148話 懐かしの……
『ジーー……』
未だに慣れる気配のない世界を移動する魔法、その丁度瞬きぐらいの一瞬の暗転の後真っ先に耳に入ってきたのは、夏の夜に嫌になるほど聞こえる虫たちの鳴き声。でも、それはまるで虫たちの即興のオーケストラのようで、これを聴くだけで何故か暑さも心も和らぎ安らぐ気がするし、音量は大きいが不思議と嫌にはならない。
「なんだか、久しぶりだね」
先ほどまでの複雑な表情は何処へいったのやら、久しぶりに故郷へ帰って来たような懐かしげな表情へと様変わりしたさくらは隣で言った。
今のさくらの気の緩み様を見て、普通の人の一歩が僕たちにとっては二歩、三歩などになるチートだけでは万事上手くいく道理のない現実から目を背けていると、異世界で置かれている僕たちの現状を全て知っている者になら、そう評されても何等おかしくはない。
だが、何はともあれさくらの青く暗い表情が少しでも和らいだのなら、アーティファクトが最優先事項ながら地球に帰って来られたことは良いことだろう。
そしてその隣では、美が付くほどの少女がその輝かしい姿をこれでもかと言うぐらい全身を使って好奇心を表現し、
「ここが君たちの故郷――地球という場所かー」
と、僕の家のリビングをくまなくうろつき呟いた。
「向こうの世界と比べて居心地はどう?」
テレビ、冷蔵庫、電子レンジ……などなど向こうの世界では動力源となる魔石を嵌め込まなくては使えないものたちがどうやって動いているのかがよほど気になるようで、ウィルは何度も何度も見たり触ったり動かしたりして確認していた。そんな姿はまだ物事の大半が初体験である子どものその物のようで、興味を隠せない後ろ姿に尋ねた。
「空気中に魔力が無いから少しだけ息苦しく感じるけど、何もかもが新鮮で世界がひっくり返ったみたいで、そんなの全然気にならないよ」
いつものウィルは何もかもが分かったみたいで、言葉を選ばないとまるで掌で皆を操っているかのような掴み所の無い感じをしていたが、今は先述の通り丸っきり子どものようだ。
僕たちからしたら魔法の存在に驚きワクワクもしたが、しかしそれは創作物の類いで触れているため、夢が現実になったかのような驚き程度。
だが、ウィルからしたら魔法を使ったり、魔石を用いて動かすものを使わなくても自動的に冷やしたり、反対に暖めたり、そして何かを映したりなど出来る家電という魔法のような物に、僕たちが抱いたワクワクよりももっと凄い、それこそ世界が反転したと思うような驚きを感じているのだろう。
「みゃーはお風呂に入りたいにゃ」
ウィルのはしゃぎ様に嫌が応にも静かにしているしか他なかったみゃーこが、一瞬だけ静かになったウィルの興味の合間を縫って、ここぞと言わんばかりに僕に訴えてきた。
その言葉になぜか急に静かになっていたウィルがすかさずこちらにやってきて、その表情から次に発する言葉が何なのか、猫でも予想できるほど顔に書いてあることを予想通りそのまま進言してきた。
「僕もお風呂に入ってみたい!」
その瞬間、みゃーこの顔が絶望一色に染まるのが目にして見なくても分かった。そしてその絶望に染まった顔が僕の方に向くのを感じていたが、もうすでにウィルは本場のお風呂に期待に胸を膨らませているため、止めようにも止めることが出来なかった。
なのでみゃーこにこれから起こる悲惨な出来事のせめてもの手向けに、
「さくらと皆でゆっくり入ってきなよ」
と、テンションが上がっているウィルに対してストッパー役になれるさくらも一緒に、という助け船を出した。
結構な間向こうに居たため地球の懐かしさに感慨に浸っていたさくらだったが、自分の名前が挙げられたことによって意識をこちらに向けた。そして少し考えた後、
「夜ごはんどうするの?」
ゲートを潜る前は向こうでは昼過ぎ、つまり地球での現在は夜であり、僕たち一行のお腹の虫は声を大にして主張を始めるほど空腹を訴えている。
食材はゲートを潜る前に買ってきてあるため、異世界産ではあるものの地球でよく見かけていた食材とほとんど一緒の物が今手元にある。なので、誰かがそれらを調理すれば全員のお腹の虫を静まらせることが出来るのだが、この中で一番の作り手であるさくらは、自分がお風呂に入ってしまうと作れる人がいなくなってしまうと思っているのだろう。
「僕が作るよ、ちょっと秘策があるから任せて!」
僕がそう言うと自分もお風呂に入りたくなってしまったようで、さくらは僕に料理を任せることに対しては不承不承だったが、皆でお風呂に入ってきなよと言う提案に対しては快諾といった様子で直ちにリビングを後にした。