第六十一話 メイドの我儘に応えます。
今日は初めて一人で登校する。新鮮だが何か物足りない、いつもなら他愛の無い話で盛り上がっているか、心地の良い沈黙の中で朝の空気を味わっているところだ。
雪道の中、滑らないよう気を付けながら歩く。昨日今日と晴れたため、少し溶けかかっている。さっきから滑りかけて危ない。道路わきに雪が積み重ねられ、狭くなった道、ギリギリのところで車とすれ違う。もう少し考えてほしいものだ。
陽菜がいないとどうでも良いことばかり考えてしまう。いつも後ろか横にいる安心感、いないとこんなにも寂しい物なのか。
気がついたら学校はもう目の前、学校の中にはきっといるだろう。いつも通り聞こえる運動部の練習する声、校舎の中に入る。急ぎ足で教室に向かう。会いたいな。
教室の扉を開ける。誰もいない。ヒーターの効いた教室は今日もいつも通り授業があることを示している。
「早すぎた」
阿保か僕は。
「そうですね。早すぎです」
「陽菜?」
「はい」
振り向くとコートもマフラーも腕に抱えて、ほんのりと汗をかいている陽菜が立っていた。
「早いよ陽菜ちゃん」
「そうですよ」
「すいません」
みんな暑いからと荷物を教室に置いて廊下で過ごすことにした。
「どうぞ、汗ふきシートです」
「ありがとう」
夏とは違って、暑くてもこういう空間がどこにでもあるだけ僕は冬の方が好感を持てる。
「昨日は寂しかった?」
「おう」
「正直でよろしい」
クスクスと布良さんは笑う。
雪の中で練習したのか、野球部が疲れた様子で歩いているのが窓から見えた。ここからまだ練習するのだろう、授業中寝てしまうのはある意味では仕方のないことなんかもしれない。
「そういえば相馬君、昼食持ってきました?」
「あっ、忘れた」
「おぉ、さすが陽菜ちゃん、予感的中だね」
「相馬君の事は何でもお見通しです」
どうやら陽菜はそれを見越して作って来たみたいだ。助かった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
たった一晩離れていただけなのに、陽菜のいつもの無表情がとても愛おしい。
「どうかしましたか?」
「どうかしちゃっているよ」
「そうですか」
廊下でのティータイムも、体が良い感じに冷えてきた辺りで切り上げ、そのころには教室の中にも活気が出てきている。
「おう」
「京介、お疲れ」
エナメル鞄を肩に担ぎ、シャワーを浴びてきたのか汗臭い雰囲気は無い。
「本当にお疲れだぜ。部長の思い付きで朝から雪の中でノックだぜ。ボール跳ねないし走りにくいし。しかも百球きっちりやるし。授業寝るから後でノート見せてくれ」
「ではこの刺激強めのラムネを進呈しよう」
「そりゃどうも、どうせ効かないけど」
それでも受け取りはするのか。
「みんな来ているな、席に着け!連絡をするぞー」
朝から賑やかに先生が入って来た所で話を切り上げ席に着く。
布良さんの号令と共に今日がスタートした。
やっと昼休み。やけに今日の授業は辛かった。冬休み前に詰め込んでおきたいのかペースが速かったな。京介よ、寝ていて大丈夫なのか?
「相馬君、机をこちらに向けてください。食べましょう」
「おう」
陽菜が弁当箱を取り出す。布良さんの家で借りたものらしい。普段僕が使うものよりも大きい。
「あの、陽菜。お腹空いたから貰っても良いかな?」
「駄目です」
陽菜が卵焼きを挟んだ箸を差し出す。
「どうぞ」
「それ、もうやらないって言って無かったけ?」
「どうぞ」
陽菜は動かない。仕方ないから食べる。
「次です。餌付けさせてもらいます」
餌付けって……。
「この食事って時間かかるよね」
「問題ありません。反省を活かして私は先ほど食べました」
おにぎり二個で十分なのか?
