第十一話 メイドと恋人ごっこをします。
次回から夏!
眠れなかった。眼が冴えきってずっと布団の中でのたうち回っていたら日が昇ってきてしまった。目を閉じているだけで寝た事にはなるとは聞いていたが頭がぼーっとする。恋人のフリをするだけなのにどうしてこうも緊張しているのだろうか。
ジャージに着替えいつもより早いが部屋の外に出る。
「ご主人様?おはようございます。いつもより早いですね」
丁度部屋のすぐ外の廊下、掃除道具を持って立っていた。
「うん、まあね」
そう言うとすっと陽菜の手が僕の額に伸びる。少しひんやりとした手が寝不足の目には心地が良い。
「熱は無いようですが少し心配ですね。顔色が悪いようですが」
「大丈夫大丈夫、寝不足なだけだから」
「そうですか、きついようでしたら言ってください。それと、今日はよろしくお願いします」
そう言って一礼。階段を降りて行く。僕もそろそろ日課を処理してしまおう。
眠い、いつもより早いというのにそれに即座に合わせてしかもコーヒーまで用意してくれる陽菜の対応力に感服する。シャワーとコーヒーのコンボで少しはましになったが日差しがまぶしい。
「相馬君、少し早いですが。手を」
そう言って陽菜が手を差し出す。
意味が分からず呆然としている僕の手を陽菜は握る。
「恋人のフリをするのであれば手をつなぎましょう」
「なるほど確かに」
握り返す。その手の感触を楽しむほどの余裕は今の僕に無い。
「相馬君、その、手汗は気にしないでください、それと、手が冷たいのも我慢していただけると助かります」
「大丈夫、たぶん僕の方が手汗ひどいと思う」
なにこれ、世のカップルはこんなことが日常茶飯事なのか、あいつらの心臓は鋼鉄製なのか。
「とても良い、とても良いよ。陽菜ちゃん、相馬君。遠くから見ててキュンキュンしちゃったよ」
「見ていたのですか、夏樹さん」
教室に入った途端、布良さんが喜色満面をそのまま体現したかのような勢いで話しかけてくる。
「心配だから通学路探していたら二人が手を繋いで登校していたから離れた所からずっと見ていたの」
「恋愛控えるべきと言う立場だと思っていたけど意外と好きなのか、人の恋路を見るのが」
昨日はキスも駄目だと言っていたのに。
「清く正しい恋愛を見ているのは大好き、体ばかり求めあうドロドロしたのは嫌い」
きっぱりと言い切る布良さん。
わからなくもない。
「ちなみに、今日テニス部休みらしいから。接触してくるとしたら今日だよ」
「まじで?」
「マジだよ」
もし今日の登校風景を見られていたとしたらどんな接触をしてくるか想像できない。
「陽菜、今日は僕から離れないように」
「了解です」
強硬手段取ってくることだってあり得るのだから。
「そうそう、そんな感じでどんどんイチャイチャしてね」
「布良さん、目的忘れてないよね?」
「うーん、ほら、良識のある人ならこの状態見れば納得して諦めてくれると思わない?」
「それなら苦労しないけどさ」
「でしょ、ねぇねぇ陽菜ちゃん。今日だけ私の席貸してあげようか?」
「いえ、大丈夫です。休み時間の間だけ貸していただければ」
「もちろん貸すよ!」
布良さん、元気だなぁ。生真面目な陽菜は大方これが純粋に作戦のためと思っているのだろう。
陽菜と布良さんを置いて席に着くと、桐野がものすごい形相で近づいてくる。
「お前、お前―!俺を裏切るのか?裏切ると言うのか!」
「落ち着け、何があった?」
「お前が、朝野さんと、手を、繋いだ。お前だけは、お前だけは、裏切らないと思っていた。だが、お前は、俺より、先に行ってしまった。ならば、せめて、刺し違えようと、俺は、お前を、ここで、沈める」
「興奮しすぎて何言っているのかわかりづらいぞ。お前が言ったのだろう恋人のフリをしろと」
「そうだっけ?」
「そうだぞ」
一瞬呆けた表情になる桐野。
「あははー、何だ何だそうだったのかー」
めっちゃあほっぽい。
「そうかそうか、まぁ相馬に手を出す度胸あるはずないよな~。信じてたぜ我が友よ」
「ぶっ飛ばしていいか?」
女性経験がないのは事実だがそれでもやるときはやる男だぞ僕、そうだと思いたい。
