第七十五話 メイドと後輩との関わり方を考えます。
さて、目の前にいる華奢な女の子と向き合う。放課後、陽菜の提案で公園よりは良いだろうと市民体育館を一時間ほど借りて稽古することになったのだが。
「防具ってどうやってつけるのだ」
「先輩、防具をつけないで稽古していたのですか」
「うん」
面、籠手、胴、垂、よく観察すれば何となくわかる。道着、袴の着方はさすがにわかったから着れたのだが。
「なら先輩のように防具つけずにやってみようかな」
「それは勘弁、怪我されたら責任取れない」
「えっ、でも……」
「良いから良いから」
「相馬君、着付けしますので動かないでください」
「ありがとう」
防具、想像したより軽いな。動きやすいように作られている。ちょっと首が回しづらくて視界が狭いくらいか。
防具は家の倉庫にあった。多分母さんが実家から持ってきたものだと思う。母さんの旧姓が垂ネームに書いてあった。カビも生えてなくて保存状態は良い。竹刀は家で父さんとの稽古の時に使っていたものを持ってきた。
「よくよく考えれば父さんの方針って無茶苦茶だな」
怪我したくなければ全部避けろって。はぁ、防具あるなら使えっての。
「それじゃあ、行くよ」
「はい!」
朝比奈さんが中段に構える。僕は左手一本で持った竹刀を持ってただ立つ。
「構えないのですか?」
「構えているよ。これが一番しっくりくるんだ」
中心線に立ち、向き合う。
「それでは、始め!」
陽菜の号令と共に朝比奈さんの気合いのこもった声が響く。それと同時にまっすぐに面が飛んでくる。横に飛び間合いを取る。これは意外と、予想外の所から飛んできたな。間合いを読み違えるのは結構致命的なことだ。
でもこれは試合であって殺し合いではない。今の飛んできた面だって僕が左手で寝かせている竹刀を鳩尾か喉に向かって起こせばそれでことは済んだ。これが殺し合いで持っている得物が本物の刀だったら。
でもこれは命の取り合いではなく純粋な剣技の比べ合い。殺しの技術ではなく剣の技術を競い合うのだ。剣は凶器、剣術は殺人術という僕のお気に入りの漫画の台詞が思い出されたがここは置いておこう。
先程から僕の返し技を悉く防いでいる。決めきれない。
だけどそれは攻め方が慎重になり、甘くなっていることを示している。つまりこちらから攻めやすくなっているという事。
少し攻め返してみる。防ぎはするが自分から仕掛けようとして中途半端な構えになることが多くなっている。
お互い離れる。向き合った状態、恐らく同時に仕掛けると朝比奈さんは考えている。
「はぁっ!」
だから僕は返し技で仕留めることにした。
打ち込まれた面を鍔で受けそのまま摺り上げる。そしてそのまま面を打った。
「一本ですね」
そう言いながらも陽菜は左手を上げる。
「なんというか、競技的な戦い方ではない印象でした。もっと学びたくなりました」
開始戦まで戻り竹刀を納め礼した開口一番がそれだった。
「やっぱり、先輩は強いです」
面越しでもわかる笑顔。気まずくなって目を逸らす。
「一旦休憩にするのが良いでしょう。お互い全力でしたから」
「うん、了解」
面を外した瞬間、涼しい風と開放感を感じた。急に視界が開ける。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
水筒には麦茶が入っていた。美味しい。
「あの、どうでした?」
「攻めも大事だけどそればかりに考えが行き過ぎて、いざ攻められ始めると中途半端に守りながら攻めるせいで隙が生じているって感じかな」
「なるほど」
「守りから攻めに転じる。攻められていると感じてからこそ冷静になるのが大事だよ」
熱心に聞いているがこれで逆に弱くなったりしたら嫌だな。教えるって難しい。
「今日言えるのはそんなところかな」
「ありがとうございます。あの、最後のあの技、教えてもらっても良いですか?」
