第八十七話 狂犬物語 3
その日から俺は不良ではなくなった。
今でも思い出せる。廃工場の床を覆いつくすように倒れる、顔を覚えている奴も、一年の頃に世話になった先輩も、たまに共同戦線を張った奴もいた。
俺はそいつらをぶちのめした。そいつらと楽しくやっていた思い出ごと叩きのめした。俺の中学二年分を叩き潰した。
空っぽになった。自分で疎ましく思っていたことも、それでもそれは俺の大部分を構成しているようで、その繋がりを捨てたとき、俺にはほとんど何も残っていなかった。
退院してきたあいつらに俺は復讐されるか期待していたが、奴らは何もしてこなかった。あの人数で碌な怪我も負わせることもできず、返り討ちにされたのだ。そうなるのも当然の事か。
廊下を歩いて図書室に向かう、その途中、人気の無い廊下、三人の男子生徒、絡まれている一人の、上履きの色から判断するに一年か、が財布を巻き上げられていた。
「おい、やめてやれよ」
「んだよ、誰だ、って、てめぇかよ。行くぞ」
思わず口を出してしまった。
「あっ、あの、ありがとうございます」
カツアゲしていた奴らが見えなくなると、その一年は律儀に頭を下げて教室に戻るのか背を向けた。
「なぁ、あのさ」
「はい」
思わず呼び止めてしまったが、何を言いたかったのだろう。思い出せない。
「すまん、何でもない」
俺は何をしている? 幽体離脱でもしているかのような気分だ。上からぼんやりと、他人事のように自分を眺めている。
一方的に退屈という理由で遠ざけておいて、勝手な奴だな。全く。
しばらくすれば不良どもは学校に来なくなった。空き机が目立つようになり、いつしか授業も成立するようになっていた。
そうして、季節はいつの間にか冬、三年になって進路の事を真面目に考えなければならなくなって、それでも俺はその事を頭から遠ざけようとしていた。今更遅い。そんな時に当時の担任からお呼びがかかった。
「なぁ、お前最近大人しいな」
「そっすか?」
「授業、結構真面目に受けていると聞いているぞ」
「そっすね。暇ですから」
「進路、考えているか?」
「全くです」
「高校、行きたいなら、協力するぞ。一年の頃、お前全然来てなかっただろ、今からでも勉強しようや」
今でも覚えている、担任の言葉を選ぶかのような少しぎこちない態度、それでも俺のことを考えているのがわかった。
「わかりました。とりあえず、進学しようかと思います」
「それが良い。どうせなら偏差値高いところ目指そう。そうすればお前の好きなところを選べる」
ぼんやりと示された目標に、空っぽだった俺は思わず飛びついてしまった。やり直せる、そんな可能性を示されたんだ、飛びついてしまっても仕方ないだろう。
その日から俺は馬鹿になったみたいに、馬鹿から脱却するべく勉強した。全力だった。
何かに追い立てられるように机に向かい続けた。
そうして気がつけば、三年になっていた。そのくらい時間が経てば俺はクラスに受け入れられ、不良はこの学校から全滅していた。あいつらはどうなったのか、頭の隅ですら考えていなかった。
それでも俺がやったことは消えない。やり直せると思っていた俺に、担任は、地元の高校には進めないという事実を突きつけた。入学させないでくれという拒絶は、俺の行いを考えれば当然の事だった。
先生も三年になってからの俺の態度の事を熱心に話して説得していたと当時の学年主任の人がこっそりと教えてくれた。だから俺は恨まなかった、むしろ諦めていた。しかしそれでもどうしてか、俺は勉強をやめなかった。
人の少なさにより実際より大きく感じる教室で、俺は無駄になった行為を延々と続ける。雪の降らないこの地域でも、冬は確実に訪れていた。
「なぁ、県外に行く気はあるか?」
「県外? ですか」
「そうだ。お前の今の偏差値で行ける高校、そして俺の知り合いがいる高校なのだが、願書、受け取ってくれるそうだ」
そうして受けた高校がお前たちと出会った高校だ。この辺りは前にも言ったかな。
地元を出る時は気が楽だった。あいつらともう会わなくて済む。過去から逃げられると思うと、新天地に行く不安よりも解放感があった。
そうして一年、色々あったが楽しく過ごしていた。楽しかった。
冬あたりだったか。あいつらがこの町に現れたのは。最初はちらりと見かけただけだ。俺は見間違えとして深く考えなかった。
けれどそんな甘いわけが無かった。奴らは俺の家に現れた。
「よう、京介さん。ずいぶん楽しそうじゃないですか」
「なんだよ、お前ら。何しに来た?」
「いえいえ、そんな怖い目なさらずに。タイマンの申し込みに来ただけです」
詰め寄って来る二人を押しのけ、萩野はそう言って俺に封筒を投げつけてきた。
