第七十二話 メイドと夢を追いかけます。
「やっほー、はいこれ、こないだの公演会の記念写真できたから渡しに来た」
「ありがとうございます」
一月も終盤。この時期になると三年生はいない。学校も静かなもので、どこか寂しい雰囲気が漂う。
「いやはや、色々な緊張から解放されたからさ。何と言うか、普通の日常ってありがたいなぁと」
「部長、色々なところ駆けまわって忙しそうにしていたですからね」
「小道具集め大変だったし、会場取ったりチケット作ったり。来年は顧問も仕事しろってきつく言っておいたから安心してね」
「ありがとうございますですけど、まずは部員集めですよ」
「そうだね」
外は晴れて明るい。開いている窓から冷たい風が吹き込む。昼休みは保健委員の指示で窓を開けて換気することになっているが、寒さで風邪をひくことになりそうだ。
「良い風ですね。気持ちいいです」
「寒くないの?」
「はい。相馬君は寒いのですか? でしたら私の手作りマフラーを巻いたらどうですか? 手作りマフラー」
手作りマフラーという部分を強調して言いながら勝手に僕の鞄から持ってきて巻いてくる。
「これで温かいです」
「見せつけてくれるね~。さて、改めて。助っ人ありがとう。君たちがいなかったら成功は無かったどころの話じゃない。そもそも公演自体ができなかった。ありがとう何て言葉じゃ足りないし、この恩は返しきれない。本当に感謝している」
深々と頭を下げる。
「部長、素直に泣いても良いのですよ。隠しきれていませんですから」
「うるさいな入間ちゃん」
「はいはい、部室行きますですよ。入鹿からもありがとうですよ、部長連れていくので先食べていてくださいです。昼もそこで済ませるですから」
二人を見送り教室に戻る。京介は僕らを待っていたようでまだ弁当を開けていなかった。
「来たか。あれ、入間は?」
「部室行った」
「そうか。いやはや、お前らの劇すごかったなぁ。内容は短かったけどそれでも圧倒されるものがあったぜ」
「それは大袈裟ですよ」
口ではそう言う陽菜も多分褒められて嬉しいのだろう、何となくわかる。
何かをやり切った。その実感と興奮はまだ残っている。これを求めて人は何かに挑戦するのだろう。
「相馬君、貧乏ゆすりは良くないですよ」
「ごめん」
じっとしていられない、かつてない衝動が僕の中にある。目的地が見つからない暴走特急、僕は何がしたいのだろう。
消化試合のような午後の授業中もずっと悩んでいた。
「なるほど、それでずっとそわそわしていたのですか」
「おう、わかりやすかったか?」
「はい、とても」
きちんとメイド服を着て目の前の、この間プレゼントしたカップに紅茶を注ぎ入れ僕に差し出す。
「さて、やる気があるのにそれを向ける先が無いのですか。では、改めて、今やりたいことを書きだしてみましょう」
「よし」
悩むこと五分。くるりと紙を回して差し出す。
「なるほど。面白いですね」
「だろ」
「結構険しい道ですが」
「そんなのどんな道でも変わらないだろ」
「いえ、さすがにこれはそのどんな道の中でも一際険しいものです。えっと、何がきっかけですか?」
「何だろうな。まずは陽菜をずっと僕の傍にいてもらうにはそれなりの収入が必要じゃん」
「はい」
「そんでもってこの間の演劇の台本のために陽菜を手伝った時思ったのよ。僕もやってみたいなと」
「それで小説家ですか? 印税で贅沢は難しいと思いますよ」
「そこは僕の努力で」
「頭ごなしに無理と言うつもりはありませんが、努力でどうにかなる世界ではないと思いますよ」
「はい」
「まぁ、将来の事はもう少しじっくり考えるとして。それならばまず文章力をつける訓練をしましょう。相馬君は国語は平均的ですから、語彙力もある方だとは思いますし。読書も結構されていると思いますので発想力と文章力ですね」
「えっ、おう」
「何を驚いているのですか? 言ったではありませんか。相馬君が目標を見つけたならそれを全力でサポートしますと」
「そうだけど」
「だからサポートです。一週間に一本短編を提出してください」
「うん」
「期待していますよ」
考えたとき、まずは陽菜と一緒にいられることが前提になっていた。陽菜と一緒にいるにはそれなりの収入を安定して得なければならない。小説家は安定しているとは言えないが、それでもどうしてかそれを選びたかった。
「相馬君が私と一緒にいたいということは伝わりました。とても嬉しいです」
「ありがとう」
「いえ、お礼を言うのは私の方ですよ」
そして一週間。初めての提出。目の前で自分の作品を読まれるというのは結構恥ずかしいな。真面目に書いたのは初めての体験で結構大変だが楽しいとも思った。