とりあえず僕と陽菜が手を繋いで登校する光景が相当目立っていたようで、これならおそらく件の男は見ていた可能性は高いだろうし、接触してくるのは確実だろう。問題はいつであるかだがそれも恐らくは放課後だろう。もうこうなってくると暴力で仕掛けてきてくれた方が楽なのだが、そしたらとりあえず倒すだけなら楽だし。父さんより強い高校生とか想像したくない。
「それでそれで、手を繋ぐことのほかに何やった?作戦の名目でどんなことをした」
「いや、手を繋いだだけだぞ、どんな下種野郎だよ」
「バカ言え、男子の健全な発想だぞ!」
「そうかい」
「桐野君、少しその場所を借りてもよろしいですか。相馬君に用事があるので」
陽菜がいつの間にか桐野の後ろに立っている。
「おっと、これは邪魔しちゃいけねぇなぁ。ではでは退散退散」
わざとらしい歩き方で自分の席に戻る桐野、陽菜はそれを確認すると僕の机のそばにしゃがみ上目遣いでこちらを見つめてくる。
「ど、どうした?」
「相馬君、陽菜に何か言いたいことはありますか?」
えっと。
「我慢しなくていいですよ」
「陽菜さん?」
自然な動きで僕の手を握る。小さく首をかしげて僕を見つめる。どうすれば良いこの状況、というかこれ絶対おかしい。何かがおかしい。
「布良さん!」
「はい、何でしょう。周りの目を気にせずどうぞそのまま続けていてください。私の目の保養になるので」
「清く正しい付き合いはどうした。この誘惑は清く正しい付き合い方なのか?」
「細かいことは気にしないの。というかよくわかったね、私が吹き込んだなんて」
「一人称が違うし陽菜はこんなことはしない」
「さすがだね。やっぱり幼馴染だますのは難しかったか」
本当は四月から知り合ったもの同士だけどな。
「それでそれで日暮君、ドキドキした?」
「……した」
「「おぉ」」
クラス中から声が上がる。
「陽菜ちゃんやったね!」
「本当にこれがあの男を撃退するのにつながるのですか?」
「そりゃもちろん、さぁこっちに来て」
そうしてまた何やら耳打ちし始める布良さん、今度は何をやらせるつもりなのだろうか。
休み時間はやけに近い距離で話す陽菜にどぎまぎする。話題自体は大したことはない、ただ近くにいるというだけで変な気分になる。
昼休み。
「相馬君、お口を開けてください」
「どうした?」
「夏樹さんが、恋人同士はこうするものだと」
恥じらうわけでもなく、必要なことだと割り切った様子で箸で卵焼きを差し出す陽菜。
隣の桐野の殺気のこもった視線と布良さんのワクワクしている雰囲気に多少腹が立たないでもないがここは仕方がない。そう仕方がない。
意を決して陽菜の差し出す卵焼きを食べる。
「「おぉ」」
その反応だけはやめてほしい。そして布良さん、ニヤニヤしたままこっちを見ないで。あと桐野なぜ拳を固めて震えているのだ。
小さくため息をついたその時、妙な視線を感じて慌てて教室の外を見る。男子生徒が駆けていく姿。追いかけるべきか迷う。
「相馬君?」
「陽菜、何しているの?」
「次はこれを食べていただこうと思いまして」
「おっ、おう」
そういえば僕はなぜこうも必死になっているのだろうか。いやまぁ、碌でもない男に陽菜がつかまるのは確かに良くないことだとは思う。それでももしかしたら改心してとても誠実な男なのかもしれないという可能性はほんの僅かにある。
まぁ、強引な迫り方している時点で無いが。
結局弁当はすべて陽菜に食べさせてもらう形になった。教室でこういうことをする意味はあるのだろうかという疑問があったが、教室まで覗きに来るということは意味があったのかもしれない。
そして放課後になった。
「相馬君、どうしますか?」
「帰るべきだと思う。接触しないに越したことは無い」
「なるほど」
今日は布良さんは生徒会、桐野は補修。特に用事もない僕らは帰ることにする。
「あぁ、いたいた。探したよ朝野さん……って君だれ?」
「いや、こちらこそあなた誰といった感じなのだが」
「名乗る理由もないしするつもりも無い、僕は朝野さんに用があるのだけど」
「相馬君こいつですよ、例のしつこい人」
あぁ、そう言えば昼休みに覗いていたやつに似ている。
「話聞く限りあなたの良いうわさ聞かないのだけど」
「何だ、僕の事知っているんだ。にしたって所詮は噂だろ、つうかお前何?朝野さんの何?」
「幼馴染」
