第八十九話 狂犬物語 終幕
「しばらく親父もお袋も帰ってこねえぇから。ゆっくりしていけや。飯はカップ麺で良いだろ」
「おう」
先生は帰り、家には僕と京介が残った。明日には帰る予定だ。夕飯を準備する京介の、高そうな食器を乱雑に扱う様子は、少し冷や冷やする。
「さてと、食うか」
「Thank you」
「無駄に発音が良いな」
「まぁな」
久々に食べた。不健康な感じが逆に美味しく感じる。このピリッとした辛さが。いや待て、段々口が痛くなってきたぞ。
「どうだ、俺のマイブーム。辛いだろ」
「胃にくる」
「もしや苦手か? 辛いの」
「そういうわけでは無いのだが。辛いというより痛いだろ、これ」
食えないほどでは無いのが幸いだ、
「それじゃあ、この追加の奴はいらないか。これ入れると二倍になるらしいぞ」
「いらねぇ」
その日はそのままリビングで雑魚寝。明日の予報は晴れると出ていた。
「ほれ、行くぞ」
「バイクで行くのか?」
「あぁ、駅まで送ってやるよ」
始発に乗る予定で陽菜には連絡してある。エンジン音が街に響く。車よりもダイレクトな感覚で風を切る。
そんな旅もあっという間。すぐに駅が見えてきた。休日でも人がいるのが朝の駅。ロータリーで降りて、荷物を受け取る。
「それじゃあ、また後でな」
「あぁ。気をつけろよ」
走り去るバイクを見送る。その後ろについて行く車、見覚えがある気がした。
「あっ」
そうか、そういうことか。だとしたら。なんで。
相馬を降ろして高速道路の手前にあるコンビニで少し休憩。まさかここまで来るとは思っていなかった。
コーラ片手に揚げ鳥にかぶりつく。帰ったらまずは土下座か。部活は最悪やめることになるか。
「まぁ、仕方ない。むしろこれだけで済むんだ。安い」
そして、帰ろう、俺はバイクのエンジンをかけようと鍵を挿したその瞬間、俺の意識は途切れた。
目が覚めたのはどこかの工場だった。ぱっと見でわかったのはそこが見覚えのある場所だったからだ。
「この倉庫だろ? やはり私たちが決着をつけるのは」
「は? 倉庫? というかお前、昨日俺がぶちのめしただろ」
「あぁ、だから油断しただろ。さぁ、この状況を切り抜けられるお前ではあるまい。終わりだ。大人しく私の傘下に入れ」
完全に不意を突かれたのか。わかっていれば気絶は避けられたはずだ。目の前にいるのは萩野を含め五人。全員フルフェイスのヘルメットをかぶり、バッドを片手。完全防備だ。
「椅子に縛られたこの状況で、さすがのあなたでもどうにかできないでしょう」
「あぁ、さすがにまずいな。だがな、腕だけしか縛らなかったのはお前の油断だ」
グッと力を込めて、そして全力で力を抜けば、するりと縄が落ちる。
「なっ! くっ。やれっ!」
五対一。いける。
本気で戦う時、俺は叫ぶのが癖みたいだ。初めてその事を意識した。
まさかまた町を走り回る事になるとは。でも今度は宛がある。僕の考えが正しければ、あいつはここにいるはずだ。
そして僕は運が良い。その人の後ろに気配を消して近づく。そして素早く、そいつを締め上げた。
「昨日振りですね。さぁ、知っている事を吐いてください」
「なっ、何の事ですか?」
「知らないとは言わせません。京介はどこですか?」
「知りません。離してください。警察を呼びますよ」
「呼べば良いさ。その場合はあなたの助手席にある封筒を警察に差し出すだけだ」
「なっ、待て。話せばわかる」
鎌をかけただけだってのに、あっさり吐いたか。
少し腕の力を緩める。しかし油断はしない。京介の恩師を手荒に扱いたくは無いが、それでも必要なことだと割り切る。
「場所を教えろ。それだけで良い。今の会話は録音済みだ。ついでにその封筒ももらって行く。以上だ」
「み、なとの、はい、そ、うこ」
「おっけ」
解放する。腰が抜けたようで立ち上がれないようだ。
「ありがとう」
京介の担任。おかしいと思ったのは忙しそうに時間を確認しながら電話をしていたはずなのに、僕を京介の家まで連れて行き、そしてそのまましばらくお茶をしていた時だった。
それは封筒の中身で説明がついた。
「これは、発信機か。もう一つの小さな封筒には札束ね。ふぅん。金か」
歩きながら発信機を操作するも起動しない。充電が切れたのか壊れたのか。なるほど、だから朝着け回していたのか。
廃倉庫か。間に合うか。肩に担いだ竹刀袋を強く握りしめる。信じるしかないのがもどかしい。
「くそっ」
「京介さん、弱いっすね!」
一人が俺の相手をし、三人がその周りから攻撃する。離れようにもその瞬間に前後左右から同時に攻撃されては俺もキツイ。だからここで守りに徹するしかない。
一人くらい仕留めようと鳩尾を殴るがよろめきすらしない。固い何かを殴った感覚しかない。何か仕込んでいる。武器が無ければ厳しい。
「どうですか、こうなる事を予想しない私ではないですよ。ちゃんと戦い方も考えていたのですから。さぁ、止めを刺しなさい」
そんな声に呼応するように、正面から迫るバッド、身を引いて避けるが、別の方向からの足払い、体勢を崩す。
