乃安√第十六話 乃安と莉々と。
「陽菜先輩。すいませんね。その、そうちゃん騙すの、嫌ですよね」
「いえ、私は私で目的があるので、協力するのは良いですよ」
「そうですか。意外ですね、そうちゃん第一主義って感じなのに」
休日でも制服を、多分、中学校の頃のを着て、私が出した乃安さん秘蔵の茶葉を勝手に使った紅茶を美味しそうに飲む、最近仲良くなった後輩。君島莉々さん。
「やっぱり駄目ですよ、せっかく乃安ちゃん、幸せになったのに。上手くいく可能性を選ばなければ」
「はぁ」
「選らばれなかったら、その時は身を引くのみ」
「それで良いのですか? 莉々さんは」
「うん」
「私と目的は似ているのですね。良かったです、匿って」
「というのは?」
「私の目的は、あなたに愛を向けてくれる二人、そのどちらも愛せますかって事なんですけど」
捨て猫のようにしょぼんとしている莉々さんは、ゆっくりと顔を上げる。
「そんな器用な事、できる人、いるのですかね」
「愛は安売りするものじゃないですからね」
顔を合わせて苦笑いする。
「多分、乃安ちゃんより先に出会っていたら、莉々は陽菜先輩に恋していたのかな」
「どうですかね。たらればの話は好きですか?」
「大好き。いつも考えている」
「そうですか」
莉々さんの目論見は目論見通りいくわけがない。それは、莉々さん自身も、そして私もわかっている。でもそれでも、これは通過儀礼のように、莉々さんの目の前を横たわっている。踏み越えなければならない一線という物があるのだ。
そして私自身にとっても。後輩を快く送り出すために、やらなければならないのだ。こうして、莉々さんを匿い、そして二人を待つという事は。
電話が来た。相手は着信音でわかるから脊髄反射ですぐに出た。
『もしもし、陽菜。君じm……莉々知らない?』
「どうかされたのですか?」
『来ないんだよ。待ち合わせ場所に。家にもいないし、そっちに行って無いかなって』
「わかりませんけど……いえ、一旦合流しましょう。家まで戻ってもらっても良いですか」
『わかった』
相馬君が冷静なら、私が家に帰って来いと言うのがおかしいのに気づくはず。私も探しに出た方が効率的だ。連絡が取れるのだから。
「なんでここに呼ぶのですか」
「さぁ、どうしてでしょう」
「ふぅん」
あの二人が来ると言うのに、動こうとしない莉々さんは、そのまま、覚悟を決めたように目を閉じる。
そうして間もなく、二人が家の中に入って来た。
「あっ、莉々。ここにいたのですね」
乃安の安堵したような声に返事をすることなく、目を閉じて動かない莉々は、ゆっくりと目を開けて、そして深呼吸をする。
「乃安ちゃん、腰を据えて話をしようか」
「ん? なんの?」
「私たちの関係。本気で、莉々とそうちゃんと同時に付き合う気なのか」
「うん」
乃安は、当然の事のように、当たり前の事のように、頷いた。
「莉々はこの間、乃安としたことをお忘れですか?」
「うっ……莉々だって、乃安ちゃんがまさか応じてくれるとは思っていなかったし……拒否られると思っていたし……」
陽菜は静かに紅茶をすする。僕も手を出すつもりを失くしたので、陽菜の隣に座る。すぐに紅茶の入ったマグカップが目の前に置かれた。
莉々の中身に幼い部分が残っていることを忘れていた。ならあとは、乃安にやり込められ、たじたじになるという既定路線だ。
「莉々は乃安が好きなんですね」
「そうだよ!」
「なら、良いじゃないですか。逃げなくても」
「だって、オッケー貰えると思っていなかったのに、うぅ」
「相馬君は、この光景をどう思いますか? 呆れますか?」
「微笑ましいと思うよ」
素直な感想を投げてみれば、陽菜はにっこりと笑って満足気に頷いて。
「乃安さんがハーレムを作って大勝利って感じですかね」
「陽菜も入る? 乃安ハーレム」
「私は姉ポジションで満足ですよ」
