第六十六話 メイドと友達の家を訪ねます。
「日暮君は初めてだよね、私の家に来るの」
「そうだね」
マンションの一室、布良さんに連れられやって来たは良いが誰もいない。
「夏樹さんの御両親は心配していらっしゃらないのでしょうか」
「あはは、わりと放任な所もあるからね」
布良さんは和室に繋がると思われる襖に手をかける。
「やっぱり、鍵かかっている」
後から増設されたと思われる鍵、南京錠がかけられている。
「この部屋には何が?」
「お兄ちゃんの仏壇」
「布良さん、一人っ子だって……」
「ごめんね、嘘吐いちゃった」
顔を伏せて気まずそうにする。だから僕はできる限りの優しい笑顔を向ける。
「怒ってないよ。秘密を許し合う関係でしょ?」
「日暮君……」
「教えてくれてありがとう」
「うん」
「うわぁ!」
とつぜん抱き着かれる。柔らかい……。
「夏樹さん、私も怒る事ありますよ」
「ごめん、嬉しくて。昨日今日と、二人とも私を泣かせるの上手だね」
肩を震わせる布良さんの頭を撫でる。
「やる事陽菜ちゃんと一緒だ」
「いつも相馬君が私にやることですよ」
「そうなんだ」
「さて、私が私を抑えられなくなる前にこの鍵開けてしまいましょうか」
「えっ? 開けられるの?」
涙に濡れた布良さんの顔が少しだけ明るいものに変わる。
「はい」
ポケットからヘアピンを二つ取り出すと扉の前にしゃがみ作業を始める。
「開きました」
「はやっ!」
「最近の鍵ですとそれなりの道具が無いと難しいですが、この程度の鍵でしたらすぐに開けられます」
襖を開ければ確かに仏壇が置かれていて、布良さんそっくりな男の人の写真がある。
「お兄ちゃん、ただいま」
仏壇の前に座るとそう言って写真を抱きしめる。その背中はいつもよりも小さく、幼く見えた。
「夏樹! 帰ってきているの!?」
玄関から女性の声がする。慌てて部屋から布良さんを出して鍵を閉めなおす。
「夏樹さんのお母様ですか? お邪魔しています」
「あっ、はい。ご丁寧に」
陽菜が即座に対応してくれたおかげでとりあえずは穏やかに話を始められそうだ。
「実は昨日夏樹さんは私の家に泊めさせていただきました」
「あっ、はい。うちの家出娘をありがとうございます。親御さんにもお礼申し上げたいのですが」
「申し訳ございません。一人暮らしなもので」
「そうですか」
布良さんのお母さんはペコペコと頭を下げる。布良さんは閉まった襖をじっと眺めている。
「お母さん、鍵は?」
「開けませんよ。次開ける時は中のものを処分する時です」
「罰当たりな」
お互い声がおっとりしているせいか、言い合いに迫力が無い。
「いつになったらお兄ちゃん離れできるのやら」
「ふんっ」
「はぁ、お二人とも、お茶でも如何ですか? 大したものは出せませんが」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
しばらくして、高そうなお菓子と共にお茶が出される。四人掛けの机に親子と向かい合わせで座る。
「そういえば、そちらの方は?」
「日暮相馬です。陽菜の幼馴染です」
「なるほど。夏樹がいつもお世話になっております」
「いえ、僕の方こそ、助けてもらってばかりで」
緊張して舌が回らない。布良さんのお母さんか……。
椅子の下でギュッと手が握られる。陽菜はこちらを見ないが優しさは伝わって来る。
それから、学校ではどんな様子か泊まりではどんな様子だったかを聞かれた。陽菜は仏壇を処分する理由は聞かなかった。
「お邪魔しました」
「あっ、待って。駅まで送っていくね」
マンションを出ると、雪景色は夕焼け色に染まっている。キラキラと反射した光が眩しい。
駅までの道を三人で歩く。
「ありがとね。二人のおかげでお母さんたちとは仲直りできそう。仏壇はもう少し争うけど」
「そうですか。頑張ってください」
「うん」
その時、少し離れた所から車が急ブレーキをかける音が鳴り響いた。そして僕らがこれからわたる横断歩道に猫が跳ね飛ばされてくる。ピクリとも動かない猫を避け車は走り去る。
