夏樹√第六話 親友とスキー。
さて……。
「よろしくお願いします! コーチ」
キラキラした目で頭を下げる夏樹、あの陽菜が僕に任せるという事は理由があるのだろう。
とりあえず頂上から滑って慣れてもらう事にする。
「よし、行くか。とりあえずついてきて」
「うん!」
理論をいくら教えても、イメージが掴めなければ滑るのは難しいだろう。例えば、自転車の乗り方の教科書があったとして、スタンドを蹴り上げます。そしてサドルに跨ります、そして片方の足をペダルに乗せます、地面についている逆の足で地面を蹴り勢いを生み出します、その勢いがなくなる前にペダルをこぎ始めます。止まる時は左のブレーキレバーを引き、そして右のブレーキレバーを引きます。これで理論をがっちり叩き込む、でもそれで実際に乗れるかと言われたら微妙な所だろう。
根性論では無いのだが、百の言葉より一回の体験。とりあえず実際に滑って真似してもらうのが一番良いだろう。午前中の復習がてら。
「うっひゃぁー」
「おおっ! まて夏樹ー!」
なぜ真っすぐ滑って行くんだー!!
僕も慌てて追いかける。しかし夏樹はどんどん加速していく。あれに追いつけるほど僕は上手くないぞ。
「とりあえず転べやー!」
思わず叫ぶ。冷たい空気が口に入ってむせそうになる。あー、もう。今は追いかけなければ。何でこんな時ばかりバランス感覚が良いんだ彼女は。
しかし、なんで、さっき見た時陽菜と普通に滑れていたじゃないか。
あっ、転んだ。
「うぅ」
「何してんのさ」
「あはは、つい?」
「ついって……」
「ほら、速いって楽しいじゃん。スリルあるし。思わずね。正しくないのはわかっているんだけど、うん、陽菜ちゃんにも怒られました」
子犬のようにしゅんとなる夏樹。手を引いて立ち上がらせる。
「ついてきて。一緒に滑るのも楽しいよ」
「うん」
父さんはどう教えてくれたっけ。あっ、いや。あれは参考にしちゃだめだ。傾斜38度だったかな、そんなところに連れていかれて。
「ふはは、死にたくなければ頑張れ」
とか言われて自分は勝手にさっさと滑って行ったな。
半べそかきながら頑張った思い出。滑り出しに下が見えない恐怖よ。
「どうしたの、相馬くん? 滑らないの?」
「あぁ、いや。大丈夫。僕の足元よく見て真似してね」
まずは基本、八の字からだな。
途中、僕らを追い抜く三人組。京介はもう大丈夫だな。
「うん?」
空が暗くなってきたな。気がつけば風が強くなり視界が悪くなってくる。山の天気は変わりやすいとは言うが。
「夏樹、絶対に僕を見失わないでね」
「うん」
後ろを振り向いての僕の言葉に夏樹は強くうなずいた。
後ろに気を配りながら、滑っていく。ここまで変わるものなのか。視界不良だ、完全に。それはさっきまでのただ美しい世界ではない。気を抜いたものに死を与える残酷な風だ。
ちらりと振り向く。そして僕は慌てて止まった。
「夏樹!」
慌ててあちこちを見回す。嘘だろ……。
「おい! 返事しろ!」
くそ……。
慌てて登る。冷静さなんて無い。一回滑りきってスキー場の人に探してもらうとか、そんな事をしている時間なんて惜しい。二次被害だとかそんなリスクを考えていなかった。けれど、くっ、最適解はどっちだ。
足を止める。冷静さを欠くのは死への直通便だ。
「ふぅ」
馬鹿らしい。父さんから教わった技術すべて使って二人で生還してやる。もしも雪の中で意識を失っていたらそれこそ戻る時間が無い。
「夏樹ー!」
こんな吹雪じゃ、板の跡なんてすぐに埋まるだろう。
方向感覚を失っていくのを感じる。周りは白一色の景色だ。
「もしや、僕が逆に行方不明とか?」
だとしたら、笑えるな。うん。一人ならどんなに楽か。でもそれでも、僕の直感がヤバいと告げている。
「うん?」
偶然見えた看板。これ、もしかして。
「こっちに行ったとか……」
この先は確か、少し難しいコースだ。こんな天気の中で一人で行ったとしたら……。
何の根拠もない。けれど、それ以外に考えられる可能性も無い。
「夏樹ー!」
ありったけの声で叫ぶ。届け、頼む。届け。
「相馬くん! どこ!」
聞こえる。どこだ、どこだよ、畜生、どこだってんだよ!
