第五十三話 メイドと席替えをします。
その日の最後の授業、学級活動の時間。教室内は異様な雰囲気に包まれていた。
全員の視線が教卓の上に置かれた箱に注がれている。黒板に簡単な表を書いていた先生がチョークを置く。
「これより、席替えを開始する!すまんなみんな。私が忘れていたせいで今年は一回だけになってしまった、皆が後悔の無い結果になることを祈る」
クラス内の緊張感がさらに高まった。
出席番号順にくじが引かれ始め、ようやく緊張の糸が緩み、賑やかさが取り戻され始める。
「日暮君、離れちゃうね」
布良さんが残念そうに言う。
「お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。まぁ、そんな相馬君にちょっとした計らいをしてあげようと思いまして。期待していてください」
そう言って他の女子と話に行ってしまう。
布良さんの計らいって何だ。まぁ、予想はつくけど。陽菜の出席番号は一番前だ、布良さんの影響力があれば全員が引き終わる前に仕込みをするなんて簡単なことだろう。くじ運がひたすら悪いからありがたい話ではあるが、それでもそわそわと良い席かなと期待するのも楽しい話だと思う。
しばらくして布良さんが引き終わって戻って来る。自分の席でくじを開く、こちらをちらりと見ると、慌ててくじを隠す。
「相馬君、ごめん。さっきの話は無かったことにして欲しいな」
「と、言いますと?」
「良いよね?日暮君は幼馴染だし、今まで長いこと陽菜ちゃんと一緒にいたでしょ。ここは是非とも譲って欲しいな」
まぁ、予想通り僕を陽菜の席の隣にしようというしていたようだが、自分が引くことを想定していなかったようだ。
さて、ここは冷静に交渉だな。
「ちなみに陽菜の席はどこだ?」
黙って指さしたのは窓際の一番後ろの席、なるほど、確かに隣と言える席は一か所しか無い。
「日暮君、とりあえず引いてきなよ」
「わかった」
さて、布良さんに取引を持って行くにはそれ相応の席が必要だ。ここでデスティニードローをすれば良い。さぁ、普段は碌に役に立ってくれない幸運の女神様、いるなら僕に運を寄越せ。
箱に手を突っ込み最初に触れた紙を手に取る。中身を見ずに自分の席に帰る。
「布良さん、場合によっては交換してくれないかな?」
「うーん、良いよ」
布良さんは表情をいつもの微笑みから崩さない。
紙を開く、黒板の番号と照らし合わせる。
幸運の女神とかいないなこれ。
「廊下側の一番後ろか~、交渉のテーブルに置くものとしてはかなり足りないかな~」
大事そうに陽菜の隣の席に座る権利を胸に抱える布良さん、自分の運の悪さが恨めしい。しかしながらその事に対して文句を言える立場ではない。ここは時間内にどうにか交渉をするしかない。
「相馬君、どうでしたか?」
その均衡状態の中、特に何も知らされていないであろう陽菜が来る。
「ここ」
「なるほど、私と反対側ですか。残念ですね。隣の席とか憧れていましたから。夏樹さんはどこですか?」
気まずそうに目を逸らす。よし、ここは陽菜に頑張ってもらおう。
「相馬、俺、何か指定席で教卓の目の前にされたのだが。授業態度が悪いってどういうことだよ?」
「京介よ、今はお前の嘆きを聞いている暇ではないのだ。寝ないで授業を受ける努力をしろとアドバイスはしておく」
「頼むよ相馬~一番前とか嫌だ~」
僕にどうしろって言うのだ。
「陽菜ちゃん、そんな純粋な目で見ないで」
「夏樹さん、どうして席を教えてくれないのですか?」
「それはね、深い理由があるの」
布良さん、結構粘るな。
「聞きましょうか」
「えっと、ごめん、言えない」
布良さんがチラチラと助けを求める目線を送って来るが敢えて無視。僕も陽菜の隣の席を獲りたいのだ。
「夏樹さん……」
その時、陽菜の手が動いた。
「あっ」
布良さんが気づいたときには既に陽菜の手の中に布良さんのくじがある。
「私の隣ですか。よろしくお願いします」
「えっ、うん。よろしくね陽菜ちゃん。あの、相馬君と交換できるよ」
「いえ、そこまでしていただ無くても。夏樹さんと隣というのも楽しそうですし嬉しいです」
「そうなんだ。嬉しい」
「入鹿ですよ!姉御」
陽菜を抱きしめる布良さんにさらに入間さんが抱き着く。
「入鹿ちゃん。どうだった?」
「姉御の前の席ですね」
「おぉ、これはこれはものすごい運命だ~」
どうやらゲームオーバーのようだ。せめて近い席が良かったな。
「あの~日暮君」
その時、クラスメイトの加藤さんがおずおずと話しかけて来る。
「はい」
「これと交換してくれませんか?」