「さぁ、これをどうぞ」
「どうも」
食べる。うん、美味しい。
「二人は仲良しだね~」
「そうですね」
「もうその光景は慣れた」
生暖かい視線の中、陽菜はいつもの表情を崩さない。
「食べ終わりましたね」
「そうだね」
「時間はまだありますね」
「そうだね」
「私、やってみたいことがあります。ちょっと行ってきますね。相馬君、行きましょう」
そう言って立ち上がる。
「行ってらっしゃい」
手を引かれ教室を出る。クラスメイト達からの生暖かい視線を潜り抜け廊下を進む。
「どこに行くの?」
階段を上って行く。
「屋上ですよ」
「陽菜、普通の学校の屋上って開いていないものだぞ」
「そうらしいですね。しかし私は簡単な鍵なら外せますので」
いやいやいや。
「落ち着け。この学校、雪が積もっても落ちるように屋根になっているからそもそも扉はあるけど、陽菜が想像しているようなことはできないよ」
「……そうですね。でも、昼休みを二人きりで過ごすという事をやってみたかったのです。みんなで過ごす昼休みは確かに楽しいですが、テスト終わったら私の我儘に付き合ってくれると、言ってくれましたよね?」
詳細は違うが、言った覚えがある。
「それならそうと早く言ってくれよ。良いよ、今日一日陽菜の我儘応えるよ」
「ありがとうございます」
少しだけ嬉しさを混ぜた表情。さて、何を言われるのかな。
「では、授業始まるまでここにいましょう。先生に見つかったら怒られそうですけど、それはそれでスリルがあります」
そう言って身を寄せてピタリと体をつける。会話は無い、というか今この時間に言葉は必要なかった。足音が聞こえるたびに同時に体を小さくして息を潜める時間、チャイムが鳴るまでそれを繰り返していた。一見くだらないように見えるがそれでも陽菜は満足そうにしていた。
授業中。
「入間さん、お願いがあります。今日だけその席変わってもらいますか?」
「良いですよ」
そして授業中、なぜか教科書を出さない。
「朝野、教科書どうした?」
「忘れてきました」
「じゃあ隣の人に見せてもらえ」
「はい」
というわけで今、陽菜は机をピタリと着けている。
「陽菜、近くない?」
「そうですかね?教科書を見るならこれくらいの距離が適切かと思いますが」
肩までくっついている。正直授業どころではない。
まぁ、今日くらいは良いだろう。僕も嬉しくないと言ったら嘘になるし。
「陽菜ちゃん、すごいね今日」
「うん」
今教室に陽菜はいない。授業が終わるとどこかに行ってしまった。
「どうしたのだろう」
「台本書きのせいじゃないですか?自分開放しないと書けないものですから」
「そうなの?」
「抑圧していたものがあふれだすと結構良い物書けたりするらしいですよ」
ふむ、あの作品は陽菜の抑圧していた何かなのか?聞いてみた方が良いのだろうか。
「ただいま戻りました」
「自販機行ってきたんだ」
「はい」
片手にコーラの缶を持っている。
「どうぞ、飲んでください」
「えっ?ありがとう」
一口飲む。
「ありがとうございます」
さりげなく僕の手から缶を取るとそれを飲み始める。
「おぉ、陽菜ちゃん大胆」
「相馬、これ返すよ。効かねぇや。というわけでノート見せてくれ」
寝起きの京介が肩を組んでそんなことを言う。
「いや、午後に関しては僕もノートを取るどころの話じゃなかったからさ」
「マジかよ。どうしろって言うのだ」
「自力でどうにかしてくれ」
「見捨てないでくれー!最近、俺に冷たくないか?」
「そんなことは無い」
無いはず。無いよな?
チャイムが鳴る。それを合図に解散となった。
「陽菜、歩きにくくないか?」
「問題ないです」
「そうか……」
演劇の練習を終えて下校中。ずっと陽菜は腕にしがみついている。
「お化けいないぞ」
「いませんね。でもこのままにしておいてください」
正直ものすごく目立っているのだが。でもまぁ、今日は陽菜の我儘を聞くって言ったしな。
「相馬君相馬君相馬君」
「何でしょう」
「何でもありません」
「そうか」
家に着くと、すぐにメイド服に着替えて家事を始める。いつも通りだ。
「相馬君、どうですか?」
目の前でくるりと回る。
「似合ってるよ」
「そうでしょう」
そのままギュッと抱き着いてくる。
「ふふっ」
反射的に頭を撫でる。
「何だか、全力で甘えるのって心地良いですね。相馬君が優しいからでしょうか?」
「どうだかね。たまにはこういうのも良いと思うよ」
「そうですか。では、たまにお願いします。そろそろ仕事入りますね。今日は張り切っちゃいます」
パッと離れてそのまま台所に行ってしまう。
そこにいたという証拠の確かな温もりが残っていた。
「今日は一杯甘えちゃいました。最高のご褒美です。ありがとうございます」
「そっか、それは良かった」
パジャマに着替えて寝る前のちょっとした一時。結局一緒にお風呂は入らなかった。きっと今はそれが正しいだろう。
膝に頭を乗せて寝転んでいる陽菜の頭を撫でる。心地よさそうに目を閉じるところを見ていると、顔が綻んでくるのを感じる。
「そろそろ寝ましょうか」
「そうだね」
立ち上がる。今日も一日が終わる。
「相馬君」
「ん?」
唇に温かい感触。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
演劇の練習、明日からは動きも入れるらしい。冬休みも近い、時間はある。活かしきることができればき良いものができると思う。
イチャイチャ回が続いております。