「くっ……あっ!」
人影。滑って行った先、立ちすくんでいる。きょろきょろとあちこちを見回している、そんな影だ。
その顔がこちらに向けられる。
「夏樹!」
「あっ、あは。……やほー」
「やほーじゃないよ」
力が抜ける。調子の変わらない様子に安堵を覚える。
「気がついたら相馬くんがいなくて、あはは、動けなくなっちゃって。探してくれたんだ」
「そりゃあ、ね」
あっさりした解決に、さっきまで決めていた覚悟は何だったのか、もう色々と恥ずかしくもなって来た。今日は布団の中で足をバタバタさせて悶えるの決定だな。
「ほら、行くよ」
「あっ」
今度は見失わないように、僕は彼女の横に立つ。
「手」
「えっ、でもストック」
「片手で持ってくれ」
一応、練習としてあるらしいけど。やるのは初めてだ。
「これならはぐれないでしょ」
冷静に、切り離されている自分が、何恥ずかしい事しているんじゃと言うが今は無視する。
ゆっくりと、でもあまりゆっくりしていると雪像が二体完成しそうだ。
会話をする余裕なんて無かった。でも、転ぶこともなく、手が離されることも無かった。ずっとこの時間が続くと思っていたけれど、でも、それでも終わりが来るもので。
「あっ……」
先に声を上げたのは夏樹だった。僕らが昼食を食べた建物が吹雪の間から見えた。
「あそこのピザ、また食べたいな」
「こんな時まで食べ物……」
「今食いしん坊だって思ったでしょ」
「まぁ」
「失礼しちゃう」
スキー板を外して建物の中へ。雪を落として帽子もマフラーも外してしまう。靴も履き替える。
独特の解放感、景色が広くなったような、そんな感覚を感じながら歩く、足も軽くなったなぁ、空でも飛べそうだ。
「あっ、相馬君。大丈夫でしたか」
「うん、どうにか」
タオルで頭を拭きながら歩く陽菜と遭遇。遠くのテーブルに乃安と京介を見つける、
「そうですか、私たちも、天気が明けるまでここにいようかと。場合によってはこのまま帰る事になりますけど」
その時陽菜の後ろからがっばっと抱き着く人影。
「うぅ、陽菜ちゃ~ん」
「夏樹さん……何をしたのですか、相馬君」
「吹雪ではぐれた」
「すぐに見つけてくれたけどね。だから怖くはなかったよ。でも、不安ではあったんだ」
幸せそうな顔で陽菜を抱きしめる夏樹。
仕方ないなぁという顔で陽菜は夏樹の頭をポンポンと頭を撫でる。
「ほら、戻りますよ」
窓から眺める吹雪はしばらくして収まっては来たけれど、時間が時間だ、僕らは帰る事を選んだ。
「そういえば、夏樹を僕に任せた理由って、なに?」
「夏樹さんのあのスピードに対する情熱をやんわりとコントロールできるのは、相馬君かと。私だとどうしても上から押し付ける形になってしまうので」
「あー。なるほど」
「なんで納得するのですか?」
「さぁ」
ポンポンと頭を撫でて誤魔化す。少しむくれたように見える陽菜。さて、温泉だな。きっと気持ちが良いだろう。
スキーの後に温泉。あぁ、楽しみだ。
「相馬君。いつまでもそれで誤魔化すことができると思わないでくださいね」
「覚悟しておくよ」
陽菜にポンと渡された紙コップを煽る。気づかないうちに体は渇いているものなのだ。
「って、熱い!」
「? あっ、すいません。間違えて熱いものを」
持ち手付きの紙コップで気づかなかったし、絶対に故意だ。
「まぁ、体が温まって良いじゃないですか」
「うん。そうだね」
そうだ、きっと言い忘れていたんだ。そう信じている。