乃安√第五話 メイドと思う後輩。
乃安が派出所に帰って。その日、待っていた連絡、派出所からの連絡は無かった。
「私の方からメールを送ってはみましたけど、返信はありません。乃安さんからもです」
陽菜が何か言っている。聞こえはするけど、脳がそれを音としてしか受け取らず、言語として受け入れない。
「相馬君」
耳元で呼びかけられる。顔を上げる。陽菜を視界に収めて、認識する。
「相馬君……」
「どうした?」
「相馬君は、どうしたいですか?」
「……」
何も、答えたくなかった。何も答えたくなかった。
このままで良い。そう思った。乃安が抱えた問題は、派出所にいる優秀な人たちが、時間が、解決してくれる。凡人の僕が頭を悩ませるより、ずっと良い筈さ。
できない人間が無理矢理どうにかしようとするより、ずっと良い筈さ。
陽菜が悲し気に目を伏せた。いつもの陽菜なら僕を引っ張ってでも立たせて、どうにかしようと思わせてくれるのに。
いや、陽菜もだ。陽菜も乃安の拒絶に苦しんでいるんだ。
そんな陽菜を抱き寄せる。陽菜も応じるように腕を回した。傷をなめ合うように、お互いの温もりに浸った。
冬休みは着実に近づいていた。学校の雰囲気が段々と今日をガツガツ生きようとじゃなくて、明日何をして楽しもうという方向に変わっていた。
けれど、どこか重苦しい雰囲気を放つ集団。僕らの事だけど。僕と陽菜が一斉に暗くなる。夏樹も京介も、流石にどう触れて良いかわからないといった感じで、できるだけいつも通りに振舞おうとしてくれているのがわかった。
乃安がいなければ、君島さんもここに来る理由が無い、君島さんも来なくなった。この間までは乃安に嫌々連れてこられて一緒に食べていたのに。
乃安がいない理由に僕と陽菜が関わっていることは明らかだけど、誰も触れなかった。
あぁ、そっか。乃安はこれが苦しかったのか。
腫れ物のように扱われるのが、そうだよな。変に気を使われて優しくされるのが、苦しかった。
もっと正面から、どうしてこんな風に、いや、これは例が相応しくないな。
それは放課後、職員室に提出物を出した帰りの事。何者かに口を塞がれ壁に押し付けられた。
「やっぱあんた殺す」
「今回は言い訳ができませぬ」
「うん、聞きたくない。死んで。乃安ちゃんが来ない理由にあんたが関わっていない筈が無い」
「でも、乃安がどこにいるか知っている?」
「……知っているの?」
「うん」
「そう」
すとんと、君島さんは僕を壁際から解放した。本当、この細い腕のどこにそんな力があるのか。
今は君島さんの勇気というか、度胸というか、率直さが羨ましかった。
「乃安はどうして学校に来ないの?」
「……これは乃安の事情というか、そんな感じだから。でも僕は、乃安に、拒絶されちゃったから、うん。でも、君島さんなら、大丈夫かな」
「ふぅん、断る。あんたが決めろ。ばいばい」
「……どうしろって言うんだよ」
「ふん、逆にあんたが決める以外に誰が決めるんだよ。あんたは乃安ちゃんの事情を知っていて、乃安ちゃんがああなったきっかけを知っている。あんた以外に決められる人なんているの?」
君島さんはそう冷たい声で言って、そのままさっさとどこかに行った。ずしりと重い何かが心臓に乗っかている気分だ。
このまま放っておくか、それとも、それとも。ダメだ。くそっ。
冬の公園は寒かった。でも、ここは乃安とまともに会話した初めての場所。すっかり騙されて、思い出せない自分を責めて、陽菜にも怒られたな。
何となくここにいないかなとか思ったけど、いる筈が無い。
仕方ないから家までの道を戻る。その途中で見つけた、コートを羽織ることなく、制服姿で僕を待っている姿。
「君島さん、寒く無いの?」