「あの、相馬君」
「どうした?」
陽菜の顔が怪訝なものに変わる。ここまで表情を変えるのは珍しい。
「はぁ。私には物書きの才能が一切無いのがよくわかりました。演劇の台本も相馬君が書けばもっと良いものができたかもしれません。少し出かけてきます」
原稿を鞄に入れると陽菜はどこかに行ってしまった。
「これは追いかけた方が良いのだろうか」
その問いかけに返事があるはずもなく僕は一人リビングに取り残された。
私は宛もなく歩いていた。少し一人になりたかった。立派な職務放棄だ。自分の感情を押し殺して何かアドバイスでもできれば良かったのに。
相馬君の小説は粗削りで指摘する点もあるけど。その出来は私が書いた作品なんかよりかなり良かった。そして自分の書いた演劇の台本が恥ずかしくなった。
もう暗い。街灯が頼りだ。
別に物書きになりたいわけでは無いのに。負けたことが初めてでもないのに、どうして私は逃げているのだろう。
「あれ、朝野さん。どうした」
「桐野君ですか。こんばんは」
突然止まったバイクに乗っていたのは桐野君。
「おう。それで何しているんだ?」
「散歩ですよ。桐野君は?」
「ちょっと買い物。大きなスポーツ店といったらこの町しかないからな」
バイクから降りてヘルメットを外して私の横に立つ。頬の傷を恥ずかし気に掻く。
「なんかあっただろ。俺で良かったら話してみ」
「いえ、何にもありませんよ」
「何にもありませんという顔してねぇよ。一年近く仲良くしていれば多少の変化も気づくっての」
連れ立って近くのハンバーガーショップに入る。
席を取っておいてくれという彼の指示に従って私は奥の方の席を取った。相馬君は心配しているのでしょうか。ずっと感じていた罪悪感は膨らんでいく。
「ほれ、とりあえず食え」
「えっ?」
差し出されたハンバーガーと桐野君を見比べる。
真っすぐな目だな。そう思った。
「いただきます」
だから素直に受け取れる。
「喧嘩でもしたか?」
「違います」
「だろうな。お前ら喧嘩とかしなさそうだ。お互いがお互いに不満を感じていない、むしろ必要を通り越して必須になっている感じもするぜ」
「そう、ですか?」
「なんてな。俺の話はどうでも良い。朝野さんの話だよ」
「あっ、はい」
私はいつの間にか先ほどあった出来事を話していて。それを桐野君は黙って聞いていた。
「なるほどな」
そう言って一つ頷くと自分の目の前に置かれていたハンバーガーを一気に食べた。
「わからん」
「何がですか?」
「できないことがあるのは当然。朝野さんはもう学んだことだろ。俺には共感できない感情だなと」
「そう、ですか」
出しゃばった私よりできる人が傍にいて、自分の書いたものが今更恥ずかしくなった、それだけのこと。
「俺は、自分のやったことに後悔することはあっても否定はしないぜ」
「どういうことですか?」
「それが今の自分を作っているものだし、俺にとって仲間を否定するようなものだからな。朝野さんはどうだ?」
図星だ。何も言い返せない。私は黙って俯くことしかできなかった。
「俺から言えることはこれくらいかな。後は任せたぜ」
「気づいていたんだ」
桐野君が振り返った先、つまり私から見て目の前の席に座っていた人。
「そりゃあな。そんじゃ俺は帰る」
桐野君と入れ替わりに相馬君が目の前に座る。
「えっと、勝手に出て行って申し訳ありません」
「あはは、うん。確かにびっくりした」
「どうして、ここがわかったのですか?」
「財布も定期も置いて行っていたからさ、この町を重点的に探せばすぐ見つかるよ。ほら、帰ろう」
「怒らないのですか?」
「怒っているさ」
表情を変えないままそう言う。
「勝手にあの演劇を黒歴史にしようとしているのはさすがに怒るよ」
「すいません」
「僕は手を上げなかった。陽菜は手を上げた。それは大きな違い。いくら書く力があっても一歩踏み出せないなら無いのと同じ。だから僕なんかよりもすごいよ」
本当に、優しい人だな。
「本当に怒っているのですか?」
「怒っているよ」
全くそうは見えない。感情を表に出さないだけの私とは違う。
「相馬君の小説の感情表現が下手な理由がわかりましたよ。もっと人の感情を研究してください」
「はい」
さて、家に帰ったら赤ペンタイムだ。少しだけ厳しめにしよう。そう決めながら見上げた空は綺麗な星空だった。
「そう言えば。はいこれ」
差し出された私のコート。改めて自分の格好を見下ろす。そういえば着替えないで出てきてしまった。
「メイドという職業が本格的に日本に広まらないでしょうか。そうすればこの格好も不自然ではなくなるのに」
「そうなったら良いね」
やっぱり少しだけ、甘口にしよう。





