第五十七話 メイドが苦悩しています。
「ごめんなさい。何も書けなかったです」
朝起きて扉を開けると、メイド服を着た陽菜が頭を下げていた。
「とりあえず、頭上げよっか」
「はい」
眠そうだ。きっと寝てないのだろう。
「オーバーワークにならないようにな」
「わかっています」
講演会を行うのは一月の中旬辺りと言っていた。今週中に書き上げれば六週間練習に使える。しかし大晦日正月を挟むため、実質五週間だ。
「私、駄目ですね」
「そんなことは無い」
「いえ、自分からやると言っておきながらこの体たらく、これでは皆様に顔向けできません。あっ、ごめんなさい。日課がまだですよね。行ってらっしゃいませ」
まだ二日目、後締め切りまで四日ある。陽菜は今までできないという経験が無かった、できないという苦しみが無かった。だから戸惑っているのだろう。
立ち去ろうとする背中を僕は見送る事しかできない、どうすれば良い。どうすれば陽菜の事を導くことができる。
学校備え付けの自販機の前、僕はそこに布良さんを呼び出した。
「ついに、相馬君に頼ってもらえる日が来ました!さぁ、どんと来い。頼れる学級委員長なので」
「頼らせてもらいますよ。はい、コーラ」
「ありがとう」
一口飲みながら頭の中に相談内容をまとめる。内容が散らからないようにしないとな。
「陽菜ちゃんの事、心配?」
「わかっているんだ」
「そりゃあね。それで、相馬君はどうしたいの?」
相談内容はもうお見通しの用だ。わかりやすい内容と言われればそうだけど。
「僕は、陽菜に助けを求められたい。背中を預けてもらいたい」
だから僕は直球を投げつける。
「そうだね。陽菜ちゃん、頼るの下手くそだよね」
控えめにしか預けてこない背中を、僕は全力で預けてもらいたい。そしてその背中を支えて、手を引いて、今度は僕が導きたい。
「それならもう、やることは決まっているよ」
人差し指を唇の前に立てると瞬きして、その指を僕に向ける。
「男を見せて、日暮君」
「布良さん……ウインクできてないよ」
「えっ?」
僕の方を見てまた瞬きを始める。
「できてないって」
「嘘~。ほら、ウインクウインク」
「瞬き瞬き」
「もう!練習してちゃんとできるようになるから見ていてね。ほら、教室帰ろう。浮気を疑われちゃう」
「そうだね。ありがとう、背中押してくれて」
「いえいえ、頼られるのは嬉しいことですから」
布良さんはにっこりと笑うと行ってしまった。
頼ることを覚えれば、少しは陽菜が感じるプレッシャーは減るはずだ。周りに頼れる誰かがいる。陽菜はそれを教えることができたのに、自分ではわかっていない。
背負い込み過ぎるメイドの荷物をもっと分けてもらおう。
「さて、やりますか」
家に帰り、僕は早速動き出す。
陽菜は今、部屋に籠り自分と向き合っているだろう。お湯を沸かしポットに入れ、荷物を持って陽菜の部屋に向かう。
「陽菜?入るよ」
「はい、どうぞ」
案の上、少しやつれた様子の陽菜。目の前のディスプレイは真っ白だ。
「さて、始めよう」
「何をですか?」
「一人じゃ考えられないことも二人なら考えられる。そして三人寄れば文殊の知恵って言葉もある」
パソコンを操作し、あるアプリを立ち上げる。約束通りなら今頃待ってくれているはずだ。
『ヤッホー、日暮君に陽菜ちゃん。待っていたよ~」
「夏樹さん?どうして?」
三回ほどコールすると、聞き慣れた声がパソコンから聞こえる。
『んー?日暮君がどうしても助けてほしいって。だから創作合宿しようって話になったの。頑張ろうね』
「でも、これは私が引き受けた事」
『あはは、それが間違っているのだよ。そんな責任感じなくても。完成させるのは陽菜ちゃんだけど、でも、周りの手を借りちゃいけないなんて事は無いよ』
陽菜の目が僕に向く。きっと家事をいくらか任せていることを言いたいのだろう。
「陽菜、できないことを受け入れなきゃ。できないことがあるのは当たり前の事なんだから。できないならみんなでやれば良い。頼って欲しい、みんなでやろう。夜食なら用意した。徹夜の準備は万全だ」
『私もさっきまで寝てたからね。朝まで起きていられるよ。おっ、来た来た』
『入鹿ですよ。どうもどうも。演劇部も参加しなきゃね。助っ人に丸投げはさすがにまずいと思ったですよ。部長はごめんなさい、今頃OBOGに連絡とっているです』
「ほら見ろ、こんなに集まってくれた。部活が終わったら京介も手伝ってくれる。荷物は分け合える、できないことを乗り越えようとするのは大事だけど、別に一人で乗り越えなきゃいけないなんてことは無い、そうだろ?」
