陽菜√第十一話 メイドと親。
陽菜の苗字は、メイド長と書類上の親子関係になった時点でメイド長と同じものになったという。
もしもこの宛が外れたら、いや、良い。それはそれで諦めがつく。むしろ、僕が今からする行動に正しいなんて確証は無いのだから。
むしろ、陽菜の過去を掘り返すような行動だ。嫌われても文句は言えない。
何でこんなことしようと思ったのだろう。
根拠のない、僕の「大丈夫」に根拠を持たせようと思ったから。
よし、答えは出る。だから少なくとも、僕自身は正しいと言える。独りよがりな正しさで、僕は陽菜のために何かをしよう。
「もしもし、じいちゃん?」
「いや、ばあさんだよ」
「了解。今、忙しい?」
『大丈夫だよ』
「ありがとう。それでさ、変なこと聞くようだけど、仲居さんいなかったけ? おばあちゃん以外に」
『いたねぇ』
あの人は、僕に話しかけて、陽菜の事を幸せにしてくださいと言った。出来過ぎた偶然だと思う。でも、確かめずにはいられなかった。
「今、いる?」
『それがね、やめちゃったのよ。どこに行ったのかねぇ』
やめた、か。どうやら、目論見が外れてしまったようだ。
「うん。ありがとう。それじゃあ」
『またいつでも遊びにきなさい』
「ありがとう」
これで良い。追えない物をわざわざ追わなくても良い。掘り返さなくても良いものをわざわざ掘り返す必要も無い。
ふと、考えていた。陽菜の母親の事を。そうなってくると自然に僕の頭は父さんの最後の仕事の事を考えることになる。
メイド長の話を一つ一つ思い出していく。
「えっ、あっ……」
おかしな点がいくつか、それが線で繋がれていく。いやまて。それは考え過ぎだろという声も聞こえる。
「相馬君、何か考え事ですか?」
「いや、何でもない」
いつのまにか置かれていたお茶に手がのびる。美味い。渋味が美味しいと思ったのは初めてだった。
でももし、この考えが当たっていたら僕と陽菜の関係は……。
これは、陽菜に伝えるべきなのだろうか。いや、不確かな情報で陽菜を混乱させるわけるべきではない。
「陽菜」
「はい」
「大好き」
「……急に、どうしたのですか?」
「何でもない」
「いえ、あの、そんなに見つめられると、何でもないって感じがしません」
「? そんなに見てた?」
そんなつもりは無いと思いながら、いつの間にか置かれていたフライドポテトを食べてみる。サクサクの食感、丁度良い塩加減。美味い。
鏡をちらりと見てみる。僕の黒目が僕を見つめている。陽菜に整えられた黒い髪が、感情の薄い顔がそこには映っている。
追うべきだろうか。深く考えてみる。
メイド長に、聞いてみるべきか。いや、メイド長があれ以上の事を知っているとは思えない。多分、これを知っているのは、父さんと、陽菜の母親だけだ。
父さんに、電話を……してみる……。
「いや、やめよう」
あの夜、ふと頭に浮かんだだけの事をなんでここまで考えているんだ。そうだ。そうだぞ。陽菜が目の前にいて、これからもずっと一緒にいるんだ。
それで、満足するべきだろ。
陽菜と付き合い始めて、前付き合っていた時より、距離が近づいた気がするのは、気のせいでは無いと思う。
流石に、学校で表立ってイチャコラしないが。それでも、目が合う事が良くある。
「あんた、最近幸せそうね」
「そりゃどうも」
「皮肉じゃないし、別に憎いわけでも無い。素直に祝福しているんだけど」
「ありがとう」
「言葉とは裏腹ね。次は何について悩んでいるのさ」
図書室に用事があって来てみれば、君島さんがカウンターに座っていた。なんでも、司書の先生が職員室に行っている間、代理をしているらしい。
「別に。どうでも良い事」
「どうでも良いって顔してない。莉々を誤魔化せると思わない事ね、日暮相馬如きが」
