第七十六話 メイドと後輩の関係を考えます。
「聞いてくれ相馬。ついにピッチャーになったぜ」
「それはすごい」
昼休み、弁当を忘れた京介に連れられて行った購買の帰り。思い出したようにそう言う京介。驚きはしない、たまに見る練習では誰よりも頑張っている印象だからだ。
「というわけで何か恵んでくれ。昼飯無いのは辛い」
「早めに買いに行けばよかったのに」
「まさか売り切れてるとはな」
三年生に占領されている食堂に送り込むのも不憫だし少しくらい良いかと教室に戻る。
「あっ、お帰りなさいませ。どうでした?」
「売り切れ」
「そうですか。では桐野君には私の弁当を進呈しましょう」
「えっ? いや、全部は悪いって」
「いえ、食欲が無いので」
京介の顔がこちらに向けられる。問いかけるような目に対して僕は首を振る事で答えた。まだ陽菜は動揺の理由を明かそうとしなかった。
「それなら、ありがたく」
「はい」
昼休みは穏やかに過ぎていく。きっと外は穏やかな春風が吹いているだろ。それでも窓を開けないのは花粉症の人が頑として開けようとしないからだ。
「そもそも外に出る事すら狂っているように思えるです」
というのは入間さんの話。
幸い花粉症ではない僕には実感できない話であるが。
「それで、ピッチャーとしてのデビュー戦はいつだ?」
「ん? 今度の大会かな。練習試合では何回か投げる予定だけど。まぁ、三年生もいるし先発になれるかはわからん」
「頑張れ。楽しみにしている」
「おう」
午後の授業もこの時期は授業の説明に費やされる。一年でこんな感じの事をやりますよ~と説明されるのだが、正直意味があるとは感じない。先生自身もやれと言われているからと言っていたからそうなのだろう。
だから僕の手元には最近書き始めたネタ帳がある。一週間に一本書くのだ、思いついたネタは書き留めておかなければ。字が汚い僕は小説自体はパソコンで書いている。ここまで陽菜に提出したもの、指摘される点がだんだん増えてきているのは正直へこむ。
アイデア自体は湧いてくるが一向に腕が上がらない。
「うーん 」
今はとりあえず書こう。悩むのは、それからで良い。
放課後、場所は一年生教室。僕と陽菜と朝比奈さんの三人しかいない。
「さて、乃安さん。恐らく内容は察しているでしょう」
「はい、朝呼び出された時から」
どうしてか眼鏡を外し、姿勢を正す
「ご安心を、伊達です」
「あっ、そうなんだ」
眼鏡を外すと、落ち着いた雰囲気が消え、年齢が少し下がったようにも見えた。
二人の間ではこれから行われる会話の内容は了解済みのようである。置いてけぼりなのは僕だけ、何となくわかるが確証は持てていない。
「そうですか、確認する手間が省けます。元メイド候補生の朝比奈乃安さん」
「はい、お姉さま。改め朝野先輩」
「お姉さま?」
「はい、日暮先輩。朝野先輩が候補生だったころ、並び替えればほぼ名前が一緒だという縁でよくお世話になりました。先に朝野先輩が正式採用されてしばらく会っていませんでしたし。私もだいぶ印象変わりましたから、すぐに気づかないのも無理はありません。気づかれないようにしていましたし」
「お恥ずかしい限りです」
なるほど、陽菜が動揺するわけだ。思い出せないという事で結構怒ったのに思い出せてないのは自分だったというオチなのだから。
「俯きがちでうじうじしていたあの頃とは違うのですね」
「はい、私は変わりましたよ」
「そうですか」
「乃安さん。こちらをどうぞ」
陽菜がテーブルに置いたのはヘッドドレス。
「聞けば正式採用されたそうではないですか。どうぞ、記念です」
「ありがとうございます」
手に取ったヘッドドレスをうっとりとした目で眺め、丁寧な仕草で鞄にしまう。
「それで、どうして相馬君に近づこうと?」
「それは、言えません。申し訳ありません」
「そうですか。わかりました。今は聞きません」
「ありがとうございます」
