第五十六話 メイドと演劇練習を開始します。
「さて、諸君。よくぞ来てくれた」
黒いカーテンにより、明かりがほとんど入ってこない教室。その奥から聞き慣れた声がする。
「この入鹿の要請を受け駆けつけてくれた諸君には、多大なる感謝の意を示そう」
「入鹿ちゃん、本題に入らないの?」
「姉御、これは重要な儀式です。私もこういう風に歓迎されましたです」
「適当なこと言うな後輩」
ペシッという音が聞こえカーテンが開けられる。
「面白そうだからやってみたけど飽きた。一応自己紹介しておくけど私は部長の天音早紀。来てくれてありがとね。文化祭の劇を最後に三年生が引退しちゃってね、そのせいで人が足りないからさ。三人には舞台にも上がってもらうからそのつもりで、演劇に魅力を感じたら入部届出してくれても良いよ」
はきはきとそう話すと、黒板に何やら書き出す。
「というわけで、今から今回の講演のテーマを決めようと思う」
「「「えっ?」」」
今から決めるの?
「実はですね。この部、引退した三年生でほとんど構成されていたのです」
「それで、この部今何人や?」
「部長と私だけです」
ちょっと待て、それでできるのか?演劇って照明とか音響とか色々あると聞いているぞ。
「音響とか照明はOB、OGの人たちにお願いするけど、肝心の役者がいないとどうにもならないからね~。この部の伝統に、引退した人はうちの学校の名前ではもうステージには上がらないってのがあるから」
天音部長はそう言って頭をポリポリと掻く。
「私も入鹿も台本書けないからさ。この前とりあえず書いてみようという話になって持ち寄ってみたのよ。いやーこれが死ぬほどつまらない。この部のもう一つの伝統、劇でやるのはオリジナルのみってやつ捨ててやろうかと思ったよ。というわけで人を集めて役者を用意、ついでにその中から台本書ける奴に書かせてみようとね。ほら、高校生って十人に一人は小説の一つくらい書いたことあるでしょ」
すごい偏見だな。
「わかりました。書きます」
「陽菜!?」
陽菜がまっすぐピンと手を上げる。
「書いたことあるの?陽菜ちゃん」
「無いですね。でも書きましょう」
「いや、やる気があるのは良いけど。無理しなくても大丈夫だよ」
部長もだいぶ戸惑っているようで、頬を掻く。
「いえ、私も一度は創作をしてみたいと思っていましたから。せっかく参加するのです。やらせてください。過去の台本があれば借りて行ってもよろしいですか?」
「うん、良いけど。出来なさそうだったら言ってね。過去の没作品とかあるから」
「わかりました。では、テーマの方をお願いします」
そういえばこの会議はテーマを決めるためのものだった。
「そうだね。テーマは『正義』ってことでよろしく!」
あれ、決定しちゃったのだけど。
家に帰り、僕は陽菜にパソコンを貸し出した。
「ありがとうございます。それでは相馬君、どうしましょうか」
「できる見込みがあって引き受けたのでは?」
「そうですね。出来るとは思ったのですが、いざ書こうと思うと何も思いつかないものですね」
陽菜にしては行き当たりばったりだな。
「よし!とりあえず書いてみます」
それから陽菜はパソコンと向かい合う。しばらく手が動いて止まる。
「駄目ですね」
「おいおい」
サッカーを見ていてもサッカーができるわけでも無いように、本を読んでいても書けるというわけでは無いという事が良くわかる。
でもだからと言って陽菜が諦めるわけはないか。
「とりあえずいきなり書き出さないで、何を書きたいかまとめてみたら?プロットってやつだよ」
「そうですね。そうします」
そう言うとまた手を動かし始める。
正義をテーマか、高校生の劇でできる範囲の物を書けるだろうか。
真剣な顔で書き出しては考え込み、また書き出す。それを繰り返している。
夕飯は僕が用意しよう。何を作ろうかな。冷蔵庫の中はきれいに整頓されている。飲み物を取る時くらいしか開けないが、意識してよく見てみると、分類ごとに分けられていてどこに何があるかわかりやすい。
「おっ、サバの味噌煮の材料だけ隔離されいてる」
なるほど、陽菜は今日、サバの味噌煮を作るつもりだったのか。帰りにサバだけ買っていたから何を作るつもりなのか想像していたがそういう事か。どれ、ネットで作り方調べますか。
ネットで書いてある通りに作っていく。結構できるものだな。陽菜が作るやつは結構おいしいけど、大丈夫かな。見た目は良い方だと思う。
ご飯は炊かれている。味噌汁もできた。
「陽菜、ご飯できたよ」
「えっ?あっ。ごめんなさい」
「良いよ良いよ。ほら、食べよ」
申し訳なさそうにしゅんとする陽菜。きっと夕飯を僕に作らせてしまったと自分を責めている。
「どう、美味しい?」