「受けていただけますよね? あなたが自分の中学から不良を一掃した形になりましたけど、そのおかげでうちの高校は引き継ぐ形で一大勢力です。その全戦力をあなたの高校に送り込んでも良いですよ?」
恐怖なのか怒りなのか、俺は感情が体に作用するという事を実感したのは初めてだった。
「タイマンの意味わかってるのか?」
「いえいえ、私は裏で頭を使うのが仕事ですから、お互い自分の畑で戦えるのは僕とあなたにとってはタイマンと言えます。あなたがどう考えているかわかりませんが、僕にとってあなたは倒すべき宿敵、あなたを倒さなければ私は先には進めない。お山の大将と笑っていただいても構いません。どうせここまで好き勝手してきた僕に、まともな将来を歩めるはずは無いのですから。私にとっての卒業試験、協力していただきますよ」
あいつは、前見た時と大分印象が違っていた。全力をつくした、全てを何かに捧げた人間の面構えだった。
結局、俺は逃げきれてなどいなかった。
「賭けましょう。私が勝った時、あなたは私の傘下として、そうですね、私が率いる精鋭部隊の一番手として私に仕える。あなたが勝った時、私はあなたに二度と手を出さない。これでどうですか? お互い、けじめをつけましょう。これが最後のあなたと私の対決です」
奴らは帰って行った。期限は五月末。俺は迷った。これに勝つには俺は全てを捨てる覚悟を決める必要が
あると直感したからだった。
弱くなったものだと自分を笑った。お前と一緒にどこだったかに殴り込みした時は、あっさりと過去の自分を引っ張り出せたのによ。でも結局それと同じだと気づいた。俺はここに帰ってこない覚悟を決めて、奴らと共に帰った。
それじゃあな。
イヤホンを外した。僕は、頭を下げて、机から立って、扉に手をかけた。
「ありがとう、聞いてくれて」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
「こんなこと、大人として頼むべきではないが、私は、息子を助けて欲しいと思っている」
「わかっています」
「最低の大人だ、私は」
「最高の大人なんて、会ったことありませんよ。みんな、自分の事に必死なのは同じです。だから、人のために必死になれるあいつが凄いのですから」
あいつを助けるには、僕も全てを捨てなければならない。その覚悟を決める。僕は職員室を出た足でそのまま外に出た。
一人で抱え込むなって言われたのはいつだったか、京介の野郎をぶん殴りたくなった。だけどそこまでの道が遠かった。
「もしよかったら、あたしも行こうか? 喧嘩慣れした集団と戦うんだろ? 手が多い方が良い」
「いえ、大丈夫です。一人で行くのが、僕にとってのあいつに対するけじめみたいなものですから」
「そうか、あたしの期待した通りの答えだ。餞別だ、これ持ってけ」
「これは?」
「護身用の警棒なんて頼りにならない。そっち使いな」
竹刀袋に包まれた、質感は木刀のそれだが、少し重いと感じた。
「頑張りなよ」
「はい、結城さん。稽古ありがとうございました」
「礼は生きて帰ってきてからにしな。まったく、稽古してくれというから何かと思えば。ふん、送ってやるから行くよ」
家に帰ると、陽菜は玄関で珍しくぼんやりと座っていた。
「あっ、帰ってきたのですね。お帰りなさいませ」
「うん、ただいま。それと、行ってくるよ」
「そうですか。ならすぐに準備しますね」
「いや、一人で行く。だから陽菜、その、悪いけど、別れよう」
思ったより、言葉はすんなりと出た。ただ、どんな反応されるか怖かった。
「あいつを助けるには、全部捨てて挑まなきゃ、だから、僕も、僕のすべてを手放す」
「はい」
「勝手だけど、ごめん」
「……ふふっ、相馬君、らしいですね」
「……陽菜?」
「はい、別れようなんて言われたときは何か粗相があったのかと思いましたが、そういう理由ですか。……わかりました。相馬君の言う通りにします」
すっきりとしたような笑顔を浮かべ、そのまま自然な動作で全力のグーパンを僕の腹に叩き込んだ。
「……陽菜、何で?」
倒れ込まずに済んだが、結構重い。
「これは夏樹さんの分です、後は乃安さんと入鹿さんと私の分があります」
「ちょっと待て。落ち着け」
続けて二発。重い奴が打ち込まれた。さすがに膝をつく。
「後の一発は、飛び切り重い奴です。今の相馬君にはすこしかわいそうなので、帰ってきてからにします。なので、ちゃんと戻ってきてくださいね」
優しく頭を撫でられ、ギュっと抱きしめられる。
「全部捨てるなんて、できるわけないじゃないですか。相馬君の帰る場所はここにあるのですよ。私との恋人関係を捨てられても、相馬君が私にうんざりしない限り、私が、相馬君の帰る場所を守ります。捨てさせません。あなたのメイドは、とっても厄介な存在ですよ」
「……あぁ、ありがとう」
京介、僕とお前はとんでもない馬鹿だな。