「あっ……」
「夏樹さん?」
「あぁ……」
その場に崩れ落ちると頭を抱えて動かなくなる。
「夏樹さん? 大丈夫ですか?」
「そっか、そうだったんだ」
虚ろな目でこちらを見上げる。その顔は寒さには慣れたはずなのに身震いをしてしまう。
「お兄ちゃんを殺したの、私だ」
様子がおかしくなった布良さんをマンションまで連れ帰り事情を話すと、今日は帰るように言われ僕らは家に帰った。
「明日にはいつもの夏樹さんだったら良いのですが」
「そうだね」
お互い、食事も喉に通らなかった。初めて陽菜の作った料理を残した。
「明日リメイクするので気にしないでください」
「うん、ごめん」
「いえ、わかりますから」
明日も練習がある。今日ようやく形になり始めてきた演劇、棒読みではなくなり、布良さんのセリフにも迫力が出てきた。
「私には、何ができるのでしょうか」
その質問は答えを求めていないのはわかった。僕らは布良さんを知らな過ぎる。布良さんの抱えている闇を知らな過ぎる。
連絡が来ない。きっと連絡ができる状況では無い。一人、自分の部屋で壁に背中を預ける。初めて母さんがいなくて寂しいと思った。夏樹さんもお兄さんがいない寂しさ、こんな寂しさを抱えていたのかもしれない。陽菜も抱えているのだろうか。
「もしもし」
『よう、相馬。そっちから連絡してくれるとは珍しいな』
「そういう事もある。ありがとな、演劇部の手伝い」
『気にするな。俺らの仲だろ』
「京介は、どうして僕と向き合おうと思った?」
『あ~、拳を交えたときの話か?」
「そうそう」
『んなもん言っただろ。ダチが腐っていくのを見ていられるかって』
「そうだったな」
京介に連絡した理由。お礼を言いたいのもそうだったが、何となくヒントをくれるかもしれないという勘があった。
布良さんがもし助けを求めているなら、僕はどう手を差しだせば良いのだろう。
『まっ、誰かと向き合うなら。一つだけ絶対に守らなければならないことがある』
「何や?」
『目を逸らすな、それだけだ。それじゃ、明日も早いから俺は寝る』
「あぁ、おやすみ」
電話が切れる。まずは明日か。
暖房の効いた演劇部部室、陽菜はさっきから入口の周りをうろつき、スマホをひっきりなしに確認している。こんなにそわそわしているところを見るのは初めてだ。
「おーす、今日も頑張ろう」
「おはようございます。天音部長」
「ういっす、二人は早いね。それじゃあ私は顧問の所に少し用事があるから二人が来たら先に始めてて」
「はい」
部長が出て行く。
「おっと布良ちゃん。おはよう」
「おはようございます」
廊下からそんな声が聞こえ、閉められたドアを陽菜が勢い良く開いた。
「おっと朝野ちゃん。びっくりした」
「おはよう、陽菜ちゃん」
「おはようございます」
一見いつも通りに見える。部室に入って来る布良さん、荷物を置くと僕の方に来る。
「おはよう、お兄ちゃん」
「はい?」
虚ろな笑顔を浮かべた布良さん、言っている意味が分からず、抱き着かれているのにも気がつかなかった。
「布良さん?」
「布良さんじゃなくて夏樹。傷ついちゃうな、他人行儀だなんて」
甘い香りがする。抱き着きながらこちらを見上げる目にいつもの布良さんはいない。
「ほら、名前を呼んで、お兄ちゃん」
「……夏樹」
「良くできました」
そう言って僕から離れる。これは、どういうことだ。僕がお兄ちゃん?
陽菜も呆然としたまま動かない。布良さんは僕の隣、僕と同じように壁に体を預け、肩に頭を乗せて来る。
入間さんを待ち練習を始める。練習中の布良さんはいつも通りでさっきまでのは何か悪い冗談かと思った。それでもいつもと違う笑顔が現実であると示してきて、布良さんの中で何かが壊れてしまったことを教えた。
頭を回す。心を燃やす。布良さんを元に戻して、演劇を成功させる。
言葉にするのは簡単だが、あまりにもハードルが高かった。
冬編の本編はどこからかと聞かれたらここからかな。