「おらぁ!」
そして、迫る四つの一撃、負けた。そう確信した。
せめて俺を仕留める、俺の戦績に敗北の泥を初めて塗る一撃を見極めよう。目を逸らさなかった。しかし代わりに来たのは三人分の体だった。後ろから全力で殴られたかのように倒れてきたその体が残りの一撃を防いだ。
「あぁ、やっと見つけた。全く、何してるんだよ京介」
そんな気の抜けた声に思わずニヤリとする。来るとは思っていなかった。けれど、どこか期待している自分もいた。
「お前こそ、相馬、何してるんだ」
「うーん、何だろうね。これはお前の戦いで僕が手を出す権利は無いけど、でもお前は僕の戦いに手を出したし、だったら僕も手を出していいよね? 一人で抱え込むな、だっけ?」
「恥ずかしい台詞、蒸し返すなよ」
木刀を構える。その刀身は細い、けれど頑丈で、重い。中に鉄でも入っているのだろう。起き上がって来る三人。
「お前らはそいつを倒せ。俺はこっちをやる」
三人。一気に倒すつもりか。
先手必勝、その体を木刀で殴る。が、倒れない。慌てて下がる。
「何だそりゃ。鎧でも着てるのかよ」
そういえばヘルメット殴っても倒れなかった。全身鎧か。
「おりゃぁぁ」
連携が取れた動き。厄介だ。囲むように、時に避けた先に現れたり。一対多数の利点を活かしきった戦いだ。僕の有利な点と言えば視界や体の動きを遮るものが無いくらいか。
訓練はしたのだろう、しかし動きにくいのは伝わってくる。
「ならば!」
全力でダッシュする。京介の相手している奴に向かって。慌てて追って来る三人。素早く振り返る。
一人目の喉元を突く。二人目の中に着込んでいる鎧の隙間と思われるところを突く。三人目は慌てて止まった所を狙い、バッドを叩き落とし、喉を突いた。
そして、助太刀しようと振り返る。
「相馬、手を出すなよ。こいつは俺が倒すべき相手だ」
「その心は?」
「聞いたんだろう、あれ。こいつはそこに出てきた俺の後輩だ」
「まだ名前、呼んでくれないのですね、京介さん」
「教えてくれや」
「いいえ。僕はもう、あなたを倒すと決めています。そんな人に僕は名前を教えません」
バッドを捨て、ヘルメットを脱ぎ、服を脱ぐ、そしてその下の日本甲冑を模したと思われる鎧を脱ぎ、京介と向かい合う。
「勝負です。この日を、ずっと待っていました」
「それ、脱ぐのか?」
「はい、これを着けていたら逆に負けるでしょう」
お互い、静かに、ただ向かい合う。
先に仕掛けたのは後輩、その一撃を京介は受けた。
「ふっ、重くなったじゃねぇか。じゃあ、お前も受けろ」
その一撃はとてもゆっくりに見えた。それでもそこには確かな重さが込められていた。
音を立てて倒れた後輩の体は起き上がらない。京介の目は最後の標的に向けられた。
「終わりか?」
「はい、私の負けです。貯金を使い果たしての作戦だったのですが。もうあなたに手は出しません。私の傘下にそう命じます」
「あぁ、もう俺とお前は関わらない」
「はい。あなたのバイクは入口に置いてあります。帰ると良いでしょう」
「おう、じゃあな。……そいつの名前は?」
「教えませんよ。それが彼の望みであり、あなたに挑むにあたって決めた覚悟ですから」
「そうか」
京介が置いて行くもの。そしてもう拾えないものか。
「今度こそじゃあな。ほら、行くぞ」
「あぁ」
廃倉庫を後にする。京介は振り返らなかった。大丈夫か? とは言わない。それは今の彼にかけてはいけない言葉だ。心配が毒になることだってあるのだから。
「やべー、速い! なにこれ? バイクってこんなに速いの?」
「あー、聞こえねぇ。風で」
高速道路、バイクで二人乗り。風が気持ち良い。トラックの横を走るのは少し怖いが。
「あはははは」
「相馬、うるせぇ!」
「すまん」
バイクの免許取りたい。そう本気で思った。
「おら、着いたぞ」
「サンキュー」
「じゃあな。その、ありがとな」
「あぁ。気にするな」
走り去るバイクを見送り、駅に入るが。陽菜はいない。
「かえっちゃったかな」
家までの道を歩く。先程まで感じていたスピード感との差に驚く。
思わず走り出す。もっと速く。速く。帰って来れた。家が見えて来る。十分の道のりが長く感じた。
息を切らしながら扉を開くと、すぐにリビングから陽菜が現れる。
「ただいま」
「はい、お帰りなさいませ。お疲れさまでした」
「うん、疲れた。それと、ごめん、始発で帰るって言ったのに。連絡忘れてた」
「大丈夫です。それよりもお茶にしましょう」
「うん」
リビングに入り、乃安を交えて三人、お茶をすする。
「そういえば、冬に行ったあの、相馬君のお祖父さまとお婆様の旅館から手紙が来ていまして。今年の夏休み、来ないかとのことで」
「元々行くつもりだったけど、わざわざ手紙で?」
「はい。短期のアルバイト。5、6人ほど欲しいそうで」
「へぇ」
「お盆の辺りに来て欲しいそうです」
そっか、そういえばもうそんな時期か。カレンダーを眺めるともうすぐ七月だ。
「二人は、来てくれる?」
「はい」
「もちろんです」





