第十四話 メイドと修行します。
「ご主人様、今日も稽古に?」
「おう」
今日は土曜日だ。しかしいつも通りの時間に起きて軽い運動に出かける。
「というか陽菜、僕が毎朝何しているのか知っているのか?」
「はい、もちろんです」
「そうなのか……」
多分父さんが話したのだろう。
「少々お待ちください。私も行きます」
「えっ、何で?」
「稽古は相手がいる方が効率が良いので」
というわけで、ジャージに着替えた陽菜と共に家を出る。
「速いときは言えよ」
「大丈夫です」
表情を乱さず平然とついてくる。少し悔しい。
そろそろ朝も蒸し暑くなってきたな。季節の変化を感じるなら僕の経験上朝が一番良いと思う。
リズミカルな足音が二つ、朝の町に響く。ペースを落とさずにそのまま神社に進入、ずっと使っている僕の稽古場だ。
「ここですか、旦那様がご主人様に稽古をつけた場所は」
「うん、ここでいつも」
湿っぽい空気のにおいの中に夏のにおいを感じた。陽菜との稽古って本気で殴り合うのかな。父さんとか容赦なく蹴り入れてきたし、僕も本気で父さんに拳骨入れてたけど。
「さて、ご主人様。準備は良いですか?」
「えっ、準備って?」
「隙ありです」
陽菜は一足飛びで間合いを詰めいきなり拳を叩き込んでくる。慌ててかわして距離を取る。
「びっくりした。稽古ってやっぱりそういうのか」
「お互い怪我をしないように気をつけましょう。まさか避けられるとは思いませんでしたけど」
「いやまぁ、父さんの方が速かったからさ」
「なるほど、旦那様と稽古されていたのでしたら確かに遅く感じるかもしれませんね」
「父さんと闘ったことあるの?」
「はい、うちの派出所はアポイントメント無しのお客様には少々手荒な歓迎をさせていただく決まりがありまして。旦那様の場合はメイド長の伝達ミスでしたけど」
「へぇ」
そんな会社絶対行きたくない。
「まぁ、おそらくメイド長、わざとそうしたのだと思いますけど」
「そうなの?」
「おそらくは、さて、続きを始めましょうか」
またも一撃。今回は無難に防いだ。予想より重いが父さんと比べれば軽い、カウンターを決めようと思ったがちらりと陽菜の顔を見た途端、中断して間合いを取る。
しかし陽菜の容赦無い蹴りが飛んでくる。かわして足を払う。陽菜はバランスを崩すが地面に寝ころんだまま足を絡めて体勢を崩しにかかる。
慌てて後ろに下がると陽菜は立ち上がる。目で次はそちらからどうぞと訴えてくるが僕は動かない。
どうしよう。陽菜を殴りたくない。
「ではもう一度こちらから」
飛び込んでくる陽菜に僕は手を伸ばした。
「どういうつもりですか?」
「頭撫でてる」
「子ども扱いする気ですか?」
「いや、単純に頭撫でたくなっただけ」
「ご主人様……問答無用です」
そう言うと突然腹に衝撃。
いやいやいや、殴る場面じゃないだろ。
怯んだ所に蹴りが飛んでくる。慌てて避ける。陽菜の性格を忘れていた。手を抜かない、徹底的にやる。
うーんでも、陽菜を殴るの嫌だなぁ。
陽菜の連続攻撃を捌き切り、陽菜の腕をとり足を払った。柔道の大外刈りである。そのまま袈裟固め。定番の連続技である。しばらくもがいていたが、やがて動かなくなる。
「なるほど、私の負けですね」
「女子には負けんよ」
「そろそろ終わりにしますか」
「そうしますか」
お互い土を払って神社を出る。そしていつものようにダッシュするのではなく軽いジョギングにする。
「たまにはゆっくり帰るのもありだと思うよ」
「そうですね、今日は良い朝です。夕方もやります?」
「朝は人少ないから良いけど、夕方にやったらお巡りさんが止めに来るよ」
「確かにそうかもしれません」
「兄妹げんかに見えないもんな、陽菜の動きがガチすぎて」
「どちらにしても兄妹げんかには見えませんよ。どう見ても同い年ですから」