「良いよ。と言いたいけどとりあえずどんな時も打ち方を崩さない練習が先ね」
「はい」
実戦の中で覚えた動きは本番でもできる。そんな理論のもとで鍛えられた。それゆえに理屈を説明するのはできなくもない。
結局その日は最後まで実戦形式の稽古になった。
「防具、乾かしておきますね」
「うん、ありがとう」
家に帰ってあとは寝るだけ。汗臭い体は帰ってすぐに洗ってしまった。
記憶を巡らす。僕が人前で剣を振るった経験は少ないし、女の子を助けた記憶なんて無い。
竹刀を手入れしながら朝比奈さんとの思い出を探す。
「はぁ。強いって、過大評価も過ぎるだろ」
「戦いに於いての強さでしたら相馬君は一般人よりは強いと思われますが。過小評価ですよそれは」
「そう言われてもな……」
「良く聞く話ですよ。空手歴二、三年の人が不良に絡まれてボコボコにされるとか。大事なのは実戦経験ですよ。ルールに守られていない」
僕の隣に座ると膝をポンポンと叩く。
「どうぞ。お疲れでしょう」
「うん」
竹刀を傍らに置きそのまま寝転がる。
「旦那様との稽古内容聞いたこと無かったですね。教えてください」
「ダウンさせられて五秒立てなかったら負け」
「それだけですか?」
「うん」
「具体的なアドバイスは?」
「されたけど、戦い方は戦いながら覚えた」
「えっと……」
珍しく口ごもる。頭を撫でていた手が少し止まって、思い出したように動き出す。
「いえ、何でもありません。あの脳筋と同じこと言っていることに驚いたもので」
「あれ、教えられて覚えたわけじゃないの?」
「いえ、授業自体はあったのですが。碌に聞いてる様子が無かったので聞いてみたらそのように」
ちらりと視界の端に映った時計はそろそろてっぺんを回ろうとしていて。明日も学校があるからそろそろ眠らなければと脳が指令を出す。
「寝よっか」
「そうですね」
「おやすみなさいませ」
「おやすみ」
父さんの稽古に僕はどうしてついて行けたのだろう。そんな疑問が頭をかすめて、その答えを探しているうちに僕の意識は眠りの世界へと落ちた。
「先輩! おはようございます」
「うん、おはよう」
昨日と同じ、見つけた途端嬉しそうな顔で駆け寄って来る。
「あはは、本当に待ち人は一緒だったんだ」
「夏樹もおはよう」
「うん、おはよう。陽菜ちゃんは?」
「少し寄るところがあるとか。先に行っていて欲しいと」
電車を降りた途端どこかに行ってしまった。
「そっか、それなら先に行こうか。乃安ちゃんの事も聞きたいし」
「はい、私も布良先輩の事聞いてみたいです」
夏樹のコミュニケーション能力の高さは相変わらずで、僕が来る前に朝比奈さんとは大分打ち解けたようで、見習いたいというかなんというか。どうやって仲良くなったのだろう。
「相馬君、遅れました」
「あれ、早いね」
「はい。相馬君に少々謝りたいことが」
「聞こうか」
陽菜が謝りたい事。何かされた覚えはない。僕の記憶能力が頼りない事はここ最近の事で明らかだから陽菜の言葉を待つ。
「まず、一昨日、相馬君にしたことを謝罪したいと思います」
「おっ、おう」
あれは思い出すだけで恥ずかしいから勘弁してくれ。
「あれはどうやら私が咎められるべきことでしたので」
「へぇ」
少し、陽菜の声に殺気が籠ったことに気づく。
「朝比奈さん」
「はい、朝野先輩」
「放課後、お時間よろしいですか?」
「はい、もちろんです」
にっこりと笑う朝比奈さんとは対照的に自分を落ち着けることで必死な陽菜。
「どうした?」
「相馬君、今晩あなたの言う事は何でも聞くので今はどうか何も聞かないでください。いえ、私の立場上何でも言う事を聞くのは当たり前ですけど。どうか」
「ふーん、じゃあ、さっきまで何していたか教えて」
「はい、電話です」
「どこに?」
「それは後で、私が落ち着いてから教えます」
「わかった」
陽菜がここまで動揺すること、それを想像しながら、野球部の朝練の声が響く朝の学校に入って行った。





