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188話 記憶の泡

 そうして僕たちは各々の家へと帰った。


「あ、おかえりー……何かスッキリした顔だね」


 ソファーでごろんと寝っ転がりながらお菓子を食べているウィルは、間延びした声で呑気にそう言った。そんなウィルとは対照的に、僕たちは最後にこの地球でやらなければいけないことがある。


「もうここには帰ってこないんだよね」


 物心がつく前の本当に幼い頃からずっと住んでいる家。今ではもう目を瞑ったとしても何処に何があるのか分かるほど、馴染みに馴染んだ我が家に別れを告げるのは、心の底から込み上げる物の熱量が凄まじかった。


 しかし、家以上に分かれ難く手放し難い物とも、ここでお別れをしなくてはいけなかった。


 それは地球上のありとあらゆる人や物にある、僕という人間についての記憶及び記録だ。


「――――」


 厳密に言えば僕がお別れをするのでは無く、僕についての記憶が消されるだけで、僕が全てを忘れるということでは無いため、両親が僕を忘れても僕が両親を忘れることはない。


 しかし、全世界中の人たちから忘れ去られた場合、それは居ないも同然、ひいては死んだも同然ではないのだろうか。


 それと似たようなことを漫画でも言っていた――人が死ぬのは人に忘れられた時だ、と。


 だから、僕たちはこの地球上で今から死ぬこととなる。だが、文字通り身を引き裂かれるような辛さまでは感じていない。


 何故ならさくらが僕を知っていてくれるから。他にもカイトが、フランさんが、アルフさんが、向こうの世界の人たちが僕を知っていてくれるからだ。


「――――」


 気がつくと、ウィルがお菓子を食べていた傍らで丸まって寝ていたはずのみゃーこが、心配そうな顔をして僕を足下で見上げている。そんなみゃーこに軽く微笑みながら声を掛ける。


「大丈夫だよ、みんなが居るからね」


 ウィルも先ほどとは人が変わったようにいつにも増して真剣な表情で、僕と向き合う。


「準備は……覚悟は良い?」


 僕は何も言わずに頷いた。そして、間もなく差し出されたウィルの温かな手を握る。


「ウィルお願い」


「――――」


 僕には聞き取れない言語でウィルは呟くと、僕らが繋いだ手からシャボン玉のような透明な玉が、大小無数に現れた。


「これは僕か」


 幻想的な空間の中、目を凝らして見てみるとそれらの中には、まだ一人で歩くことが出来ないほど小さな僕だったり、色んな所へ駆けずり回っている頃の僕だったり、素直になれなくて意地を張っている僕が居た。


 そしてその傍らには優しそうな顔をした両親の姿、少し困ったような両親の顔、心配そうな両親の眼差しと、いつでも僕の事を考えてくれている両親がいた。


「そっか……」


 僕は忘れていた。さくらに遠ざけられて自ら命を絶とうと思った時は、自分は不幸な事しか起っていないと思っていた。だが、こうして振り返ってみると、その前にも温かくて、優しくて、幸せな記憶が溢れるほどあったのだ。


 それこそ虐められている時の記憶を覆い隠すほどの大きな記憶が。


「――――」


 今回は地球上の人からあたかも最初から居なかったかのように忘れ去られ、僕たちも異世界に行ってしまうため、事実上は地球では死んだも同然の扱いとなる。


 でも、前とは違う。僕はひとりぼっちではないし、幸せな記憶も持ち合わせている。


 そして何より、追い込まれてそうなったわけではなく、今回は自ら望んで事実上の死を選択している。


「――――」


 僕はもう虐められるほど弱くない。僕はもうさくらに助けられてばかりではない。


 ――虐められていて、さくらに助けられていた頃の泡が消えていく。


「――――」


 僕には不幸な記憶よりも幸せな記憶の方が多い。


 ――両親と一緒に過ごした頃の泡が消えていく。


「――――」


 僕はもう逃げないんだ。


 ――最後の一つの泡、殻にこもっていた頃の自分が消えた。


「お疲れ」


 最後の泡が消え、いつの間にかへたり込んでしまった僕にウィルが優しく声を掛けた。


「うん、ありがとう」


 僕は答えながら、旅行先で撮った家族全員がとびっきりの笑顔の写真が飾ってある棚を何気なく見た。


「――――」


 そこに写っているはずの僕だけが居なかった。


 始めに見た写真の一年前に撮った写真にも、その前にも、その前の前……と、ぽっかりと抜け落ちたように僕だけが居なかった。


「ごめんね……」


 ウィルはまるで心臓に何本もの矢が刺さっているような、それほどまでに悲痛な面持ちで僕に謝った。しかし、僕は首を横に振る。


「ううん、僕は大丈夫……前を向くよ」


 僕はもう弱いままの僕ではないし、何時までもクヨクヨしてメソメソしていたらまたさくらに助けられてしまう。そう思い、両頬に両手で勢いよく挟むようにビンタをした後、僕は立ち上がった。


「さあさくらのとこに行こう」



 それから僕たちはすぐにさくらの家に行った。


 両親はもうすでに仕事へ行っているため、家に上がらせて貰い、さくらについての記憶の泡が全部消えるのを僕はしっかりと見届けた。


「さくら、大丈夫?」


 僕と同じく終わった瞬間に地面にぺたっと座ってしまったさくらの背中をさすりながら尋ねる。しかし、僕の心配は杞憂だったようで、さくらは覚悟を決めた顔で言う。


「大丈夫。全部終わった後で戻ってくれば良いんだもん」


 そう言いながらさくらはしっかりとした足取りで立ち上がった。そして、僕の時よりもさらに痛々しい顔をしているウィルにハグしながら、さくらは言う。


「人は記憶が無くなっても、心がちゃんと覚えているんだよ。だから、そんな顔しないで」


 さくらの諭すような言葉を聞いたウィルの表情が完璧に晴れることは無いにしろ、いくらか軽くなったような気がした。


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