差し出されたのはくじ。これ陽菜の席の一個前の番号だ。
「その番号私が欲しい物なので、それに日暮君も陽菜ちゃんの近くの席に座れる。良い取引だと思いますよ。交換しません?」
「良いですよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
ふと思う、この学校の席替えってかなり自由だな。好きなところ座れって言った方が早いと思うぞ。
「陽菜ちゃん、隣だね」
「そうですね。しかしながら黒板が見ずらいですね。下の方とか特に」
「大丈夫だよ。見えなかったら言ってね、私が教えてあげる。頼れる学級委員長なので」
「お願いします」
「姉御、私もお願いしても良いです?」
「良いですよ~」
前の方から感じる強い視線、京介よ、結果は結果だ。
「というわけで、一年生が終わるまでこの席だ。周りの者と仲良くするように!以上!本日の授業はここまで、気をつけて下校するように」
担任の先生の号令とともに、教室は一気に放課後ムードになる。
「相馬君、帰りますか?」
「帰りますか」
いつも通り軽い鞄を背負う。
「ちょっと待ったです」
「入間さん、どうかされました?」
「実はですね。二人にお願いがあるですよ」
入間さんがペコリと頭を下げる。
「演劇部の助っ人をお願いするです」
「えっ?劇をするの?僕と陽菜が?」
「夏樹の姉御もいるですよ」
「私もいるよ~」
いつも通りの布良さん、特に驚いている様子はない。陽菜も同様だ。
「戸惑っているの僕だけ?」
「そうですよ」
あっけらかんというそう言われてもな。
「練習は来週からですので、どうぞよろしくです」
「わかりました。相馬君もよろしいですか?」
三人の目線が集まる。女子がOKしているのに男子の僕が断るのもな。
「……よろしいです」
帰り道でいくらか買い物をして家に帰る。今日の夜、父さんが帰ってきて、明日朝早くに墓参りに出発して、おじいちゃんの所に一泊して日曜に帰って来る、父さんはそのまま出張先に帰るというから中々のハードスケジュールだ。
「旦那様が間もなく帰って来るそうです」
「了解」
泊まり用のバッグに荷物を詰めながらそう返事をする。父さんの間もなくは本当に間もなくだ。
五分後、車が我が家に入って来た。
「ただいま」
「お帰りなさいませ旦那様。お荷物の方はこちらでお預かりいたします」
「おう、ありがとう」
スーツ姿の父さんがリビングに入って来る。
「お帰り」
「ただいま。ちゃんと準備はしているようだな」
「まぁな」
特に話すことは思いつかない。夕方のニュースを報じる声がリビングに流れ続ける。
「ハーブティーをお持ちしました」
「ありがとう」
荷物の準備が終わりやることを無くす。どうにも気まずい。淡々と仕事をこなす陽菜に、ソファに座りニュースを眺める父さん。
ん?これってあれか。自分の父親が家にいる時に自分の彼女を家に招いているようなものか。そう考えるととんでもない状況だな、今。
「相馬よ。少し出かけるか」
「どこに行くのさ」
唐突に何かを思いついたかの如く立ち上がると何やら準備運動を始める。
「稽古場だよ」
いつもの神社、日も落ちて辺りに人はいない。
「さぁ、来い」
久々に父さんと稽古、最初から全力で行こう。父さんは基本的に構えない、自然体が常に構えなのだと言っていた。僕はまだその境地にいないからわからないが。
低い姿勢で一気に間合いを詰める、多分父さんは避けない。よし、避けないな。
「あれ?」
気がついたら地面に転がされていた。
「はっはっはっ、どうした?もうおねんねか?」
「いや待て、今何をした?」
何も見えなかったし感じなかったぞ。
「一瞬だけ気絶させた」
「そんなことができる人間がいてたまるか!」
化け物度が加速していやがる。
「ほら、もう一度来い。この技は使わないでやろう」
「ちっ」
思わず舌打ち、もう一度低い姿勢で間合いを詰めにかかる。父さんが蹴りのフォームに入った瞬間、素早く後ろに回り込む。
「ほう、速いな」
振り向いたところに蹴りを入れるが、あっさり手で止められる。
「ふむ、結構重いな」
そこからさらに畳みかけるもきれいにすべて捌かれる。
「悪くない攻めだな。腕が上がっているようで何よりだ。では、明日も早いしそろそろ終わりにしよう」
父さんの言葉が終わるころには僕の体は宙に浮いていた。次の瞬間腹に衝撃が加わり僕の体は地面に叩きつけられる。
「久々すぎて手加減忘れた。すまんな息子よ」
そう言いながら僕の体を軽々と担ぐ。
「帰るぞ」
「おう」
父と息子の久々の稽古はこうして終わった。





