第九十一話 後輩メイドと夏休み。
「それでは。乃安さん。後はお願いします」
「はい、お任せを」
そんな力強いやり取りの元、陽菜は送り出された。どうやら夏樹と出かけるらしい。
「二人きりですね、先輩」
「意識させるな」
そうして、後輩と二人、初めてでは無いが、休日を過ごすことになった。
「先輩は、いつになったら陽菜先輩とお付き合いし直すのですか?」
「知ってるやつはみんなそれ聞くな。ほれ、フルハウス」
「えっ、ズルいです。どうして五連敗……」
アイスティーにスコーン。手元にはトランプ。乃安、運悪すぎ。僕より悪い人、初めて見た。
「って、話し逸らさないでください。もしかして、もうその気は無いとか?」
「無いという事は無いけど、タイミングが……」
「まぁ、話しすら出さない陽菜先輩も陽菜先輩ですけど。らしくないですねぇ、先輩。もたもたしてるなら取っちゃおうかな」
「えっ?」
チラチラと意味ありげな視線を送ってくる。あれ、なんだこの変な気分は……。
「ふふっ、陽菜先輩を」
「そっちかい」
「期待しました?」
「少し。というか、居づらくなかったのか?」
「全然です。お二人がとても親切にしてくれたので。それに、私はお二人が仲良くしているのを見るのは、とっても好きですよ」
「乃安は、陽菜が好きなんだな」
「そうですよ。今更ですか?」
乃安の笑顔は、とても魅力的だ。僕も思わず笑顔になる。そんな笑顔だ。
付き合い直す、それ自体に異論は無い。だけど、このままでは駄目だと言う漠然とした感覚は残っている。このまままた同じ形で付き合い直すのは違う気がする。
「そういえば、陽菜先輩お出かけしているじゃないですか、私たちも行きません? お出かけ」
「えっ? でも蒸し暑いし」
「良いから良いから、行きましょう」
暑い、暑い。隣でピンクのフリフリのスカートに白い半袖ブラウス、カンカン帽、とても女の子らしい恰好をした乃安に連れられ、どこに行くのやら。
「ちょっと気になるお店がありまして。一緒に来てくださいね」
「はいはい」
目の前をふわふわと長くまとめた髪が揺れる。何となしに手を伸ばし、その感触を確かめて。
「えいっ」
「わぁっ、ちょっと何するのですか! 私の髪に恨みでもあるのですか!」
「つい……」
「つい、ですることじゃないですよ! もう、何で先輩方はこうも私で遊ぶのですか?」
「なんでだろうね。なんというか、おしゃれだね」
「今更褒められましても。陽菜先輩も結構おしゃれな服着ていたと思いますけど」
「あれ、僕が選んだやつ」
「えー、先輩ですか? なんというか、趣味駄々洩れですよ」
「わかるかー、わかるよなー」
思わず見上げた空は叫びたくなるくらい広い空。そりゃそうだ、気がつけば僕は山を登っていたのだから。こんな所にまで来て行きたい店とはなんだろう。
「先輩って、ちょっと幼めな女の子が好きなんですね。服装もそれに対応した感じで」
「はっきり言わないでくれ」
「となると、陽菜先輩より背が高くなってしまった私では……それとも後輩属性という事で射程範囲ですか?」
「ノーコメント。そういえば、伊達眼鏡、今日はつけてるんだ」
「どうです? 似合います?」
「似合うとは思うけど」
木々の匂いが強くなる。青臭いが、決して嫌な匂いではない。命がある、そうはっきりとわかる匂いだ。
「そろそろ着きますよ。ここまで歩けば結構美味しいですよきっと。はい、ここです。ソフトクリームです。お勧めはサクランボ味とのことで」
山の中にお土産屋さんが並んでいる。ここだけ小さな町のようだ。その中の小さめな店に小さな行列。一緒に並んで、出てきた二つのソフトクリームは綺麗なピンク色。耐え切れなくなり、思わず思い切りかぶりつく。口の中に広がる冷たさと爽やかな甘み。なるほど、これが食べたかったのか。
「でも今から降りるのか」
「当たり前じゃないですか。山は登ったら降りるものですよ」
夕焼けと一緒に、足に疲れを感じながら、後輩との休日の終わりを告げる、蝉の声が鳴り響く帰り道を歩く。
乃安が隠し持っていた水筒二本。その中身もほぼ空だ。
「ふぅ、着きましたね。さて、夕飯の準備しないと」
「大丈夫?」
「大丈夫です。仕込みだけはしておきました。今日はですね、夏でも食べやすいものですよ」
家の扉を開けると、待っていたかのように陽菜がリビングから現れる。
