陽菜√第十七話 陽菜に贈る未来。
「本日は、突然の呼びかけに応じてくださり、誠にありがとうございます」
できる限り、丁寧に頭を下げる。視線を感じる。緊張はした。でも、僕は前を向いた。陽菜を見た。
「さて、僕は高校卒業後、大学に進みます。ここまではここにいる人々のほとんどはご存知でしょう」
志望校の外観を映したスクリーン、学部は、政治学部。
「僕はここで、国という物の仕組みを学びたいと思います」
国の仕組み、人が人を支配する仕組み。幸福を生む仕組み。
「僕はいずれ、幸福が無くなる社会を作ります。幸せであり続ける果てに、それは全てにとって当たり前の存在として消える。そんな社会を、作りたいとは思いますけど、実際、そこまで高尚なことは、僕にはできないでしょう。精々、僕の手の届く範囲でしかできないと思います」
それだけは、確信していた。
「それでも、僕は、こうしてでしか生きられないと思うのです」
部不相応の物に手を伸ばし続けなければ、前に進めないから。
「当たり前というのがポイントです。幸福であることを押し付ける、そんなディストピアであってはならないから。幸福という概念を忘れさせる。僕のこの思想はきっと異端でしょう。怖いと本能的恐怖を感じる人もいるでしょう」
もし、何か恐ろしいものが世界を襲った時、もしその作り上げた社会の仕組みが崩壊した時、人々は何もできないのではと。
「でも、人は存外しぶといですし。全滅するなら、その程度だったという話だと、僕は思います。人は選択を誤った。ただそれだけです」
「大学を出たら、旅に出たいです。世界を見たいです。人それぞれの幸せを見極めたいです。押し付けられた幸せに、意味は無いから。知らなきゃならないのです」
「相馬君は、また背負う気なのですか?」
「僕の幸せは、陽菜が傍にいてくれること。それ以上のものは思いつかない。陽菜が傍で支えてくれるだけで、前を向ける。でも、僕一人で、全人類の事を背負えるなんて、思ってないさ」
それに、人類の幸せのために他の生き物に不幸を押し付けるのも、間違いだ。
それが、間違いに耐えられなくなった一人の馬鹿の答え。世直しは結果的についてくればいい。目の届く範囲の人を幸福にできればそれだけで良いとさえ、本音の部分では思っている。
「息が詰まりそうな人生だな。綱渡りかよ」
「一人じゃ無理ですね。僕一人じゃ」
「あぁ、それに、お前は凡人だ。わかっているな?」
「はい」
メイド長の言い方は、一見すれば酷い。だが、それはメイド長だから許される。既に自分の人生を投げ、人のために生きようとしているメイド長だから。
その人の目の前で、自分の人生を捨てずに、それでも人のために何かしようとする僕は、甘いのだろう。
「でも、陽菜と約束したのです。僕も幸せになる事を。だから、捨てるわけにはいかないのです」
「ふん、子どもだな。だが、嫌いじゃない」
「そうだな。相馬。お前にできるかは知らないが、やってみても良いかもな。だが、責任は自分で持てよ」
父さんは、電話越しに、真剣さを滲ませた声でそう警告する。
「わかっているよ」
わかっていない部分もあるけれど。どれだけ険しくて、どれだけ遠い道なのか。
その中で、自分の幸せを取りこぼさずに、どこまで歩けるのか。そして、その幸せが当たり前のものにできるのか。
矛盾した生き方に見えるかもしれない。けれど。陽菜を見る。
「僕の生き方、こんなんだけど、付いてきて、くれますか?」
陽菜は目を閉じて、そして。
「馬鹿なことを聞かないでください。私は、どこまでも、どんな場所でも、ついていきますよ。重い女にでも捕まったと思ってください。諦めて付きまとわれてください」
陽菜は仕方ないな、とか、そんな雰囲気を滲ませて。
「そんな、不器用な生き方を手伝わせてください」
何もできないけど、何かしていなきゃ落ち着かない、そんな心理なんだ、僕は。何かをやった、それだけの結果が欲しいだけ。それに陽菜を巻き込もうとしている、最低な僕だ。
「僕のただの自己満足だよ?」
「知っていますよ、そんなこと。ですが、私があなたと一緒にいたいのも、自己満足ですから」
「諦めろ、陽菜は意外と頑固だ」
「知っています」
メイド長はにっと笑う。
僕の発表は終わりだ。深く、頭を下げて、聞いてくれたみんなに感謝を示す。
「聞いてくれてありがとう」
それだけが、僕の言えることだ。
「ただ、相馬君。私、相馬君との子どもが欲しいです」
「えっ?」
陽菜が唐突に、寝る前に、部屋で二人で他愛もない雑談で盛り上がっていた時、そう言いだしたのだ。
「いえ、相馬君の人生計画だと、子どもが……」
「あ、あぁ。そうだな」
何を思ったのだろうか、陽菜は。
あれだけ不安がっていたのに。自分に子どもが愛せるのかと。愛し方がわからないと。