「そんなので保護者気取り?キモイなー。どいて」
延ばされた手を反射的に払う。
「へぇ、先輩の言うこと聞かないんだ。しょうがないなぁ。予定変更、頼むわ」
その声と同時にわらわらと五人ほど男が入って来る。
えっ、何このべたな展開。
「そいつ連れてけ」
うーん、やるしかないか。五人のうち三人が僕を囲む、陽菜に手を出す前に僕をどうにかするつもりらしい。
僕を捕まえようと伸ばされた手を払い全力で腹を殴る、後ろから伸びる手をつかみそのまま背負い投げして前にいたやつにぶつける。これでとりあえず三人は倒した。あと三人。
「君らは仕掛けてこなかったからまだ手は出さないけど、どうする?」
ていうか僕が倒したこの三人、一年生じゃん。同い年でもこんなことしている人っているのか。
正面を見据える、仕掛けてこない限り手は出すな。これが僕が父さんから教わったこと。正当防衛を常に成立させておけとのことだ。
にらみ合いが続く。
「うおらぁぁぁ!!」
そんな膠着状態に陥ったこの状況を破ったのは第三者の叫び。
数秒後には目の前にいた三人は床に転がっていた。
「俺のダチに手出そうとは良い度胸じゃねぇか」
「なってめぇ、足どけやがれ」
例のしつこい人は踏まれながらも必死の抵抗。
「俺の地元じゃ俺にそんな口きく奴はもういねぇから新鮮な気分だぜ、おう良いぜ、まだやるってのか?何人用意している、百か?二百か?そのくらいは用意しとけよ」
そう言って普段は見せない凶暴な笑みを浮かべる。
「ひぃいいいい」
僕が仕留めた三人以外はすぐに逃げ出した。
「何だつまらねぇな。二人とも無事か?」
「まぁね、陽菜は大丈夫?」
「はい。相馬君が守ってくれたので。でも一応私も戦えますので、相馬君が戦ってくれたおかげで何もする必要が無かったですけど……」
このメイドは戦闘もできるのか。
「しかし桐野、お前強いな。しかし悪いな巻き込んで、部活とかに支障出るだろこれ」
「良いって良いって、友が困ってるときに見捨てるような事しちゃ自分で自分が許せねぇよ。俺がやりたいようにしただけさ。さて、俺は今から部活に行って来る。補習も今日で終わりだぜ。いやっほう!」
やけにテンションが高い桐野が教室を出ていき二人きりになる。
いや、正確には三人足元に転がっているのだが。
「見事に気絶してますね」
「うん、自分でも驚いてる」
「どうしますか?保健室に運びますか?」
「いや、逃げよう。事情話すのが面倒だ」
「そうですね」
学校を出てとりあえず昨日の公園まで逃げて布良さんにスマホでさっきのことを報告しておく。
「その、相馬君。ごめんなさい。結局暴力沙汰になって、相馬君を戦わせてしまって。本当にごめんなさい」
陽菜は深く頭を下げる。
どうしよう、こういう場面経験が無さ過ぎて何をすれば思いつかない。笑って別に良いよじゃ済まないだろうし。
「えっと、頭上げてもらっていいかな?」
「はい」
陽菜は泣いていた。陽菜も泣くんだなぁ。
「作戦自体も全然効力無くて、結局こんなことになってしまいました。何でも言ってください、その通りにします」
こういうのって大体イケメンに限るとかよく言われてるけど。
僕は陽菜の頭に手を乗せて撫でた。
「えっと、相馬君?」
「いや、これで良いよ。僕はどうやら女子の髪の毛が好きらしいから。陽菜の髪はサラサラで触ってて心地が良い」
黙って撫でられ続ける陽菜。前はこっそり撫でたけど、撫でるならやっぱり堂々と撫でたい。
「これからは好きな時に勝手に撫でさせてもらうことにするよ」
「そうですか、そんなことで良いのですか?」
「そんなことで良いよ。さっ、こんなところで話していてもあれだし、帰ろうぜ」
「はい」
陽菜は小さく、はにかんだように笑った。
その後、あの男からの接触は無かったし、騒ぎにもならなかった。僕らとしても騒ぐつもりは無い。
陽菜は最近入間さんとも話せるようになった。とは言っても相変わらず自分から話しかけるようなことは無い。
あんなことはもう起きないだろうけど、僕の朝稽古は朝だけでは無く夕方にも追加して念入りに行うようになった。陽菜の仕事を増やす形にはなるし、陽菜も戦えるというのは噓ではなかろう。けどやっぱり男の僕が守りたい。
そして季節は、夏になる。