第六話 メイドとGWを過ごしてみます。1
いつも通りの時間に目が覚める。目覚めは良い方だから起きるのには苦労しない。
ジャージに着替え一階に降りると陽菜はもうすでに朝の仕事を始めていた。
「陽菜、おはよう。いってきます」
「おはようございます。行ってらっしゃいませ、ご主人様」
五月の寒いというより涼しい朝を駆け抜ける。通い慣れたランニングコースは桜が散ってすっかり緑になっていた。いつも通りの時間に目的地の神社に着く。
息を整え構えを取る。父親に教え込まれた格闘術の練習と言うか確認をする。絶対に忘れるなと言われているし自分も覚えておきたいとは思う。実際に人と戦うのとは違い、こういうのは一人でやってもせいぜい型の確認しかできないがやらないよりはましだろう。父親は去年の今頃出張に出たからかれこれ一年ほど実戦練習をしていないことになる。とは言っても父親はかなり強いと思うからその経験だけでもかなり役に立つはずだ。というか世の父親があれくらい戦えたら怖い。何を思って熊を素手で倒せるほどに強くなろうと思ったのかはいまだに謎である。
一通り型の確認し終わったら今度はダッシュで家に帰る。ウォーキングやランニングをしている他の人たちを追い抜きそのまま家に帰る。
これが僕の朝の日課だ。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま」
「シャワーの準備はできているのでどうぞ」
「ありがとう」
毎朝僕が帰って来るのに合わせてシャワーと朝食の準備がされている。着替えまで準備されるのは少し恥ずかしいがやめてくれとも言いづらい。
熱めのシャワーを浴びて出てくるころには朝食の準備は済んでいる。僕が食べている間に陽菜は別の仕事に取り掛かる。陽菜はまだ僕とはご飯を食べてくれない。弁当の時は幼馴染として僕と一緒に食べてはくれる。メイドとしての陽菜、幼馴染ではないけど幼馴染な陽菜。でも僕はまだ陽菜を知らない。
朝食を食べ終わり、やることがない僕はそのままリビングのソファーで何をするわけでもなく怠惰に過ごす。無気力にそこにいるだけの物になる。掃除機をかける音が洗濯物が出来上がった音と同時に止まる。僕が陽菜の仕事を手伝う余地は無いし陽菜が許さない。一度手伝おうとしたがあっさりとその仕事は取られてしまった。
「メイドの仕事を全うさせてください」
そう言われてしまっては任せるしかあるまい。
感情はちゃんとあるし、メイドと言う仕事に強いこだわりがある。その事はわかってはいた。けど彼女はどうしてそこまで尽くそうとするのだろう。仕事だからという一言で済ませようにも済ませられない話だと思う。わざわざ同じ高校に入学する必要なんて無いはずだ。むしろその方が仕事も多少は楽になる。妥協を許さないという彼女の姿勢なのだろうけどどうにも腑に落ちない。
「ご主人様、午前中の仕事が終了したことを報告申し上げます」
「うんお疲れ様」
陽菜は平常運転、怠惰な僕を呆れるわけでも蔑むわけでもない。
スマホを開くと桐野から練習がきついと連絡が来ていた。
自分で選んだ部活だろとだけ返しておく。
ソファーで寝転がる休日を過ごすよりは立派ではあるが。
「陽菜、少し出かけない?このままでは漬物にでもなりそうだ」
「はい、仰せの通りに」
準備して外に出る。特に行く宛があるわけでもない。一人で出かけるのも悪くは無いがなんとなく寂しいとも思ったし、陽菜を知る機会にもなる気がしたから連れ出す。
「陽菜は行きたいところある?」
「いえ、ありません。この町に詳しいわけでもないので」
「そっか。そうだな……」
特徴のない町だなと恨めしく思う。
とりあえず昼食がまだだという事を思い出し、どこで食べようかと散歩がてら探す。
「陽菜って好物とかある?」
「基本的に好き嫌いはありません」
「ラーメンとかどうよ?」
「ご主人様がそうしたいのであれば」
「その格好でご主人様と言われると変な気分だな、学校での呼び方にしてもらえると助かる。今は幼馴染の陽菜でいてくれるかな?」
「わかりました。相馬君」
