第百十話 メイドとやり直す出会い。
「どうかした? 相馬くん」
「本当に帰って来たんだなって」
降り立った町で、僕は何を見るわけでも無く、けれどどこかを見ていた。
見上げるような動作で、夏樹はそんな僕を覗き込んだ。
「怖い?」
「少し」
「あの二人、怒ってはいないよ」
「そう」
「それでも不安なら、ほれ」
「えっ?」
「手、握ってあげる」
こちらの同意を待たずに、ギュッと手が握られ、歩き出す。でも、僕の足は動かなかった。
そんな僕を呆れる事も、怒る事もせず、優しい顔を向けてくれる。情けなくなる。
「傷つけたくない、か」
「ん?」
「昨日の桐野君との話、聞いてた。電話で。桐野君、繋いでおいてくれたからさ」
「そう」
「行く?」
「まだ、僕は中途半端なままでさ」
「うん」
「自分の事がわかってきて、それで、何で好きになってくれるのか、わからなくて、頭の中がごちゃごちゃになって、自分の気持ちすらわからなくなって。わからないことだらけでさ」
足が竦む。けれど夏樹は、無理やり引っ張る事も、繋いだ手を離すこともしなかった。
「大丈夫。だからこそ、話さなきゃ。一人じゃわからないよ、そんな問題。自己完結しちゃ駄目」
「うん。でもちょっと怖いや」
「だから、私がいるんだよ。それに、真っ先に迎えに行こうとした二人が、相馬くんと話したがらないわけ無いじゃん。もし対話を拒否して来たら、その時はこの頼れる学級委員長に任せて」
そして、今度こそ、僕たちは歩き出した。
「あのさ、夏樹」
「うん?」
「ありがとう」
それだけは、言っておかないといけない気がした。
「相馬くんには多大なるご恩があるからねぇ。奉公して返さなきゃ」
「海ほど深くも無く山ほど高くも無いよ。僕がやったことなんて」
「あはは。さぁ、入ろう。そうそう、相馬くんがいない間ね、陽菜ちゃんたちにね」
「夏樹さん、そこまでです。それ以上何も言わないでください」
人の気配が無かったはずの玄関の扉がガチャリと開き、伸びた手が夏樹の口を塞いだ。
「もごっ、むう」
「お帰りなさいませ。相馬君」
「ただいま」
夏樹に二人が何をされたのか気になった。陽菜が目の前に現れても、僕は大して動揺しなかった。
「ごめん。勝手に家出して」
「こちらこそ。相馬君が思い悩んでいるというのに」
謝罪はあっさりと簡潔に、争いを長引かせないように。陽菜と乃安、そして僕が向かい合わせで。夏樹が仲裁するように。座る。
けれど、会話は中々始まらなかった。
みんな、それぞれに考えがあるのか、それとも、何かの結論を待っているのか。僕から話すべきなのか、それとも、待つべきなのか。
僕の中に、流れ込んでくる。色んな記憶。
そうだな。僕はもう空っぽなんかじゃない。こんなにもいろんなものを持っている。こんなにもごちゃごちゃになって混乱してしまうくらいには、持っているものがある。
だったらもう、今まで通りの僕ではいられない。
答えが見えた。だから、僕から話そう。
「あの、さ。お願いがあるんだ」
その言葉に三人は顔を上げた。
こじれてしまった糸を時間をかけて解く、それも良いかもしれない、けれど、別にそれだけではないんだ。切って、また新しい糸を用意することだって、できるんだ。だから!
「僕に、やり直す機会をください。情け無いに僕に、もう一度チャンスをください!」
そして僕は全力で頭を下げた。机に額を付けた。
別に見限られたわけでは無いのはわかっている。それでも、僕は、また関係を積み重ねたい。
「今までを否定するつもりも無い、無かったことにもしない、ただ僕は、もう逃げたくないんだ。逃げるような選択はしたくないんだ!」
全力だった、今あるすべてを込めた。
新しい自分として、今まで積み重ねてきたすべての僕の上に僕は立つ。それはリセットではない。だけど、今までの僕とは違う僕として、改めて出会い直す。
返答はポンと、頭の上に置かれた三人分の手だった。
「それが、相馬君の答えですか?」
「はい」
「わかりました。相馬君に、チャンスを」
撫でられて、そして、ぐいーっと机にめり込むように押し付けられる。
「そして心配させたことへのお仕置きと。あとは、お帰りなさいの言葉を進呈します」
あぁ、わかる。見なくてもわかる。多分、苦笑いしているんだろうなぁ。
晴れやかな気持ち。新鮮な気持ち。向き合った僕らは笑い合う。
それから、僕たちはとりあえずテスト勉強を始めた。
まぁ、たいしたことは無い。陽菜と夏樹に教えられ、サボっていた分を取り返すことはできた。後は応用的な問題を練習すれば特に何事も無く終わるだろう。
久々に学校に来た時、クラスメイトから心配された。意外と僕が周りを見てなくて、周りは意外と見ていないようで見ている人もいて。僕の認識の狭さを痛感した。