目を細めて、小さな子ども見るような、そんな目で、じゃれ合う二人を眺めて、頷く。
「私はお勉強、お手伝いしますから。大学でも」
「うん」
「メイド長の所での修行にもお供しますよ」
「頼む」
「それからは、どうしましょうか」
「来てくれないの?」
「お邪魔では無いでしょうか」
「陽菜が決まっていないって言うなら、僕は来て欲しいな」
陽菜はそう言うと、吹き出すように笑って。
「乃安さんに怒られますよ。だから駄目です。たまには遊びに行くので、それで我慢してください」
陽菜がげしげしと机の下で足を蹴ってくる。
「雇っていただけるなら話は別ですけどね。どうです? 今からでも商談しますか?」
「稼げるようになってからで」
「畏まりました」
結局その日はお家デートに落ち着いた。
「莉々、まさか……」
「ここは、いけるね」
「まって、そこ抜かれたら、私……」
「よし、倒れない。さぁ、乃安ちゃんの番!」
「無理無理無理。どうしようもないよぉ」
「頑張れ、乃安」
ジェンガという木組みのタワーからパーツを抜いて、どんどん高くしていくゲーム。当然、崩したら負け。片手しか使ってはいけないとか、一度触ったらもう変えてはいけないとか、細かいルールはあるけど、それは割愛。
「よし、よーし、いけそう、いけそう。いけ! よしよし、いけぇ!」
気合い一閃、タワーは揺れはするもののその頂は堂々と高々と佇み続け、僕の手番が回ってくる。慎重にその重心を見極めるが、しかし、終わると思っていたゲームが続くとなると、冷静を欠いてしまう。要石のような存在はどれか、わからない。わからないけど、どうにかしなければ。陽菜は冷や冷やしながら僕の動きを待っている。
よく見れば、右の方に傾いていることに気がついた。ならば、左の方は緩いのか。
「よし」
もはや、ここまでくると賭けな気がしてきた。
慎重に抜いて行く。最初はすんなり動いたけど、途中から固い事に気づく。
「あっ」
それでも無理やり抜こうとすると、いや、無理矢理でも抜かなければいけないのだが、でも、上の方が変にズレて来る。動きを慎重に、目に力が入る。少しでも、多くの情報を得ようと、全神経が開かれるような錯覚に陥る。
「いけっ!」
けれどそんな声は虚しく、ぐらぐらと少し揺れ、首が落ちるように上から崩れ、そのまま塔は崩落した。
「うわー、マジか。いや、乃安スゲーや」
「あ、あはは。ありがとうございます」
「なぁ、莉々」
「ん?」
「送っていく」
「良いよ、どうせ近いし」
「駄目だ。女の子」
夜。莉々が帰ろうとしているところを後ろから声をかけた。
「そう、じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
そうして、並んで外に出た。乃安は夕飯の片づけをしているし、陽菜はお風呂とかの準備をしている。
「今日は悪かったね。勝手なことして」
「理由だけでも教えてよ」
「理由ね。乃安ちゃんがまさかあそこまでとは思わなくて、正直、乃安ちゃんが莉々とあんた、同時に付き合うなんて無理だと思っていたから。だから、陽菜先輩を人質に、どっちか選ばせようと思って」
「何とんでもない事考えているんだよ」
「いや、陽菜先輩も同じ目的だったらしくて。それで匿ってもらったんだけど」
思わず苦笑いを浮かべる。
「乃安を甘く見過ぎたな」
「本当に、そうだね」
憑き物でも落ちたような、そんなすっきりとした表情で、澄んだ夜空を見上げて、思いっきり伸びをする。
「なぁ、莉々」
「なに?」
「お前が思っている以上に、世界は優しいし、君は嫌われものじゃない」
「ん、そう」
「あれ?」
「何よ」
「意外と素直」
もっと反発されると思っていた、そんな覚悟と共に言ったのに。
「あんたも莉々も、乃安ちゃんも、結局のところ、誰かに認められたかったんだよ。自分の事を無条件に愛してくれる、そんな人を欲していた。乃安ちゃんは、私を受け入れてくれた。なのに、今更あんたの言ったことを否定するのも、馬鹿馬鹿しいじゃない」
