乃安√第十話 後輩と付き合い始めました。
「というわけで陽菜、そういうわけで、そう言う関係なんだ」
「相馬君はもう少しはっきり言いましょう。昨日の夜の乃安さんを見習ってほしいです」
「なんだ、乃安から聞いていたのか」
「はい、けれど、私の可愛い後輩兼妹である乃安さんと恋仲になった。その事をしっかり報告する、筋を通す、その行動に好感はもてます」
「そうか……」
台所にて朝食作りに勤しむ乃安、リビングでテーブルの準備をする陽菜。それは少し前は当たり前の光景で、今は感慨深い光景。
「お邪魔しますおはようございます」
「莉々さん。おはようございます」
陽菜と君島さんは、気がつけばそこそこに仲良くなっていた。周りを見る余裕が無かった僕にとって、ようやく視界を広げて色々見る余裕ができて、一番驚いた光景だ。
多分、性格的に相性自体は良かったのだろう。出会い方があれだっただけで。
「できました。味見はできていないので保証しません」
隠しきれない不安と共に運ばれてきた朝食。
「大丈夫。食べるから」
「それは駄目です。不味かったら言ってください。私のプライドが許さないので」
「わかった」
そうだ、情けは乃安のためにならない。ちゃんと言おう。そう思いながら根菜スープを一口。
「少し薄いだけ。大丈夫だよ」
「そ、そうですか」
引きつる乃安の笑顔。心が痛む。でも、必要なことだと無理矢理割り切る。乃安が一番嫌がる事はお情けなのだから。
「莉々、せっかくの冬休みなのに、良いのですか?」
「そう思うならもう少し遅起きすれば良いのに」
そう言う君島さんは確かに眠そうだ。
「乃安ちゃんの家に行って寝て良い?」
「駄目です」
「陽菜先輩の部屋は?」
「勘弁しください」
「ですよね。ごちそうさま。美味しかったよ、乃安ちゃん」
そう言いながらも、堪えきれない欠伸が、君島さんから漏れている。
「大丈夫?」
「あんたに心配されてもねぇ」
そう言いつつも、うつらうつらとしている君島さん。そのまますとんと、糸が切れた操り人形のように、眠りに落ちて行った。
「どうしますか?」
「とりあえず、僕の部屋にでも運んでおくか」
相馬先輩はそう言って、軽々と持ち上げると、そのまま連れて行く。私たちの立場を隠す意味でも、それは一番良い選択ではあった。
階段を昇っていく先輩について行く。何故か一回ベッドの匂いを確認して(もう陽菜先輩がシーツを交換している)寝かせる。そしていそいそと部屋を片付ける(これも陽菜先輩がほぼやっているため、あまり必要ない)。
「よほど眠かったんだろうな」
そう言って、何か嬉しそうに頭を撫でる。
「気は許してくれているんだ。……戻ろうか」
「はい。ご安心を。莉々には頭を撫でた事は言わないでおきます」
「ん。そうしてくれ」
先輩の目には唇に指を立てて片目を瞑る私が映っている。我ながらあざとい仕草だと思った。
先輩の後ろについて一緒に出て行く。出て行こうと思ったけれど、ちらりと振り向く。寝息を立てている友達。
こうして、無理矢理早起き? それとも寝ないで? 来てくれる私の友人。迷惑しかかけられない私は、私のために色々してくれる人たちにどれだけ恩を返せるのか。
返せないだろうなぁ。特に陽菜先輩とか、幼少の頃から迷惑かけっぱなしで。
ごしごしと浴槽を磨きながら。私は自分の舌に意識を集中する。あの時、確かに感じた甘さは、何だったのだろう。
「あっ、お疲れ。乃安」
「あっ、先輩。どうかしましたか?」
「いや。みんな何しているのかな~って」
ひょいっとお風呂場から出て。ゴム手袋を外して、もう一回確かめよう。そう思い私は先輩を、洗濯機に押し付けた。
そのまま何も言わずに、奪うように唇を重ねる。
「あまぁい」
思わず、そう呟いた。
顔を離す。驚いたように、私を見つめる、その顔に、さらにもう一回。