休み時間、一週間の無断欠席について、陽菜もフォローを入れててくれたが、やはり本人じゃないため限界があったみたいで、説教を食らうために職員室に呼び出された帰りも。
「日暮相馬」
「君島さん。どうかした?」
「あんたも大変ね」
「何が?」
今日も黒髪をそのまま下ろし、ぶっきらぼうな顔をしつつも、それでも声には心配を滲ませる辺り、君島さんの根は優しいのだろう。
「何がって……色々だよ。乃安にあんな顔させやがって。帰って来なかったら殺しに行ってた」
「冗談に聞こえねぇ」
「当然。冗談じゃないから」
ニヤッと笑ってさっさと立ち去る後ろ姿を見送って僕は教室へと足を向けた。
中間試験はまぁ、いつも通り。京介が珍しく補習無しだったくらいだ。もう十一月、あと2ヶ月過ごせば、年は明け、二年生は間もなく終わり、本格的に進路について悩まなければいけなくなる。
「陽菜はどうするの?」
「今のところは、迷っています」
「やっぱ悩んでいる?」
何がとは言わない。みんなの前だ。でも、メイド長からの誘いを考えているのだろう。
「私もこの二年を過ごしてきて、考えるべきことが多いことを痛感しました」
それでも陽菜の表情はとても穏やかだ。
「夏樹は?」
「私はそうだねぇ。地元でも良いけど県外の大学もねぇ」
「京介は?」
「俺は、父親のいる大学に行って勉強してから決める。そういう約束だからな」
僕は、どうしようか。
そんな事を悩んでいる、そんなタイムリーな時期に配られた進路希望調査票。外はマフラーと手袋が無ければ厳しい気温になってきて、それでも頭の中は就職と進学で揺れている。
ビシッと決められる男になりたいけど、やっぱり悩むな。
まぁ、やりたいこと決めるために受験して四年間を買うという選択もあるっちゃあるけど、これと言って勉強したい事も無い。
作家という夢も、どうしてか薄れていた。
「ん? 乃安」
「はい。乃安です」
家に帰ってからもそれは頭の中で急務として脳に考えるよう命じていた。陽菜は夕飯の買い出しに行っている。
「コーヒーです。私オリジナルブレンドです」
「ありがとう。……悩みって尽きないねぇ」
「死ぬその瞬間まで尽きることはありませんよ。残酷なことですが」
向かいに座って自分も飲んで、何やら考え込む。
「ちょっと香りが強すぎましたか?」
「僕には丁度良いよ」
コーヒーの香りなんていちいち気にしない僕には、意識するきっかけになって良いと思う。
「その、先輩。あの時はごめんなさい。勝手な事言って、勝手に決めつけて」
「乃安は悪くないよ。中途半端な僕が悪い」
「そうやって全部自分が悪い事にしちゃうあたり、はぁ、先輩。誰か一人がすべて悪いなんてことは無いのですよ」
「うん」
「このコーヒーも。香りが強すぎるからと一つの種類丸ごと取り除くと、今度は渋みが強調されすぎるのです。だから、配分なんですよ。比率を考えるのです。下手な例えですね」
「でも、言いたいことはわかったよ」
コーヒーを飲んで、留守を乃安に任せ、僕は一人外に出る。
「もう冬か。散歩もキツイな」
「そうですね。本当に」
「陽菜?」
「はい。あなたの万能メイドです」
「大きく出たね」
「違いますか?」
「違わないのが悔しいや」
玄関の所でばったりと。陽菜がこちらを無表情で見上げていた。
「どこかに行かれるのですか?」
「ちょっとね。散歩」
「では、私も同行いたしましょう」
買った物は乃安に預け、僕らは歩く。
「相馬君は、最初、私の事をどう思っていたのですか?」
「一般常識に妙に疎い、可愛いけど不愛想な女の子」
「随分な言い草ですね。否定できませんけど。乃安さんの事は?」
「陽菜に似ている部分もあるなぁって。本気で姉妹だと思ったよ」
「そんな風に接していた時期もありましたから」
後ろをついてくる陽菜をちらりと見る。真っすぐな目で僕を見て、目が合う。逸らす事も出来ず、向き合う。
きょとんとした顔で首を傾げる事も無く、目を逸らすわけでも無く、僕をただ見つめる目。
修学旅行の頃の、あの微妙な空気はなく、出会って間もない頃を思い出した。
「相馬君。これからもよろしくお願いします」
「うん、こちらこそ。たくさん迷惑をかけるとは思うけど、愛想尽かさないでくれると嬉しな」
「どうでしょう。なんて言いたいところですけど。それは私の得意な事じゃありません。からかうのは少々苦手です?」
「本気で言ってる?」
「はい。そろそろ帰りましょう。乃安さんが待っています」
「うん。そうしようか」
日を跨げば十二月。時間が着々と僕らを追い立てるように進んでいた。
端的に言うと、クラスメイトなメイド、ここから先分岐します。
陽菜ルート
夏樹ルート
乃安ルート
この三本立てです。誰のルートから見たいかはあなた次第です。どの√から見ても大丈夫なように仕上げてあるので、是非三本とも見て欲しいです。