「友恵さんに言われたのです。子ども、ちゃんと大人になるまで見届けたかったと。陽菜という娘がいたけど、愛する以前の問題だったと。誰かに、彼女が生き延びる環境を任せる事しかできなかったと」
「うん」
「だから私、言ってしまいました。私が代わりに、あなたの分まで、自分の子どもを愛しますと。そしたら、笑って……」
陽菜は顔を背けて、泣いている……。
「わかってしまったんです。もう、あまり長くないって。手術も意味が無いって。医術なんてわかりませんけど、何となく、わかったんです」
陽菜がそうやって泣いた数日後、病院から連絡が来た。それは陽菜の予感を裏付けるもので、安心したかのように息を引き取ったという連絡だった。
大慌てで帰って来た父さんが、細かな手続きとか、全部やってくれた。
僕はただ、陽菜に寄り添っていた。
「相馬」
「何か手伝う事あるの?」
「無い。ただな、こればかりはお前達に任せたい」
「何?」
「あそこにいる男の子が見えるか?」
少ない参列者、数人の大人の向こうに、壁にもたれ掛かってそんな光景をぼんやりと眺める男の子がいた。
「友恵の息子だ、一回再婚して、でもすぐに別れたそうだ。親権は友恵が取ったらしい」
「そう」
「声、かけてやってくれないか?」
「……わかった」
まだ幼さが見える、中学生くらいだろうか、そんな子どもが、冷めた目で、感情も浮かべず、ぼんやりと何かを眺めている。
「相馬君。待っていただけませんか? 私にやらせてください」
陽菜が、そう耳打ちして、一歩前に、男の子に歩み寄る。
「辛い時こそ、笑いなさい。あなたのお母様は、あなたに幸せでいて欲しいと願っていました。日頃から笑っていないと、私みたいに無愛想で下手くそな笑顔しかできなくなりますよ」
陽菜は、穏やかな声で、そう声をかけた、驚いたように顔を上げた男の子は、小さく笑って、陽菜を見上げた。それを確認した陽菜は、戻ってくる。
「頑張ったと思うよ」
「そうですかね。私にはこれしかできませんけど」
陽菜の弟ということか。その事は、彼に言わない方が良いか。余計な混乱を招きたくない。彼にとって、今はその事実は必要無いだろう。
「少年」
「メイド長も、来たのですか」
「あぁ、彼女がいなければ、私も陽菜と出会う事は無かったからな。その縁に感謝しに来た。生まれてこの方、親という存在に感謝したことすら無かったのだが、今は、墓参りをしたいとか思ってしまっているのだからな」
「親、嫌いなのですか?」
「あぁ、こんな生き方しかできない私を産んだこと、まだ恨んでいる」
メイド長が初めて見せた、人間らしい部分。僕はそれに何も言うことはできない。
「そんな顔をするな。お前はお前らしく生きろ。親は大切にな」
結構忙しいと思ったけど、そんな事も無く、穏やかに進んでいって、気がつけば終わっていた。
「相馬君」
「ん?」
「お疲れですか?」
「そうでもない」
「そうですか、それなら、少しだけ、胸を貸してください」
解き放つように、陽菜は縋るように、胸に抱き着く。僕は優しく受け止めるだけだ。
静かだった。ただ嗚咽する音だけが響いた。こうやって泣いて初めて、陽菜と友恵さんが親子になったように見えた。
「相馬くん、相馬くん」
「ん?」
「えへへ」
「どうしたのさ?」
「はい、これ」
「ん?」
休み時間、夏樹が差し出したものは、なんだこれ?
「修学旅行の時の、バスの中での、キス写真。あげるね」
「いや、いらんよ」
「そうだね、すればいいもんね。良いなぁ、私も男だったらなぁ」
「何を言っているんだか」
あれだけ色々あったのに、もう、普通なんだもんな、日常って。
「相馬君。模試の結果、どうでしたか?」
「普通、いつも通り」
「そうですか。なら、追加で課題を課しますね」
「おい」
少しだけ、嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろす陽菜に、反論も抵抗もできるわけもなく、どこからともなく取り出したプリントを見ることにした。
「って。なんだこれ?」
「次のデート、私が行きたいところ、リストアップしました。ご検討ください」
最近の陽菜は、かなり自分のやりたい事も言ってくれるようになった。
彼氏として、それにはなるべく応えたい。
「なぁ、陽菜。どんだけ溜め込んでたんだ、これ?」
「相馬君が外に出たがらないのはわかっていたので、小出しにしていただけですよ、今まで」
今までの僕が不甲斐なさすぎて泣けてきたぜ。
「私たちの幸せも、ちゃんと探しましょうね。今は一緒にいるだけですけど、これからまた、違う答えもあると思うので」
「おっけ」
次回、最終ラジオ回。多分二回上下という形で。上は質問に答えます。下は陽菜ルート裏話。司会は朝野陽菜、ゲストはあの人です(誰だよ)。
そしてエピローグへ。