乃安√第十五話 後輩とデート。
「なぁ、陽菜」
「はい」
「メイド長に経営者として弟子入りしたらどうなるかな?」
「死にますよ」
陽菜は、淡々とそう即答した。
「メイド長の仕事術、経営術は、類稀なる豪運、そして明晰な頭脳と未来予知と大差ない先読み、そして、もはや世界のバグとしか思えない体力。あの化け物の欠点なんて、人格が破綻しているくらいです。いえ、仕方ないでしょう、自分の周りは自分より常に下なのですから」
大学で大人しく学ぶか、メイド長から学ぶか。何でか、そんな二択が浮かんだのである。
「乃安さんを支えるために、そして乃安さんの理想は潤沢な資金と沢山の信頼の元に成り立つものですからね、しっかりとした経営者は必要です。相馬君がそれを目指すのは妥当でしょう」
陽菜はそう強くうなずく。
メイド長への弟子入り……そうだ。まともな勉強で僕が強くなれるはずない。陽菜の話を聞く分に、完璧にそのまま活かせなくても、応用くらいできるのではと思う。正直怖いけど。
よし、とりあえず本人に相談だ、苦手だけど、凄く苦手だけど。
『なんだ、少年か。どうした?』
「あの、進路について相談したくて」
『ほう、何で私にとか思うが、いや、なるほど、そういう事か。ふっ、ならアドバイスだ』
「あの、まだ何も言っていないのですが」
『陽菜と乃安からの業務報告から推察すればすぐにわかる。まあ、どちらも色々隠している感じはするが、乃安が料理の道一本でと言い、少年がそれを手伝うつもりだとすれば、となればわかるだろう。そしてこの私に相談するとなれば、結論は一つだ。さて、アドバイスをしよう。タネ明かしで悦に浸る趣味は無いからな。大学で基礎から学んでそれから来い。以上だ。私の所で二年は面倒見てやる。給料は出そう』
「あの、一つ良いですか?」
『なんだ?』
「そんなあっさり了承されると思わなかったので、理由が聞きたいのですが……」
『そんなものは当然だ。お前のためではない、乃安のためだ。乃安の最近の業務報告を見せてやりたい。お前の事しか書いてないぞ、これ。いや、報告として成り立っているから良いのだが、何でお前が今日何回欠伸をしたかとか書いてあるんだ。授業中まで見ているとは、この部分は陽菜が数えているのか? ここまで戸惑うの人生で初めてだぞ。まぁ良い。とにかくだ。派出所のメイド達の将来は私が面倒見ると誓っている。最終的に自分の足で歩いて行けるようにな。そのために必要なことは惜しまない。お前一人が足手まといになるほど落ちぶれてもいないしな』
話せば話すほど、この人に対する印象が変わっていく。そして、ここまで自分の人生を放り投げている人を見るのも初めてだ。
「メイド派出所って、もしかしてそのための機関なのですか?」
『ご名答だ。大半の子は派出所でそのまま働き続けるが、別の道を歩む子もいる。どちらも、どの道も選べるようにするのが派出所だ。この事業自体は赤字だが、私が勝ち続ければ、派出所の赤字くらい余裕で取り戻せる。どうだ? 凄いだろう?」
「そうですね」
心からそう思う。そして、狂っていると思う。人助けをする悪魔だ。今の僕の印象を表現するなら、こうなる。
『それではな。今から飛行機だ。達者でな、少年』
乃安と二人で出かけるのは三回目か。
白くてもこもこしたコートを着て、今日は眼鏡をかけずに、いつものように髪を一つにまとめて横を歩いていた。
「わーっ、クラゲだ―。綺麗ですね、先輩」
乃安のそんな、控えめだけど、楽し気な声が響く。確かに、ゆらゆら揺れる様子は可愛いし幻想的だけど。乃安のはしゃいでいる様子の方が可愛いと思う。
「先輩先輩。クラゲ眺めながらお茶できるそうですよ」
「良いね」
二本のストローを使い、イルカを演出している一つの大き目なグラスに、何かいろんな色が混ざってコントラストを奏でている飲み物。
「二個頼まなくて良かったの?」
「野暮な質問ですね。デートなんですよ? 無駄を楽しみましょうよ」
乃安はそう言って、髪をかき上げながら、ストローを口に含み、吸い上げる。
「先輩も飲みましょ」
「う、うん」
少し恥ずかしい。果実の甘みと酸味が同時に広がり、爽やかな香りが広がる。一緒に飲めば顔が自然に近づいて、顔が熱くなった。
「ふふっ」
そんな僕の様子が面白いのか、乃安はクスクス笑っていた。
「可愛いなぁ」
「そ、そうかな?」
「ダイオウグソクムシ、良いなぁ。飼いたいなぁ。飼えるのかなぁ」
「深海生物って飼えるの?」
どうなんだろう。でも、乃安の感性がわからない。
「キーホルダーだけでも欲しいかも」
「行ってみる?」
「はい」