この前僕が選んだ黒のワンピースを着ている陽菜、良く似合う。我ながらナイスな選択だと思う。僕の趣味で選んで良いと言ったのだから別に変な意味ではなく言われたとおりに僕の趣味で選んでいただけだ。
スマホで調べ、ネットでおいしいと評判で一番近いラーメン屋を選ぶ。
「相馬君は何を選びますか」
「そうだな、初めての店だからネットで評判のつけ麺を食べようと思う」
「なるほど、では私も同じもので」
ここはサービスが良い、ゆで卵は机に乗っているものに限り食べ放題とは。
「おいしいですね、このゆで卵」
「湯で加減が丁度良い。ゆで卵と言えば塩だけどマヨネーズも捨てがたい」
マヨネーズは無いけど。
しばらくして注文していたつけ麺が届き、一緒にいただきますをする。
「そういえば陽菜って得意な料理とかあるの?」
「レシピ見れば大体作れますけど強いて言うのであれば卵焼きですかね。旦那様から相馬君は卵焼きが好きだと伺ってから研究しましたので」
「父さんとはいつから知り合いなの?」
「去年依頼にいらっしゃいまして、それから相馬君の志望校を伺ってそこに入学する準備を始めつつ相馬君について全部聞きました。なので小学校の途中まで海外で暮らしているのも知っています」
「へぇ」
「旦那様が相馬君をとても大事にしていることがよく伝わりました。私に依頼を出してから海外出張に行かれたみたいで。しかし困りましたね、私の退職願、旦那様に出す契約なのですがこれでは海外に郵送することになりますね、直接出すのが礼儀であると教えられているのですが」
「えっ、陽菜辞めるの?」
「いえ、辞めるつもりはありませんよ」
「お、おう」
陽菜が辞めると聞いて一瞬焦った。辞めるんだあっそう、と思えなくなるほどには浅い関係ではなくなってしまった。
食べ終わり会計を済ませて店の外に出る。このまま帰ってしまうのも味気ないけど、かといって行くところも無いしな。
二人でぶらぶらと歩く。そう言えばこういう特に何かをしなきゃいけないと迫られることない休日も久しぶりだなと思う。
「あの、相馬君。そう言えば調味料が心許ないので買いに行ってもよろしいですか?」
「OK、行くか」
二人でスーパーに行くと丁度夕方の時間帯で店は込み合っていた。しかし陽菜が言うに今日明日分の材料は既に用意されているそうで、調味料を買うだけで済んだためすぐに買い物は終わった。
「兄妹でお買い物かい?仲良いね。妹さんの方はよく見るけど今日はお兄ちゃんも一緒なのね」
レジのおばさんにそう言われたときの陽菜の表情がわずかにひきつっていた。
「妹ですか。私と相馬君そんなに似ていますか?妹に見えますか?お兄ちゃんとお兄さんとお兄様と兄さんと兄様と兄ちゃん、どれがお好みですか?」
「いや、今まで通りで良いよ」
袋に買った物を詰めながらそんな会話をする。こんな会話ができる程度には仲良くなれたのが嬉しい。
買い物が終わり、少し歩き疲れたしすぐに冷蔵庫に入れなきゃいけないものもないから近くの公園で休むことにした。
隣でお行儀よく座る陽菜、夕方のこの時間がとても心地が良い。
特に話すわけでもなくベンチの上でくつろぐ。この気温は眠気を誘うには丁度良すぎると思う。夕方だからだろう、子ども達もそろそろ帰り始める時間帯、また明日遊ぼうね言う声がまばらに聞こえる。
日も長くなってきたとはいえ、そろそろ冷え始めてきた。そろそろ帰ろうかなと考えたとき、肩に小さな重みを感じた。
肩に控えめに頭を乗せ眠る陽菜。疲れていたのかな。もう少しここにいても良いかなとも思うが、そろそろ風邪をひかないうちに帰った方が良いだろう。
よし!
そっと起こさないように陽菜を背負う。思っていた以上に軽いことに驚く。
「起きないでくれよ」
兄妹に見えるならこういう風にしても全然不自然じゃないだろう。
そのまま家に帰りソファーに寝かせる。
起きないな。そっと頭に手を乗せて撫でる。髪サラサラだな。自分の部屋から掛布団を持ってきてそっとかける。起こすつもりは無い、今日はこのまま休ませてあげよう。
数時間後、起きてきた陽菜が稀に見る慌てぶりで謝ってきた。