陽菜√第十二話 メイドのために。
もぞもぞと布団の中に誰かが入って来た。陽菜だ。陽菜は最近、僕が寝静まったのを見計らって入ってきて、僕が起きる前に出て行く。
今も、僕を腕に抱きしめて、目を閉じている。僕は僕で、陽菜の体温を感じ、柔らかさを感じ、温かいものに満たされ包まれる。
夜中にわざわざこうして、こっそりと一緒に夜を過ごしている。わざわざ陽菜が僕に気づかれないようにするのは、多分、次の日の学校のためだろう。
気づいていないと思っているのだろうが、気づいている。当然。でもまぁ、気づかないふりをしておこう。
わざわざ頑張って隠している陽菜に悪い。
「気づいているのに気づいていますよ。私」
「えっ!? マジで?」
「私に隠し事をできると思わないでください。相馬君の事は、何でもお見通しです」
僕の彼女は恐ろしい。
「わざわざ隠している理由に関しては、わかりますか?」
「多分、あれだよね。盛り上がっちゃったらマズいからだよね」
「えぇ、恐らく、お互い寝不足です。なので、おやすみです」
「おやすみなさい」
大丈夫かなと思ったら、メイドは寝つきも良いみたいで、陽菜はあっさり眠った。
僕も寝なきゃな。寝つきは良い方のはずなのに。目を閉じて、どうしよう。
陽菜の腕を逃れて、体一つ分の距離を空ける。あれ? 陽菜の腕の中にいた。
「床に寝よう」
「風邪ひきますから駄目です」
「起きていたの?」
「抱き枕を取られたら起きますよ」
「んな、子どもじゃねぇのだから」
「大人しく私に抱かれていてください」
陽菜は眠そうに目を擦って、僕を抱きしめなおすと、今度こそ眠った。仕方ないから僕も目を閉じる。今度は、睡魔がゆっくりと近づいてきて、優しく意識を刈り取っていく。何も怖くは無かった。それでも胸の中に重いものを抱えている感覚だけは消えなかった。
二月になった。休日、入鹿さんに連れられ、僕はとあるビルの中を歩いていた。
「こっちです」
「うん。ここって、もしかして」
「もしかしても何も、入鹿のパパの事務所です」
「デカくない?」
「弁護士事務所も兼ねているのです。どっちもやっているのです。パパ」
ありなの? それ。いや、便利なのか。浮気調査から離婚裁判まで一括で持って行けるからとか。
「入鹿さんも、将来やるの?」
「継ぐ予定です。今のところはです」
そして、入鹿さんが立ち止まったのに合わせて、僕も立ち止まる。一際大きな扉から。ここが重要な部屋だと言うのが直感的にわかった。
「パパ、連れてきたです」
「お入り、入鹿」
何か、今のやり取りだけで、入鹿さんがどういう風に育ったのかが分かった気がする。
「よくぞ来てくださいました。日暮様。私、当事務所の所長を務めさせていただいております。入間と申します。今回の依頼も担当させていただきました」
「ど、どうも」
物腰の低い、多分、四十代後半くらいの男性が、名刺を差し出して来たので、陽菜から貰ったクリスマスパーティーのあまりの名刺を差し出した。
「これはご丁寧に、この歳で名刺を持っているとは。しっかりしていますね」
「ありがとうございます」
部屋の中央に置かれていたソファはふかふかだ。多分、このソファで寝れる。机を挟んで対面に入鹿さんと入間さんが座った。
「さて、早速ですが。これを」
封をされた封筒が机に置かれた。
「この中に今回の調査結果が入っています」
「思ったよりも、早かったです」
「追うこと自体は楽でした。しかし……」
家に帰って、部屋で読み返す。
陽菜の母、矢田目友恵。旧姓で日暮友恵は現在、僕らが住むこの町の病院で入院中とのことだ。
僕の違和感はこれで解決された。でもこれを、僕はこの結果をどうするかはわからない。これに満足して庭でこの結果を燃やすか。それとも、陽菜に見せるか。
それとも、会いに行くか。
もし会わせるとしたら、いや、僕は陽菜の感情がわからない。
「聞いたら、教えてくれるのか、陽菜」
派出所に預けられてどう思ったのか。自分の母親に対してどう思っているのか。会えと言ったら会ってくれるのか。