莉々はそう言って笑って、そうしてそのまま、家に入っていく。
「ただいま」
その一言共に。
「そっか」
前に進んでいるんだな、莉々。
くるりと振り向く。すぐに帰ると思っていたから防寒なんて対して考えていなかったけれど、手がすっかり冷えていた。
だから、背後からの温かい感触が嬉しかった。
「乃安ちゃんに言っておいて、おやすみって。それと、抱きしめてね、そうすれば、私が今抱きしめた分は、乃安ちゃんを抱きしめた分になるから」
「わけわからんけど、了解」
「うん、それじゃあ、そうちゃん、おやすみ」
そうして、今度こそ莉々は家に帰った。ぎこちないけど、和やかな声が聞こえた。
僕らの感じていることは、きっと、誰もが感じている願望だ。
でも不幸比べなんて不毛なこと、望んでいる人の方が少ないだろう。だから、案外世の中は回っている。だから僕は幸せな方だろう、こんな風に誰かに愛されて、ぽっかり空いた隙間、きっとみんな持っているそれを埋めてくれる人がいるのだから。
「せんぱーい、包み終わりましたか?」
「と言いつつ、僕のまだ包んでいない皮、持って行くんだもんな」
「えへへ、私の方が速いですね」
「勝てるとは思っていなかったから、別に良いけどさ」
無性に餃子が食べたくなり、乃安にねだってみたところ、皮から作り始めた。そして包むのは三人でだ。とは言っても、陽菜と乃安が張り合うように自分の分を終わらせて僕の分の皮を持って行くのだ。まぁ、何でこんなに大量に作るのかと言うと。
呼び鈴が鳴った。
「いらっしゃい」
「おっす」
みんなを呼んだからだ。思い付きで。
「餃子パーティーするから来いって言われたけど、凄い量だな」
「今から焼くんで待っていてください」
夏樹に入間さんに京介。そろそろ莉々も来ると思うけど。
「はい、そうちゃん」
「おっ、来たんだ」
「ん」
莉々が差し出しているのは、えっ、ビール?
「僕未成年」
「知ってる。ノンアルコールだから」
「へぇ」
美味しいのかな、お酒って。と思いながら京介を見ると。
「知らん」
と一言だけ言われた。まぁ、変なところで真面目だから飲んだこと無いのだろう。
結構盛り上がった。ノンアルのはずなのに、多分、雰囲気で酔ったという奴だと思う。結構作ったはずなのに、あっという間になくなった。
それでも話したりゲームしたりで盛り上がっていたらすっかりと夜も深くなり、みんな慌てて帰って行く羽目になったのであった。
祭りの後の静けさ。嘘のように、転落するように静かになったリビング。ニンニクとにらとゴマ油の香ばしい香りがまだ残っている気がする。
なんでこんな事を思ったのだろうと、唐突に意味も無い行動を取りたくなり、みんなを巻き込んでしまったのだ。本当に、なんでだろうな。
でもその思考はすぐに打ち切った、意味の無い行動も必要なんだ。感情から衝動から沸き上がったものは、きっとその人の本当にやりたい事なんだ。
だから僕は後ろから何かをしようと忍び寄る後輩を素早く抱きしめた。
「うわっ! 気づいていたのですか先輩? というか、餃子の匂い残っているんで、あまりその、鼻を埋めて欲しくないというか……」
「良いよ。別に。温もりが欲しかっただけだから」
「は、はぁ」
「乃安。僕、頑張るから。乃安が夢に向かえるように」
「でも先輩。申し訳ないですよ。その」
「良いんだよ。僕がやりたいのは、そうだから」
衝動から思った、真実だから.
静かに抱きしめ合った。それだけで十分だ。でも、足りないのも事実だ。矛盾しているな。でも、今は充分でも、卒業してからの数年は、今のように一緒にいれないのだから。だから、今からでも貯金したいんだ。
「私も頑張ります。乃安は、乃安の事が大好きな、乃安の大好きな人のために、いろんな人に温かさを感じてもらえるように、頑張りますから」