「別に。ふぅ。ねぇ、あんたの家で何か食わせてよ。流石に、乃安ちゃんのご飯に慣れ過ぎて、胃がお腹空いたって感覚覚えちゃってさ」
「ん、わかった」
陽菜に一本電話入れて。再び歩く。
「なんでここにいるってわかったの?」
「後を付けてたからさ」
「そう」
「朝野先輩、家にいるんでしょ。なら期待できるね」
「そこまで織り込み済みですか」
派出所に攻め込むなら、今回は陽菜を連れて行くことになる。正直、もう京介を荒事に巻き込みたくなかった、あとで怒られそうだけど、これだけは譲れない。
何で戦力の事を考えているんだ、僕は。
「乃安ちゃんから聞いたんだけどさ、そこでしょ、乃安ちゃんがあんたを落としたの」
「落とされたというか、押し切られたというか」
雪で埋っている庭。もうそろそろ半年か。
「良いなぁ、可愛いよねぇ、乃安ちゃん。莉々が男だったらもうぞっこんかも」
「そうかい」
「あんたは乃安ちゃんの事、好きだったの?」
「どうなんだろう」
「はっきりしなよ」
玄関先で、扉を片手で押さえて、僕に聞く君島さんの目はどこまで挑戦的で、けれどその奥の感情は伺えなかった。
「そりゃ、好きだったさ。恋かは、わからないけど」
「ふぅん。面白くない」
「どんな答えが欲しかったのさ」
「さぁね。模範解答は教えません。……お邪魔します」
意外と礼儀正しく、靴もそろえて入っていく君島さんを陽菜が迎えた。
「莉々さん、どうぞ、お入りください。三人分用意しました」
「ん、ありがとう、先輩」
本当にお腹を空かせていたのだろう、努めて控えめに食べているが、それでも何となくわかる。
「美味しいなぁ。乃安ちゃんのも好きだけど、先輩のも美味しい」
「ありがとうございます」
「うん、ごちそうさま。ありがとう」
無愛想な表情に少しの笑みを浮かべた。
「先輩方はさ、どうするか決めた?」
その質問に僕らは気まずくなって目を逸らす。
「そう、明日まで待つよ。莉々はその答え次第でどうするか決める。安心して、どんな答えでも責めはしないから。それじゃ、ありがとう」
らしくないお礼を言って、家から出て行く背中を見送った。
深く、深く、思考の海に沈む。僕の答えを探す。
好き、か。僕は乃安の事が、大事なのか。そんな風に悩み始めた瞬間、思い出した恥ずかしい台詞。
「家族だ、陽菜も乃安も、僕の家族だ」
あ、あはは。なんだよ。大事だって既に公言しているじゃんか。大事じゃなかったらここまで悩まないし。それに、乃安に謝りたい事結構あるし、竹刀で殴ってきたこと怒りたいし、うんうん。
「うわー、馬鹿だー僕」
連れ戻す理由は無くても会いに行く理由あるじゃん。
「よし、陽菜。明日行くぞ、派出所」
「……はい。わかりました。徒歩で行く道、ご案内します」
結構自分勝手な理由だけど、家族補正で許してくれよ、会いに行くことくらい。こっちが一方的に思っているだけだけど。
そんなわけで、その旨を乃安に送る。返事が無いことくらいわかっている。
そして準備をする。そうだね、ついでにこの木刀を返そう。
君島さんが聞いたら最低とかクズとか言ってきそうだなぁ。
そして、朝。良かった、一晩寝て冷静になってやっぱやめようとか思っていなくて。
「やっと起きたんだ、日暮相馬。朝食先に頂いています」
「おっ、おう」
「乃安ちゃん迎えに行くんでしょ、いってら」
軽い調子でそう言ってくれる。まぁ、今はその方がありがたいかな。
「相馬君もお食べください。私の準備は完了しています」
「わかった」
戦いに行くんじゃない。でも必要なら。そして乃安と、ちゃんと話がしたい。はっきりとした目的が僕に指向性を与えてくれる。僕の中から湧き出た自分勝手な理由が許されるのなら、きっと乃安は会ってくれるだろう。
今はこの不安定なやる気を焚きつける事に集中しよう。