が射程でいいのかな? だいたい20RUぐらいだったと思うんだけど」


「同意するぜ。レッドもそれぐらいの距離で攻撃の手が弱まった」


「私、紅さんと話したんですが、紅さんも支配の射程は20RUぐらいだって言ってました」


 そういえばふうちゃんは、紅さんと喋ってるみたいだったな。


「え? ちょっとまて。紅さんって、もしかして『女帝』の支配の力に、かかってないの?」


 もし、そうで紅さんが味方してくれるなら心強いんだが……。


「かかってません。紅さんが言うには、『女帝』の側にいた側近の少年が空間魔法使いで、空間に歪み(ゆがみ)を作って、風魔法を阻害しているらしいです。空間魔法の射程はおよそ100RU」


「これ、対処の方法があるのか?」


「『女帝』も側近も、屋外で弱くなるタイプだと思います。雨だと殊更、威力が落ちるんじゃないでしょうか?」


 雨……か。屋外で戦うシチュエーションを作れれば勝てるのか?


「雨なら、空間の歪みも、視認できるかもしれません。因果律(いんがりつ)に作用する、りんぞーさまの事象魔法なら、認識さえできれば空間の歪みだって、上書きして崩壊させられるはずです」


「どうやったら、屋外に『女帝』と側近を引きずり出せると思う?」


「リンゾーが屋根に登って、『崩壊』の力で天井をぶち抜くのはどうだ? つまり、室内を強制的に屋外に変えちまうのさ」

「そんな強引な。ボクは反対だな。賠償金が酷い額になりそうだ」


「俺もそれは、最後の手段にしたいな」


 つーか無理だよ。『崩壊』は、1日に3秒しか使えないんだぞ。軽業師のスキルを取ったからって、雨の中屋根に登って、滑って怪我するのは、嫌だし。


「もっと安全な方法があるよ。ボクが振動拳で、建物周辺に地震を起こす。中の人達は、慌てて出てくるって寸法だ」

「孤児院の方に影響がないようにできるか? ターゲット以外の怪我人は出したくない」

「ボクの力は、局所限定だから大丈夫さ。任せてくれていいよ」


「じゃあ、それでいこう。イシュカさんは、地震を起こすことに専念。建物が壊れないように注意して。ヘンリーさんは陽動。最悪3対1になるけど頑張ってしのいでくれ。俺は、『停止』を使って『女帝』に首輪をつける。ふうちゃんは、紅さんに頼んで、側近に首輪をつけてもらってくれ」


「ボクは敵が出てきたら、ヘンリーのサポートをすればいいかな?」

「ありがたい。3対2なら1分は持つ」

「勝負は大詰めだ。皆、ぬかるなよ!」


「おう!」


 イシュカさんが早速、拳を地面に叩きつけた。


 ズウゥン! と、足元を痺れるような振動が伝い、豪邸が揺れ始める。震度にすると、3~4ってところか。シャンデリアが揺れているのが見える。


 これで、果たして出てくるんだろうか?


 と思ったら、中の人全員、大慌てで飛び出してきた。この地震を、大したことがないと思ったのは、俺だけのようだ。ヘンリーさんもふうちゃんも青ざめている。


 まじかよ。日本では割とよくあるレベルだぞ。


 建物の奥からワキガの臭いが近づいてくる。どんどん臭ってくる。こちらの存在を気にもとめず、建物の外へ向かって走ってくる。


 俺はすかさず『停止』を発動。女帝の首に魔封じの首輪をつけた。


 スカーレットバレットの支配が解け、彼女らは憑き物が落ちたように安堵の表情を浮かべている。


 もう大丈夫。チェックメイトだ。俺に時空魔法は通じない。

 俺が『女帝』のそばにいる以上、側近は『女帝』に手を貸せない。


 ふうちゃんが、紅さんに首輪を手渡した。


「逃げるのよ! ジョン!」


 気を取り直した『女帝』が叫ぶ!


 同時にジョンが転移魔法を発動し、100m先へ逃げるが、紅さんは、ひととび1200mの転移魔法の使い手だ。勝負にはならなかった。『女帝』の隣に、ジョンと呼ばれた側近が転がされる。


「これで、勝ったつもりかしら?」


 キッと、俺の方を睨み、『女帝』が自分の首筋に懐から出したナイフを当てる。


「その首輪は、ナイフなんかじゃ切れないぞ!」


「そんなんじゃないわッ! お前達に屈するぐらいなら、私は死んで、再転生のチャンスに賭けるッ! 無能な異端審問官たちよ。悪役令嬢の死に様を、指を加えて見てなさい!」


 血が飛び散った!


「駄目だよ、アンナ」


 ジョンがナイフを手で掴んでいる。


「次の転生には、僕も連れて行ってくれるんでしょう? 言ってくれたじゃない。未来永劫、お前は私の下僕だ、って」


「……あれは、冗談よ。本気のわけないじゃない? 手を離しなさい。ジョン。私の死に、あなたが怪我をするほどの価値なんてないわ。さんざん皆を虐げてきた女が死ぬのよ? ざまぁ! って言うのが普通でしょう?」


 震える声で、涙を浮かべて『女帝』がジョンの手をとった。


「孤児の子たちは、君がいなければこの国で生きられなかった。たしかに君は、許されないことをしてきたけれど、それでも感謝している子たちだっているんだ。生きてくれ。アンナ!」


 沈黙が場を支配する。


「ジョン! ……私、罪を償うことにするわ」

「何年だって待ってるよ。アンナ!」

「真実の愛は、ここにあったのね!」


 夕陽をバックに、ひしっと抱き合う二人。


 ――雨は、既にあがっていた。


 っていうか、なに、この茶番劇? なんでずぶぬれになって、こんな甘酸っぱいものを見せられにゃならんのだ。とっとと済ませて、早く家に帰りたい。あったかいお風呂に入りたい。


 ふうちゃんが、ジョンの手にヒールプラスをかけている。とっても事務的な表情だ。(あこが)れていないようで本当によかった。


 これを人前で要求されたら、恥ずかしくて死ぬ。


 こうして、香の勇者事件は幕を閉じた。

・用語解説

残心――攻撃直後、気を張り心を緩めず隙きを作らないように

    すること。

    麟三が赤龍戦で、頭を落とした赤龍に殺されそうに

    なったのは、残心の心得がなかったため。

    フェンシング経験者のペリーには、残心の心得があった。

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