陽菜√第九話 メイドとイヤホン。
うわ、懐かしいのが出てきた。
机の引き出しを開けて、奥底をごそごそ漁っていると、何か手にぶつかるものがあり、引き出してみたら、何かのケースが出てきた。
開けてみれば黒いイヤホン。中学時代愛用していた一品。お小遣いをあまり使わない僕が無理して買った物。音質は下から上はわからないと言うが、これで音楽を聴いてしまってからというもの、これより安いイヤホンが買えなくなってしまい、失くしてからはイヤホンで音楽を聞かず、最近はあまり使っていないCDプレイヤーから音楽を流すようになった。が、CDって集めると場所取るしなぁ。
「まだ使えるのかな」
スマホに繋いで、動画サイトから適当な音楽を流してみる。
「おっ聞こえる」
流れ出す音楽はクラシック。思わず目を閉じてベッドに寝転がる。
ピアノが旋律を奏でる。深みのある音、ゆったりとしたリズム。聞き覚えがあるけどタイトルは知らない。クラシックなんて、嗜まない人からすればそんなものだろう。
そもそも、こういうのは人々の耳や心に残っているのが重要なんだ。知らなくても知っている。奏でられ続ける。それが大事なんだ。
なんて、何を考えているんだ僕は。
しかし、へぇ、使えるものなんだな。
少しうれしくなってしまい、多分使っていた当時よりも丁寧にイヤホンケースに片づけた。
「相馬君、珍しいですね。イヤホンなんて」
「ん? あぁ、中学生の頃に使っていたものでさ。机の中を漁ったら出てきた」
「なるほど。ふむふむ」
冬休みが開けて最初の日。先生が何やら会議があるとかで僕たちは暇していた。
「へぇ、懐かしいもの使っているじゃん。日暮相馬」
「君島さん」
「本当に、懐かしい。そして忌々しい。あんたが莉々にプレゼントしたイヤホン。調べたらやたら高いし音質良いし。おかげで捨てるに捨てられない。これより安いの買ったらなんか満足いかなくなって、莉々、おかしくなった」
「まぁまぁ、落ち着いて。ねっ?」
君島さんの後ろからひょっこり乃安が顔を出す。と言っても、乃安の方が背が高いため、ずっと見えてはいた。
「それで、日暮相馬は何を聞いていたの? どうせクラシックでしょ」
「なんでわかるのさ」
「あんた気に入った曲を延々と聞き続けるタイプだし。あとはまぁ、中学の頃に見たプレイリストから予想しただけ。まぁ、スマホになってプレイリストが変わっている可能性もあったから、確信があったわけじゃないよ」
どや顔と言うより、「ざまぁ」と言われている感じがする顔。
「当てた事がそんなに嬉しいのですか? 莉々」
「べ、別にそんな訳じゃない。そんな訳じゃないから。そんな訳じゃないというか、別に気にしてないんだからね、誇ってないから、だから乃安ちゃん、そのにやけ顔、やめない?」
担任の先生が入って来たのを見て、二人は慌てて出て行った。
陽菜がちらりと僕のイヤホンを見て、考え込むような雰囲気を見せるけど、すぐに席に戻って行く。
「ふふっ」
隣の席に座り、勉強していた夏樹が、突然そんな声を出して笑ったので、びっくりしたのは当然の事だろう。
陽菜がずっと見ている。ずっとこっちを見ている。
「どうかした?」
「何でもありません」
器用なことに、家事をしっかりとこなしながらの行動なのだ。
ちなみに僕は仕事の邪魔をしないよう、しっかりとイヤホンを着けて、音楽を流しながら、センター試験の勉強をしている。
じーっという音が出ていそうな雰囲気。体のどこかに穴でもあけられそうだ。
「陽菜?」
片耳外して顔を上げると、乃安が後ろをクスクス笑いながら通り過ぎた。
「……なんでも、ありません。見ていただけです。時に相馬君。お、おやつでも食べませんか? もう一時間もしていますよね」
「あ、あぁ」
「私の持論では、長々と勉強するより、時折リフレッシュしながら勉強するほうが効率が良いのですよ。多分、そろそろ、乃安さんがおやつを持ってくるので」
「あー、ネタバレしないでくださいよ、先輩」
紅茶とイチゴのショートケーキ。
「今日は早く学校終わるという事で、おやつまで力が入ってしまいました。どうぞ食べてみてください」
「乃安さんが作ったのでしたら、美味しいですよ」
「いえ、お菓子と卵焼きは、まだ陽菜先輩には勝てませんね……」
「卵焼きだけは、絶対に負けたくないですね、まだ……」
陽菜の心からの呟きだった、と思う。先輩の意地というものだろう。意外な顔を見せてくれる。
夜、ひっそりと静まり返った家。部屋でぼんやりとまたイヤホンを着けていた。
流れる音楽もそれに合わせて優しい曲。これはよく眠れそうだ。
スポッとイヤホンが耳から抜かれた。
「なるほど、良い趣味していますね。この曲を選ぶとは」
「どうかした?」
「音楽の共有ですよ」
「共有とは言わないよ。右耳左耳、流れている音は違うのだから」
「野暮な事言わないでください」
僕の隣に寝転んで、奪った片耳から僕と同じ曲、だけど違う音を聞いている。
「手、握ってくださいますか?」
「良いよ」
小さく、冷たい手。だけど、握っているうちに段々温かいものに変わっていく。
僕が情けない時に触れると温かいのに、普段はこんな温度なんだ。
抱き寄せると、抵抗することなく陽菜は僕の腕に収まった。
「心臓の音が聞こえますね」
「心音の共有」
「……生きていてくださり、ありがとうございます」
「急に重い事言うね」
「重いですか?」
「重いよ」
「女性に重いとは、失礼な。私は普通より小柄です」
「知ってる」
こうして、抱きしめているのだから。
「そういえば、莉々さんにイヤホンをプレゼントしたというのは?」
「確か……中学生の頃、誕生日に」
「そうですか」
陽菜はさらに密着しようとすり寄ってくる。柔らかくて、好きな香りがして、そして……。
「くぅ」
ん?
陽菜は目を閉じてそのまま眠っていた。体を離す。そしてその顔を眺める。
「……前までできていたことが、できない」
気恥ずかしい。改めて意識すると。手を繋ぐはOK。抱きしめるのも行ける。しかし、その先となると。
「なんでかなぁ」
よく考えれば、いつも陽菜からガンガン来ていたよな。僕から仕掛ける事なんて、片手で数えられるかもしれない。となれば、できていたというより、リードされていたといったところか。
「今時な草食系男子かよ」
となると、陽菜は肉食? でも、一度くらいは僕がリードしてみたい。してみたい。
「これ、幸せな悩みってやつ? だよなぁ」
今までは、陽菜と一緒にいる事だけで満足している部分もあったけど、陽菜がどこかに行こうとした、その事実が、わりと重く圧し掛かっている。
もっと陽菜を感じたいと思った。けれど、どうにも何もできない。
我ながら、女々しい。
「キス、くらいなら……」
顔を近づける。綺麗な顔だ。頬に手を添えれば、柔らかく滑らかな感触を楽しむことができる。思わず指で押してしまう。
「ん」
そんな吐息だけで、起きたのか? とか不安になる。今この状況で起きられてしまっては、何と言い訳すれば良いのやら。
「触れるだけ。触れるだけ。って、夜這いかよ」
あほかぁ……。
カッコよく陽菜をリードできればなぁ。