第七十一話 残酷な正義に捧げる鎮魂歌
男がいた。男は壁にもたれ天井に目を向ける。しかしその目は別の物を見ている。
「おい財前、本当なのか。宣戦布告をするという話は」
「あぁ、上の決定らしい」
その日、訓練終わりに発表されたのはもうすぐ戦争が始まるという話。しかも相手は大国の中でも最強の国、敗北は必至だ。
「だが荒谷、軍人として国に尽くすのは当然のこと。従うしかあるまい」
「そうだが……。いや、何でもない」
笑って見せるが荒谷の表情は暗い。
「明日からの訓練、さらに厳しくいくぞ。訓練メニュー頼んだぞ」
「わかった」
荒谷の表情は晴れない。軍の中でも戦略において大きな発言権をもつ彼にこの戦争に賛成の意を素直に示すことはできなかった。
「まずは最初のシーンお疲れ様。良い表情だよ、日暮君」
「ありがとうございます」
舞台袖から見える観客の目はしっかりと舞台の方を向いていた。
「さっ、行こう」
「少しは休んだらどうだ」
「いえ、少し考えなければならないことがあるので。このデータを見る限り、我が国の戦力では防衛にすべてを注いでも一か月でといった所でしょう。鷺沼大将」
「貴様、我が国が負けるというのか!」
「戦略的観点で見た結果です。私は、国民のためにも、勝てない戦いに挑むべきでは無いと考えます。戦わないことも、国民を守ることに繋がると考えます」
言い切った荒谷の頬を鷺沼の拳が襲った。
「今の貴様の発言は聞かなかったことにする。頭を冷やせ」
荒谷の手から資料を奪うと破り捨てる。
「戦略会議にお前はもう呼ばない。一兵卒として最前線に送り込む」
「大将! あなたは国民を守るために軍人になったのではないのですか?」
「主君を守る。それが軍人の仕事だ」
「国民あっての国であり主君です。国民を蔑ろにすることなど私にはできません!」
もう一発、拳が荒谷の頬を襲った。
「それ以上言うのであれば命は無いと思え。今日はもう寝ろ」
鷺沼は去る。一人取り残された荒谷はしばし立ち上がることは無かった。
一か月が過ぎたある日の休憩時間、財前は荒谷に話しかける。
「お前、何をやった。お前を戦略会議から外すなんてありえないぞ。何をやらかした」
「別に、たいしたことでは無いさ」
税が重くなった。軍需工場の売り上げが上がった。実戦訓練が増えた。元々裏方にいることが多い荒谷にとっては厳しいものだった。
荒谷は焦っていた。このままで良いのか、このまま戦争に走って良いのか。自分は何もしなくて良いのかと。
「なぁ、脱走兵は死罪だっけ」
「そうだな。最近はいないが」
「そうか」
軍の中ではもう変えられない、止める力を失ってしまった。残された道は少ない。
部屋で一人荷物を纏める。やるしかない。その時の荒谷の中には決意しかなかった。国民を守る、それしかなか考えていなかった。
「行くのか?」
「財前、止めに来たのか?」
「あぁ。脱走兵を見逃すことは立場上できない」
「そうか」
荒谷は銃に手をかける。
「まて、取引をしよう。俺は今武装していない、逃がすから命は見逃してくれ」
「おかしな話だな。止めに来たなら武装してくるものだろ」
「いやはや不覚だったよ。うっかりしていた」
荒谷は手を下ろし背を向ける。そのまま夜の闇に紛れ繁華街の人混みに紛れる。その日、荒谷はすべてを捨てた。
幕が一旦下ろされる。休憩だ。
「ナレーションお疲れ様、入鹿ちゃん」
「部長もお疲れ様です」
十分休憩の間に着替えてステージの準備をする。
幕が上がる。
「またやられた!」
「くそ、一週間連続だぞ」
軍服の男二人が頭を抱える。
彼らが見ているのは戦車や軍用車。どれもタイヤから空気が抜かれていたりハンドルが壊されていたりしている。少し離れた所に置かれている戦闘機たちも同様だ。
「またやられたのか?」
「財前さん……。はい、申し訳ありません」
「いや、良い。……これがお前のやりたかったことなのか、荒谷」
「みんな、準備は良いか? 警戒が高まっている今こそがチャンスだ。外の見回りに気が向いている今ならそれを突破すれば中は手薄だ。ここは戦力の主要が集まっている。ここを潰せば少しは宣戦布告を遅らせられて説得の時間ができる」