そうして、乃安は深海生物のキーホルダーをいくつか買い、それをスマホにつけて楽しそうに眺めている。
「どうですか?」
「なんか、すごいね」
冬の公園は静かだ。足跡はあるにはあるけど、それでも誰にも踏まれていない場所の方が目立つ。
「流石にここでお昼ご飯は無理ですか」
「無理だね」
「残念です」
そう言ってしょぼんと弁当箱を抱えてしゃがみ込む。
レジャーシート敷けば行けるかな。寒いけど……本当に寒いけど。
「あっ、じゃあさ」
「はい」
「こっちこっち」
乃安は頭にクエスチョンマークを浮かべたような表情でついてくる。
「ほら、ここなら」
そこは、公園のすぐそばにある図書館。その中にある飲食スペース。ここなら寒くない。
「想像とは違いますけど、これはこれで良いですね」
「冬に外で食べるとなると、カップ麺とか?」
「ふふっ、甘いですね。先輩。私を甘く見ないでください。じゃじゃん、今のお弁当とはスープも持参できるのです。思わず買っちゃいましたよ」
開けてみれば、それはおでんだった。
「ふふっ、今晩のメインの試食ですよ」
「おぉ」
「夜になればもっと美味しくなります」
しっかりと好きな具材を入れてくれているのは流石と言うべきか。そして、確かに保温機能は確かなようで。
「これはですね。塩漬けしておいた豚ロース肉です。これを使って、そこに葱を加えて、焼肉丼ですよ」
「おぉ、ネギ塩豚丼か」
「はい。好きですよね? 確か」
高校生になる春休み、面倒な時はそれを持ち帰りで買って帰っていた時期もあったな。
「どうです? 美味しいですか?」
そんな乃安の声も聞こえず黙々と食べてしまう。
「あ、あはは。逃げないですよ。そんなに急がなくても」
勢いよく食べ過ぎたせいか、むせそうになる。乃安が慌ててお茶を渡してくれる。ドジなことしたなと思った。
「ふふっ」
微笑ましいものを見るように笑われ、まったく、どっちが年上なんだか。
向かい合わせの席、四人掛け、乃安は思いついたように隣に移動して、頭を肩に預ける。ちらりと顔を向けると、目を閉じてリラックスしたように、気が抜けているような、そんな雰囲気があった。
心もお腹もいっぱいだ。
「先輩、今日の乃安はどうですか?」
「可愛い。正直直視したらにやけそうでヤバい」
「……ふ、ふふっ、何ですか? それ」
「そのまんまの意味だよ」
食べ終わったのを確認して、手早く片づける乃安は、声を押し殺しながら、それでも漏れ出る笑い。
「もう、先輩。はぁ~。ダメですね。欲張りな私が出てしまいそうですよ、可愛いですね、先輩。ちょっと付き合ってください」
夜になっていた。と言っても日が沈むのが早いだけで、まだ時間は帰るような時間ではない。そろそろ疲れを感じながらも、それでも心地の良い疲れだ。
「ゲーセンですね。ここが」
「元気だね、乃安。若いって羨ましいよ」
「そうですかね? ふふっ、さぁ、やりますよ」
「何から?」
「シューティングからで。ゾンビを撃ちます」
「おっけー」
楽しそうに乃安は堂々と正面からずんずんと入っていく。僕はその後ろから続いて行く。
「百円、百円」
乃安がノリノリで二百円入れる。何で僕がリードされとんじゃ。
「えいっ! えいっ! えいっ!」
そんな可愛らしい声とは裏腹に、半端ないエイム力で次々とゾンビの頭を吹っ飛ばしていく。僕は先程から一回の遭遇で一体、良くて二体くらいしか倒していない。
「さぁ、どんどん行きますよ」
四つん這いで襲ってくる巨大なボスも、弱点を正確に打ち抜き、一撃ももらうことなく突破していく。
なんだこれ。上手くない? 僕必要なのか?
さて、五体満足一撃ももらうことなくラスボス。気がつけばギャラリーもできている。
乃安の唇が真一文字に引き締まり、目は鋭く、しかし体に余計な力は入っておらず、銃を静かに構える。僕もそれに倣う。
「よし、あと少し」
「はい」
そして、終わりはあっさりとしたもので、拍子抜けしてしまった。周りから「おぉ~」という声も上がる。
「あっ、先輩、ゲームが得意な女の子は、駄目ですかね?」
「全然。むしろ楽しかったよ」
「あ、ありがとうございます」
ペコペコ乃安が頭を下げながら人混みの間を下げながらすり抜けていく。
「か、帰りましょうか。楽しかったです」
「うん」
乃安も後ろの人混みに驚いたのか、しどろもどろ。外に出ると、寒いというより、涼しいという感想が浮かんだ。
「明日は莉々もですね。とっても楽しみです」
「そうだね」
とても、とても幸せだった。
だから、この時の僕らは考えていなかった。次の日、待ち合わせの時間になっても現れない君島さんの家に、雪道を夏の路上のように走る事になるなんて。