「……はい!」
『あー、日暮氏泣かせたー』
「泣いてないですよ入鹿さん」
『こらー日暮君!泣かせたなー』
「泣いてないですって」
「それでは、まずはプロットから練ろう」
「そうですね。テーマは『正義』ですよね。ヒーローものとかどうです?」
「悪くはないかな」
活発に意見は出ているが、ピンとくるものは出ない。難しいな。
「よう!お前ら。やっているか?」
「やっているよー」
京介が来る。ラーメン食べているのか、麺をすする音がかすかに聞こえる。
「テーマは『正義』だっけか?」
「そうですよ」
「ふーん。正義か……。正義ってさ、正しいとは限らなくね?」
「どういうことかな?」
「いやね、正義の敵は悪だけど悪から見れば正義こそが悪であるっていう良くある話よ」
「おー、良いこと言うですね桐野氏」
「だろ」
突然、陽菜の手がすさまじい速さで動き出す。
「閃きました」
キーボードを叩く音が絶え間なく鳴り響く。今のやり取りで何を閃いたのだろう。夜食用に用意していたゼリー飲料を開ける、腹減った。
「それ貰います」
「あっ」
僕からゼリー飲料をひったくると片手でキーボードを叩きながら飲み始める。器用だな。
「ていうか、相馬と朝野さん、今一緒にいるのか?」
「そうだけど」
「爆発しろ!」
「嫌だよ」
時刻は夜中の十一時。まぁ、一部の人にとっては活動が一番活発になる時間か。
インスタントコーヒーをパソコンの横に置いておく。
「陽菜ちゃん、何を閃いたの?」
「正義の敵は正義というお話です。正義は孤独というお話です」
「ほうほう。面白そうだね」
「面白いお話になれば良いのですが」
「そうかそうか、それならもう大丈夫そうだね。邪魔しちゃ悪いから切るね」
「はい、ありがとうございました」
「何かよくわからんが、頑張れよ」
「頑張ってねー」
電話が切れる。陽菜がキーボードを叩く音だけが鳴り響く。
「相馬君、ありがとうございました」
「陽菜が教えてくれたことをそのまま教えただけだけどね」
「そうでしたっけ?それはまた随分と間抜けなことしてしまいましたね」
動かした手を止め、こちらを向く。
「ありがとうございます。相馬君」
「どういたしまして。背中を預けているんだから、これからはちゃんと背中も預けてくれよ」
「はい。それでは相馬君もおやすみなさいませ。ここからは私がやる事ですので」
「ここで見ているよ」
「そうですか」
小さく笑い、パソコンと向き合い、また手を動かし始める。
壁に背中を預け、小さくもさっきより少しだけ頼もしくなった背中を見つめる。
導けたよな、ちゃんと。
目を開ける。朝か。いつの間にかだいぶ時間が経っていたようだ。これは毛布?
「お目覚めですか?相馬君」
「ん?陽菜?寝てないよ」
「そういう事にしておきます」
そう言って紙の束を僕に差し出す。
「完成しました。読んでみてください。まだ早い時間ですのでゆっくり読んでも大丈夫ですよ」
「うん、コーヒーもらって良い?」
「かしこまりました」
寝てないけど寝起きのようにぼんやりしている頭では読んでも建設的な意見は言えまい。本当に寝てないからね?少し意識が飛んでいただけ。
陽菜の台本。戦争に反対した男が牢獄に入れられた所から始まる男の回想の物語。国に従うのが正義か、国民を守るために勝てる見込みの少ない戦争をしないのが正義か。戦争に走っていく国を止めるために闘い続けたが、しかしながら自分の忠誠心を裏切る行為のために男の精神は蝕まれていく中、逆賊として男は捕らえられる。場面は牢獄に戻り、男は己の血で最後の言葉を書き、自害する。その言葉は血で塗りつぶされ読むことは叶わなかった。
「なかなかに重い話だな。面白いけど」
「本当ですか?」
「うん、少し手直しして提出してみたら良いよ」
「はい!」
眠そうに目を擦りながらも嬉しそうな顔をする。
「それでは、朝ご飯作ってきますね。今日は胃にやさしいおかゆにしましょう」
部屋を出ていく。僕もそろそろ朝の日課に出るか、変な体勢で寝たからか頭が重いけど。いや、寝てないよ。
「うん、良いと思うよ。早かったね」
その日の放課後、提出した台本を読んだ天音部長もOKを出してくれた。
「ありがとうございます」
「こうなると、主人公は日暮君だね」
「えっ?僕?」
「私でも良いけど、男がちゃんといるわけだし。君に任せた」
「はぁ。わかりました」
助っ人をすると決めたんだ、やろう。
「じゃあ、明日から始めるから。読んでくるように」
「「「「はい」」」」
そういえば、もうすぐクリスマスだったな。