「教えますよ、全て」
なんて、こういう時に限って、そんな風に言っていつの間にか後ろに立っている何てことは無かった。
「はぁ」
気がつけば、僕は父さんに電話をかけていた。それをする勇気だけはあった。
「もしもし」
『そっちから電話をかけてくるとは、珍しいな』
「話を聞きたくてね。父さんの妹について」
『妹がいるなんて話をした覚えは無いぞ』
「うん。聞いた覚えはないね」
父さんの反応は思ったよりも落ち着いていた。白を切るつもりは無いらしい。
「僕と陽菜、従兄弟なんだろ」
『そうだ。よく気づいたな。どこで気づいた』
「メイド長から。父さんの最後の仕事について、違和感があってさ」
『ほう』
「陽菜の父親を見捨てる冷酷さはある。それはつまり仕事を完遂するために必要な物を持っているのに、報酬は受け取らないなんておかしいじゃないか。依頼は半分達成しているのに、だぜ。そして、もう一つ。依頼を達成できなかったから貰わないという、優しさと厳しさを持っていたからと解釈したとしてもおかしい。なんで身重の女性を残してさっさと帰れるのか。出産までとは言わずとも、せめてどこか任せられるところに預けるくらいはするはずだ。そういう風にするのが自然だ。なぜなら父さんは安全なところまで連れて行くという思想のもとで動いているから」
『それで?』
「ここからは大分突飛な発想だったさ。都合の良い事に僕の住むこの町は、車ですぐに行ける距離に国際便の発着所がある。父さんの実家、僕の今住んでいる町だろ。今まで教えてくれなかったけど。自分の実家に預ける。それなら、実家の御両親の知っている人物なら説明の手間も省ける。という考えをしたわけだ」
『ほう、なるほどな。まぁ、八十点といった所か』
「そこまで点数を貰えることが想定外だよ」
電話の向こうの父さんが、真面目な雰囲気になったことを感じた。
『まぁ、話そう。そこまでわかったのなら。まず、僕と友恵がそういう考えだったのは確かだ。実家に帰るつもりだった。が、僕らが海外に行っている間に二人とも亡くなっていた。葬儀は親戚が勝手に行っていて、家も売り払われていた。土地しかなかったよ。そこを僕が買い取って今の家があるのだが。途方に暮れたね。さて、数日しかいられない。想定外の事態なのに、時間が無い。友恵を預けられる場所も無い。けれど友恵は、僕に早く帰れと言う。自分でどうにかすると。実際滞在期間は迫っていたからね、それに従うしかなかった。仕方ないから僕は、日花里の実家の住所と、朝野先輩の派出所の住所を渡した。あの当時、日花里の両親はこの町に住んでいたけど、でもまだ直接挨拶をしていなかった。何で頼らなかったって? 友恵が断固反対したんだ。これから孫が生まれる人たちに頼れるか? アホか? とね」
「なぁ、父さん。会うべきかな、僕は。会わせるべきかな、陽菜に」
『それは父さんは知らん。ただ、兄として、会って欲しいとは思う』
「そうか」
『だが、同時に、僕の妹が僕の甥っ子を捨てたも同然の事をしたのは事実だからな。なぜ僕にも、日花里の実家にも頼らなかったのか。僕にはわからない』
「父さんは気づいていたの? 旅館にいたこと」
『あぁ。気づいていたとも。話もした。まぁ、友恵に旅館を経営しているのは日花里の両親だって話をしたら結構驚いていたけどね』
電話が切れる。僕は思わずホッとしてしまっている自分に気づいた。
頭の片隅で、陽菜と母親違いの兄妹なのではという考えもあった。まぁ、あまりない可能性だったけど。
「陽菜」
「はい」
「話をしたいんだ」
「はぁ」
僕の差し出す封筒と僕の顔を見比べる。
「これを見ながら、僕と話をしよう」
どうして、決意ができたのか。多分最初からその気だったけど、怖かった。けれどここに来て、場所もわかり、父さんと話をして、会わせない言い訳ができなくなったからだと思う。
「最初に謝っておくよ。ごめん」
僕は、自分のしてしまった事から、ゆっくりと語った。