荒谷の考えた作戦はこうだ。外で爆発を起こし陽動、その間に主要部隊は中に進入し、兵士を殺害。陽動部隊と共に逃げながら戦車などの兵器を破壊する。荒谷が一年の努力で集めた人たちによる初めての大規模作戦だ。
表情は晴れ晴れとしているが目は暗い。当然だろう、作戦のために武器を不正に入手し、かつての仲間を殺そうとしている。
「これも、国民を守るためだ」
盃を掲げ一気に飲み干し机に置く。合図はそれだけだ。
爆音が鳴り響く。
「行くぞ。ここを突破できれば」
「荒谷、俺はお前の作戦を何回成功させてきたと思っている。やり口はお見通しだ」
「財前……」
「陽動部隊は既に鷺沼大将の部隊が抑えている」
「馬鹿な……」
「もっとやり方はあったはずだろ」
既に荒谷一人を残し全員射殺された。
「無いさ、この国は腐っている。どんなに叫ぼうと、国に意見を投げかけようと、すべて無視された! ふざけるな! 何が国を守るだ! 自殺しに行くような軍隊に、政府に、何が守れる!」
閃光玉を床に叩きつけようとするが一瞬早く銃声、手を打たれ閃光玉は地面に転がる。
続いて銃声、足を撃たれた荒谷は地面に転がった。
「……ここ、まで、か」
「あぁ、ここまでだ。俺もすぐに追いかけることになるさ」
「畜生、私は、間違っていたのか」
「……勝った方が正義だったら楽な世界なんだけどな」
荒谷は取り調べのため、その場では殺さず警察に身柄を引き渡された。
独房で一人、隠し持った短刀を見つめる。腕を切り、その血で持って何やら書き込みそのまま喉元に刃を突きたてた。
「面会か」
「はい」
「しばし待て」
財前と鷺沼は帽子を脱ぎ、腰に下げた水筒から水を飲む。
「許可が出た。ついてこい」
独房の前、二人は立ち尽くす。
血で書かれた遺言は一部は読めるが、ほとんどが塗りつぶされ読めなかった。
幕が下りる。結局タイトルは変えなかった。拙い内容だったがどうにか成功したと言えると思う。
「日暮君、ほら、来て」
一列に並ばされ、そして目の前の幕は再び上がる。
「皆さん、今回は見に来てくださってありがとうございます。部長の天音です。重い内容だったと思うけど楽しんでくれたらうれしいな」
それから一人一人自己紹介をした。こんなの聞いていなかったぞ。
「それじゃあ、次回の定期公演もお楽しみに!」
幕が下りていく。
「これで終わりじゃないよ。ほら、外に出て。お客様の見送りだよ」
「は、はい!」
部長に背中を押されながら外に出る。
「ありがとうございました」
五人で並びお客様が全員出て来るまで見送る。部長は他校でも有名らしく、結構話しかけられている。
まだ余韻に浸っている。何かをやり遂げた感覚、ふわふわした気分だ。ほんの数分前の出来事すら朧気で、時間が流れるのが速い。
「いやはや、ありがとうね布良ちゃん。打ち上げの店の予約。布良ちゃん言ってくれなかったら忘れてたよ」
「いえいえ~」
「野球のみんなもありがとね。君たちがいなかったらできなかったよ」
そう言うと、野球部キャプテンが一歩踏み出し、部長に花束を差し出す。
「俺たちは熱意に応えただけです。お疲れさまでした」
拍手が起きる。
今ならはっきり言える。楽しかったな、と。
月曜日。
「ふわぁ。おはよう」
「おはようございます。相馬君」
早起きな陽菜が部屋を暖めておいてくれているから起きるのは苦ではない、しかしながら昨日は夜遅くまで騒いだから眠い。
「今日は久々の日課ですか?」
「そうだね」
劇の練習のために始発に乗っていたけど、もうその必要は無い。ゆっくりできる。
「相馬君」
唇を合わせられる。
「最近、やっていませんでしたから。寂しくなりました。もう一回良いですか?」
「うん」
今度はさっきよりも長く、唇を合わせるだけのキス。顔を離せば少しだけ頬を染めて俯く陽菜がいる。
「それじゃあ、すぐ戻るよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
最近手入れしていなかったかまくらは崩れかかっている。春までは保存しておきたい、降り積もった雪で補強していく。
怒涛のイベントラッシュの終わりを彩るのは降り積もる雪。この余韻はしばらく続きそうだった。
もうすぐ二年生編スタート。