「お帰りなさいませ。出かけてたんですね」
「ただいま、陽菜」
「乃安さん、夕飯、お疲れでしたら代わりますよ」
「大丈夫です。仕込みは済んでいるので」
出てきた料理は冷やし茶漬けだった。
「夜にこれというのも、なかなか良いものですね」
「だね」
さっぱりしていて、疲れていてもどんどん食べられる。出汁が効いていて美味しい。
「それで、今日はどちらまで行かれたのですか?」
「山に登ってソフトクリーム食べてきた」
「山にまで行ってですか?」
「うん」
「今度行ってみたいです。そういえば、夏樹さんに服を選んでもらったのですが、見てもらっても良いですか?」
そういえば、リビングの隅に結構大きな袋がある。気になってはいたが、最近陽菜の服買いに行っていないことを思い出した。
「ちょっと待ってくださいね」
袋の中からまた別のロゴの袋がマトリョシカの如く。客が別の会社の買い物袋持っていたら、大きめの袋に纏めてくれるという。客は一つにまとまって楽になり、店側は宣伝の助けになるという相互メリットが発生するとのこと。
結構な量を選んだなぁ。
そうしてしばらく、着替えてきた陽菜が現れる。
「ど、どうですか?」
今まで選んだことの無い、大人っぽい印象。あぁ、こういうのもありだなぁ。これは一本取られた。素直にそう思わされた。
ロング丈のデニムシャツを羽織っているが、中の白いワンピによって暑苦しい印象を与えることなく、夏服としてしっかり機能している。
「グッドです」
「ありがとうございます」
実際、接し方は今までと変わらない。そう、戻って来れたんだ。京介は過去を捨てて、僕は一つの関係の在り方を捨てて。
夜中、一人こっそり家を抜け出し、小さな庭に、木刀一本持ち出て来る。
突然目が覚め、その瞬間、脳に何か電流が走るように閃く。僕の中の答え、僕が許せない自分。
構えて一振り。夜の闇を切り裂くように。もう一振り、自分の中の何かを打ち砕くように。考えすぎる自分を窘めるように。
一振り、二振り。すっかり手に馴染んだ木刀は良く言う事を聞く。横薙ぎ、唐竹、袈裟斬り、突き。仮想の敵を想定した一人稽古にいつの間にか変わっていた。僕はその目の前の敵に一太刀すら浴びせられない。綺麗に防がれ、捌かれ、逆に打たれる。
「はぁ、はぁ」
強くなりたい。捨てなくてもよくなるように。僕は捨てなきゃ強くなれなかった。背負うものが何も無い、身軽な状態で、ようやく乗り越えられた。
「くそっ」
今ならわかる。陽菜にどれだけ支えられていたかを。支えてるつもりなだけだった。
「何しているんですか、先輩」
「あぁ、乃安か。起こしちゃった?」
「えぇ、起こされました。庭先でごそごそされたら気づきますよ。陽菜先輩には来ないように言ってあるのでご安心を」
肩にかけたタオルで汗を拭く。気まずくなって下を向く。
あぁ、そういえば、乃安に泊まっていってはとか陽菜が言ってたなぁ。今さら思い出した。
息を整える。頭が冷えていく。
「わかりますよ。焦るのは。自分の至らなさに気づいて、成長を急いで、色々頑張っちゃうのは」
「うん」
「上を見過ぎるのは、疲れますよ、先輩」
暗闇でもわかる。きっと、困ったような笑顔だ。
「ダサいかな?」
「全然です。頑張るのは良いことですよ。ただ私が言いたいのは、頑張り過ぎて、大事なことを見逃さないでくださいという事です」
「それはどういう……」
「さっ、先輩。着替え用意しますので、お風呂に入ってください。そして寝ましょう」
「後輩に窘められるなんてな」
「あはは、そんな時もありますよ。私と先輩は、歩んできた人生が違うのですから。お互い、わかること、知っている事があって、教え合うのは自然なことです。なので、そんな顔しないでください。陽菜先輩には、見せられないでしょう」
ぽたぽたと汗が滴り落ちる。熱帯夜とはいかないけど、この夏は僕の身を暑くする。空は広く、天の川が珍しく町中でも見えた。
手の中で木刀をくるりと回して家に戻る。時計はてっぺんを回り既に今日は昨日になっていた。
玄関に立っていた後輩は背伸びをすると頭にポンと手を乗せる。
「先輩、いつまで情けない顔してるんですか?」
「うーん、しばらくは立ち直れないや」
「じゃあ、そうですね。では、私とお付き合いしませんか? 先輩」
「……はい?」