「はい。美味しいです」
「それなら下を見ないで僕の方を向いてよ。ヘッドドレスじゃなくて陽菜の顔が見たい」
ゆっくりと顔を上げるが、すぐに目を逸らす。責任感が強すぎるのも良くないことだよな。
「陽菜、何でもかんでも自分でやろうとはしない。OK?」
「はい」
「陽菜が忙しいときは僕も手伝うよ。そうだな。背中は任せろ」
そう言うと、驚いたように目を見開く。
「相馬君の背中、預けてもらえますか?」
「もう預けているよ」
「そうですか」
陽菜は、嬉しそうに飛び切りの笑顔を見せた。
「面白くないな」
「うん、陽菜ちゃん。ごめんなさい。擁護できない」
「そんな……」
朝のティータイム。陽菜が昨日一晩で書き上げたという台本を見せてきた。
緊張の面持ちで僕らが読むのを見ていた陽菜が机に突っ伏す。首まで赤い。とりあえず気になった点を挙げて行こう。
「まず、主人公が正義を志す動機が弱い。ここまでこだわるならそれ相応の動機が必要。最愛の人を犠牲にするほどの正義ならこの程度じゃダメでしょ」
「はい」
「次、起承転結がなっているのは良いとしても、展開がいきなりすぎる。陽菜の頭の中では補完されていても、見る人は置いてけぼりだな」
「はい」
「あと、登場人物に弱さが無い。弱さは見る人に共感するきっかけを与えるというのに強さばかりが強調されすぎていて共感できない」
「……」
「それと……」
「もうやめて!日暮君!とっくに陽菜ちゃんのライフはゼロよ!」
「えっ?」
うずくまり震えている陽菜、やり過ぎたか。
「相馬君」
「はい」
「アトデオボエテイテクダサイネ」
「どうして片言」
その質問には答えずノートを広げ考え始める。明日にはまた新しいものか改訂版かができるだろう。
今朝陽菜が作ったスコーンを一口。今日の紅茶とよく合う。
「日暮君、意外と鬼畜だね」
「そうかな?」
「うん。とっても」
首を傾げながらにっこりと笑う。
「入鹿でーす。どうもどうもです。今日はスコーンですか、では一口……美味しいです」
入鹿さんが来たという事はそろそろ京介も来るか。その時、肩を強く掴まれる感覚。
「よう、相馬。楽しそうなことをやっていると聞いたのだが?」
「京介、どうした?」
「俺はな、一番前で寝ることが許されない環境なのだ。そして放課後は部活。お前は女子と演劇ってか?ブッコロ!」
「お前、一番前でも寝てるだろ」
「それは言わないでよろしい」
僕のコップを奪い紅茶を一気に流し込む。
「アッツ!熱い!水くれ、水!」
「ほれ水筒」
自分の水筒を差し出す。冬になったから陽菜が持ってくるお茶もホットに変わっていることを忘れていた
のだろうか?あっ!
「これも熱いじゃねぇか!」
「すまん」
京介は廊下の水道にダッシュで向かった。自分の水筒の存在は忘れているのだろうか。
「いやいや、一日で完成するなんて無理なことだから。そんな慌てなくて良いよ。だから顔上げて」
演劇部の部室に来て早々、陽菜は部長に全力で頭を下げた。
「とりあえず一週間待つから。頑張って」
「はい」
陽菜は授業中もずっと台本の事を考えていたようで、先生に指名されてもいつもはすぐに答えるのに、今日は数秒悩んでから答えていた。
今日は発声練習と筋トレで終わり、陽菜と一緒に校舎を出る。布良さんは生徒会へ行き。入間さんは部長と講演会について決めなければあるとのことで残った。
「私。ここまでできないこと、初めてです」
「と、言いますと?」
「今までやってみればできる事ばかりだったので」
それはまた羨ましい話だ。
「だから私は、悔しいです」
陽菜の頭にポンと手を置く。
「まだ一日だろ、始まったばかりだ」
「そうですけど」
「焦るな。そう簡単に面白い話を書かれたら世の作家が泣くぞ。一週間で書かれても泣かれるさ」
「でも……。引き受けたからには面白くしないと」
見上げてくる目は不安げな目。だから僕は、今度は僕が導く番であることを悟る。
「陽菜、何でも完璧にしようとするな。一人でやろうとするな。背中は任せろって昨日言っただろ?一人でやる事じゃないのだから、演劇は。面白くするのはみんなでだ。だから陽菜は、今陽菜ができる全力を込めるだけで良い」
陽菜の目を見る。ちゃんと伝わっただろうか。僕の言葉はちゃんと陽菜に響いただろうか。
しばらく見つめ合っていると、陽菜は儚げに笑う。
「そうですね。やってみます。確かに、私だけで面白くしようだなんておこがましいことですね。わかりました。みんなの事、頼らせていただきます。だから、あの、今日も相馬君の作った夕飯、食べたいので。お願いしても良いですか?」
「任せろ」
電車が来る。今日は何を作ろうかな。
次の日。
「ごめんなさい。何も書けなかったです」
陽菜は苦悩していた。