「それはないな」
「そうですか……」
身長差がね。
家に着くころには日も昇って、町も活動を始めていた。
「陽菜、先にシャワー浴びてきなよ」
「いえ、ここはご主人様が浴びてきてください」
「陽菜は女の子なんだから」
「ご主人様はご主人様ですから」
何だこれ。
「それなら、こうしましょう。一緒に入るのはどうですか?ご主人様のお背中流しますよ」
「いや、駄目だろ。同い年の男女が一緒に風呂とか」
「私はメイドです。ちゃんと覚悟はしています」
「そんな覚悟は決めなくて良いから」
どうしたものか。陽菜の提案に乗るのもなぁ、僕の理性がもちそうにない。しかし受け入れる宣言をされているが……。いや、その後悩むことになる罪悪感が怖い。
「そうだ、銭湯に行こう」
「銭湯ですか?」
「そう、近くにあるやつ」
「なるほど、そうですね。行ってみましょう」
着替えとお風呂道具を持って歩いて十分。目的地に着く。服を脱いで中に入る。人は誰もいなくて貸し切り状態だ。何を思ってこの時間も開けているのだろうか。初めて来たが、結構きれいな施設でまた来てもいいかもしれないと思う。
「ご主人様ー聞こえていますかー」
「聞こえているぞーあと、ここでは名前呼びで頼むー」
「わかりましたー」
こんな反響するところでご主人様呼びとか、後で従業員の人とかに変な目で見られそうで嫌だ。
「ここ、露天もあるのですねー」
「マジでー」
陽菜のテンションが高い気がする。温泉でテンションが上がっているのだろうか。わからなくもない、一人でこの広いお風呂を独占できるというのは中々無いことだろう。いっそ泳いでやろうかな。いやしかし、誰かに見られていて怒られる可能性もある。やめておこう。それが吉と見た。
陽菜の声が止んだ。ちゃんと向こう側にいるのだろうか。
「相馬君、湯加減はいかがですかー?」
陽菜が調節しているわけでもないというのに。
「丁度良いよー」
そう返した。ちゃんといるじゃん、陽菜が僕を置いて帰るというのも考え難い話だ。
そんなことを考えている水面に映る僕の顔が、笑っているのに気がついた。
湯船の中で足を伸ばしてくつろぐ。久々に走ったり闘ったりしましたが全然いけますね。この広いお風呂を貸し切りという贅沢なこの状況をなるべく味わおうと思うが、何をしようか思いつかない。手始めに大声でご主人様に呼びかけたが話題も尽きてしまった。泳いでみようかな、でもマナー違反ですよね。
この柵の向こうにはご主人様がいる。その事実に安心しつつも不安な気持ちがよぎる。
「相馬君、湯加減はいかがですかー?」
「丁度良いよー」
すぐに返事が返ってきた。別に私が湯温の調節をしているわけではないのですが、変な質問をしてしまいましたね。
返事が返ってきた事実に安心して、勢いよく湯船に潜ってそのまま蹴伸びをする。すぐに湯船の反対側に着く。結局泳いでしまいました。
一人でいてもこんな不安に襲われることはなかったのに。別に今まで仲の良い人がいなかったわけでは無い。
「私、おかしくなっちゃいました?」
「陽菜ー、何か言ったかー」
「何も言ってませんよー」
今はここで体を癒しましょう、筋肉痛になって仕事に支障が出ても大変ですし。
だんだん日が高くなってきてふと、今日はまだ朝ご飯を食べていないことに気がつきました。一度意識してしまうと嫌でも空腹を意識してしまいます。
どうしましょう、いつあがればよいのでしょうか? 私としてはそろそろあがりたいところです。
そんな時にご主人様の声が聞こえた。
「陽菜ー、そろそろあがるかー?」
「そうですねー、そうしましょうー」
まるで私がそう考えていたのかが分かったかのようなタイミング、そんなことは無いと思いますが。
ふと見た私の水面に映っている顔が、笑っているのに気がついた。