本から完全に顔があげられ、その目がぼくを射抜いた。
「まぁ、言いたくないなら聞かないけど。莉々に頼られても力になれるかなんて知らないし。でももし、頼りになると思う人がいるなら、どうにかしてみれば?」
頼りになるかもしれない人。頼りになるかもしれない人か。
僕一人でどうにかできる悩みじゃないのは、というか僕一人でどうにかできないから悩んでいるんだけど。悩んでいる理由すら曖昧なのだから。
「いる……!」
「ふぅん。それは?」
「入間さん」
「……ふぅん。それなら、さっさと頼りに行きなよ。というか、あんたは頼る練習して来い」
わざわざカウンターから出て来て、図書館から蹴りだしにかかる。本当、その細い体のどこにそんな力があるのか。謎である。
「なるほどです。でもそれは入鹿個人の力でどうにかなる問題じゃないです。仕方ないです。父の力を借りることにしますです」
入間さんはそう言って。スマホを弄り始める。
「しかし、曖昧な情報ですね。この人と日暮氏はどういう関係です?」
「言えない」
「ふむ。まぁ、大方察していますですよ。陽菜の姉御の母ですね?」
歯を食いしばって表情に出ないようにしようとするが、その反応の時点で入間さんの思うつぼらしい。
「そもそも、日暮氏と陽菜の姉御が出会ったのは高校に入ってからというのは確認済みです。陽菜の姉御の身分から考えれば仕方の無い事ですので、広めもしませんですし、安心してくださいです」
入間さんがさらっと言った事。高校二年間、隠し通していた事を、入間さんは知っているとあっさり言った。
「君は本当に、何者なんだ」
「入間探偵事務所、所長の一人娘、入間入鹿です。日暮氏、この案件は入鹿一人ではどうにもならないですので、ここからは事務所の力を使うです。依頼、しますですか? 確実に調べてみせるですよ」
目の前に差し出された、真実への片道切符。これを取れば確かにわかるのだろう。でも僕は怖い。世の中、知らない方が良い事もある。これは、知っても良い事なのか、判断がつかないことだ。
「彼女さんの事をこそこそ嗅ぎまわる事に抵抗があるのはわかるですよ」
「あぁ。それに、僕にはこれを調べる理由が無いんだ」
「無いなんて、日暮氏。人が真相を知る理由なんて、悩んでいるってだけで十分なのです。人のプライバシーを掘り下げる仕事を手伝っていると、そう思えてしまうのです。知れば知るほど、他人だなって思えてしまうのです。日暮氏は知っている、というか、身をもって何回も実感しているはずですよ。人は所詮自分のためにしか動けない。結果的に人のためになっているだけだと」
入間さんは、何もかも知っている、そんな雰囲気でさらに言葉を続ける。
「まぁ、皮肉なことに、人が人を傷つけるのは余裕のよっちゃんで、できてしまうのですけど。でも、日暮氏がもし陽菜の姉御のために何かしたいと思うのであれば、必要じゃないですか? 知る事は? 結果的に陽菜の姉御のためになるかもしれないですよ」
入間さんの言っていることは、よく聞けばおかしい。説得力にかけるけど、でも、そうしなければと思わされるものがある。
「頼んでも……良いか? 調べたものをどうするかは、これから決めるから。さ」
「当然ですね。調べたものをどうするかなんて、知ったこっちゃありませんから」
とりあえず、調べてもらうだけ。調べてもらうだけ。
「料金の見積もりは後日送るのです。待っていてくださいです。まぁ、今日から早速調査を始めるですけどね」
「頼みます、入間さん」
「入鹿と呼んで欲しいです。これから父と会う事もあると思うので、ややこしいです」
「わかった、頼むよ、入鹿さん」
頼んで、しまった。これからどうなるのかも、どれくらいかかるかもわからない。でも、前に進んでいる気もする。一寸先も見えないけど。