思わず貪るように。久々に感じた甘味は、私を狂わせるのには十分だった。
息がもたなくなる。顔を離すと、無意識に酸素を求めるように、呼吸がちょこっと荒くなる。
「乃安、急にどうしたのさ」
「あ、あはは。すいません。私、ちょこっとおかしくなっちゃったようで。あはは」
お風呂の掃除に戻ろう。熱っぽい頭を覚まそう。これが終わったらお昼ご飯を作らなきゃ。やるべきことを頭の中に列挙して、無理矢理頭の中を切り替える。
「うん、よし」
思わず張り切って、ハンバーガーとフライドポテト。フライドチキン。作ってしまった。
「まぁ、たまにはこんなジャンクなものも良いよね」
さて、莉々を起こしに行こう。
「莉々、起きてください。お昼ご飯、食べませんか?」
「んー、乃安ちゃん? ふわぁ、おはよう」
「はい、おはようございます」
莉々の目が私を捉える。伸びて来る緩慢な手に、敵意も害意も無く、私は触れられても払う気が起きなかった。部屋の扉がガチャリと開いたことに意識が向いて、莉々の顔が近づいてきても、特に気にならず。
唇に柔らかい感触がして、ようやく何が起きたのかを察した。
「ねぇ、日暮相馬。女の子が女の子が好きって、おかしいかな」
部屋に入って、僕はその光景に驚かなかったかと言われれば嘘になる。
「どうしようね。乃安ちゃんが幸せなら、私はどうでも良いやって思ってたけど、でもやっぱ駄目みたいだ。あんたの事、どうすれば良いかな」
僕はその言葉に返す言葉を持ち合わせていない。ただ、黙るのみだ。
呆然と固まる乃安と、その頬に手を添えて、こちらを見ることなく、ただ乃安を見つめる君島さん。
「寝ぼけて変なことしてごめんね、乃安ちゃん。思わずやっちゃった。それじゃあ、帰るね」
制服に少ししわがついていることも気にすることなく、スタスタと僕の横を通り過ぎる。トントンと階段を降りる音がして、そして陽菜に挨拶する声が聞こえる。そして扉が開き、ガチャリと閉まって。残されたのは、取り残された僕らの間に流れる沈黙だった。
「先輩は、おかしいと思いますか?」
「何が?」
「女の子が女の子好きになるのって」
「いや、全然。普通にあると思うけど」
「ですよね」
乃安はそう言って、クスクスと笑う。
「良かった。私の初恋はおかしくなかったようです」
「?!」
「昔、と言っても中学生の頃なんですけど、私、陽菜先輩の事、本気で好きだったんです。流石にそれは時間経過で薄れて、今では尊敬する先輩ですけど」
「はぁ」
「莉々が逃げる前にこの事言いたかったのに、驚いて固まっちゃいました」
吹っ切れたように笑う乃安は、僕の目の前に立つ。
「どうしたのですか? お昼ご飯の時間ですよ」
「あ、あぁ」
頭が状況にも言葉にも追いつかない。どうにも情けない僕は乃安にグイグイと手を引かれ、ようやく昼食の席に着いた。
部屋のベッドで蹲って顔だけあげて、揺れるキャンドルの灯を眺める。落ち着いてしまう光景だ。まだ夕方だけど、カーテンを閉めて部屋を無理矢理暗くしてのこの行動だ。
「どうしよう」
頭を抱える。つまり、乃安の事が好きな君島さんの目の前で散々いちゃついたことになるのか。ものすごい罪悪感だ。
「最低過ぎる」
これ、夜、君島さん来なかったら連絡した方が良いよね。どうしよう。予想外の展開過ぎて、頭を抱える事しかできない。あれこれやった方が良いかもしれないことは浮かぶけど、どうにもはっきりしない。
「もういっそ奪いに、いや、でも、それはなんか嫌だ」
恋かわからない感情でも、何もせずただ奪われるのはどうにも癪というか、単純に嫌だった。子どものような感情だけど、正直な気持ちだ。
「はぁ」
ぐるぐると、矛盾する気持ちが、考えが次々と浮かんでは消えていく。
ゆらゆらと揺れるキャンドルの火は、気がつけば燃え尽きていた。