陽菜は探るような目で朝比奈さんを見る。朝比奈さんは表情を崩さず向かい合う。二人のメイドはけん制し合っているようにも見えた。
「そろそろ帰りませんか?」
「そうですね」
そのやり取りと共に緊張していた雰囲気はすぐに解ける。それからは昨日までの和やかな雰囲気が戻る。思い出話とか聞いてみたかったが、二人は何も言わないがそれを拒否していた。
三人で電車に乗る。朝比奈さんの家は近いみたいで家の目の前まで一緒に来た。
「そういえば、朝比奈さんって一人暮らし?」
「はい、アパートを借りています」
ちらりと陽菜の方に目を向ける。僕の意思をくみ取ったのか小さくうなずく。
「夕飯、一緒にどうかな?」
「良いのですか?」
「はい、構いませんよ。二人分も三人分も変わりませんから」
二人の関係をもう少し探りたいという好奇心とも呼べる感情から来た提案なのだが。
朝比奈さんの態度は変わらない、食事を待つ間も昨日までとは変わりは無かった。
「そうですか、日暮先輩の命令で」
「はい」
一緒に食事をとる陽菜を懐疑的な目で見るも少しの説明で朝比奈さんはすぐに納得する。
「朝野先輩変わりましたね。もう私がお姉さまと呼んでいた頃とは違います」
「はい、それは実感しています」
朝比奈さんは悲し気に目を伏せる。でもそれはほんの一瞬で、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「朝野先輩の料理、さらに美味しくなっていますね。これが毎日食べられるなんてうらやましいです」
「また来なよ」
「そうしたいところですけど、訓練の一環で通っているので。ちゃんと自分の事は自分でできるようにならなければなりません。ギリギリで合格したので追加訓練が課せられて今通っているのです」
「へぇ」
厳しい世界だ、合格ハイ終わりといかないのか。
夕飯が食べ終われば三人の目の前にはホットミルクが並ぶ。それを飲みながら雑談、しばらくそうしているうちに時計は九時を指していた。
「そろそろお暇しますね」
「送っていくよ。こんな時間に女の子一人歩かせられない」
「大丈夫ですよ」
「駄目。そうだね……先輩命令?」
「相馬君、そこは自信に満ち溢れている雰囲気を出して欲しいです」
「あはは、はい、わかりました。お願いします」
そんなやり取りと共に僕と朝比奈さんは家を出る。
「日暮先輩は、朝野先輩の恋人でもあるのですか?」
「ん、そうだね」
「すんなりと認めましたね。恥ずかしがると思いました」
つまらなさそうにそっぽ向くと急に笑い出す。
「ちなみに、好きなのですか? 朝野先輩の事」
「えっ? そりゃあ……」
好きに決まっている。そう言おうとした。でも朝比奈さんから向けられる視線がそうさせなかった。どうしてかわからないが、彼女の求めている答えが肯定ではない気がしたのだ。
「わかりました。ありがとうございます」
僕の一瞬の迷いをどう捉えたのか、それだけ言って朝比奈さんは前を向く。寂しさに彩られた横顔は整った顔立ち故に美しく見えた。そして同時に陽菜に似ているとも思った。
「あっ、ここです。私の家。防犯はしっかりしていますしお風呂も付いててとても良いですよ」
簡素なアパートだなと言う印象を持ったことに気づいたのか詳しく説明してくれる。
「それでは、私はこれで。夕飯、ありがとうございました」
「作ったのは陽菜だから」
「はい、朝野先輩にも伝えておいてください。それと、明日からは名前で呼んでください、朝比奈って言い難いと思いますよ」
「うん、まぁ。そうだね」
少し長いとは感じる。
「なので。私も相馬先輩って呼びますから」
「うん、わかった」
階段を上っていく足取りは軽やかだ。扉の向こうに消える時に見せたお辞儀は確かに彼女があの派出所から来たという事を証明するかのように綺麗なものだった。
「乃安さん、乃安さんねぇ」
朝比奈さんとどちらが言い難いのだろう。
「まぁ、良いか」
家への道、ふと空を眺めるが、雲がかかっているわけでも無いのに星は見えなかった。





