第百七話 メイドと修学旅行 三日目。
朝、目が覚めた。
「布団で寝るのも慣れてきたな」
普段はベッドだが、そもそも枕が変わっても寝られるタイプだからあまり関係は無いけど。それに、おじいちゃん達の旅館で使った事あるし。
「うん? メールが来てる」
『先輩、流石に二日連続で連絡の一つも無いとは……』
「……連絡? 必要なのか?」
特に報告することも無いし、用事もあるわけでは無いけど。うん?
『特に用事は無いけど、どうかしたの?』
すぐに返信が来る。
『……先輩らしいですね』
どこか棘を感じる。何か駄目な事をしたのか。
「あっ、ちょっと、これはどういうことですか。私は美味しくないです」
「人気だねぇ、陽菜ちゃん」
「同じ煎餅だよな、これ」
まぁ、寄って来るっちゃ寄って来るけど。ペコリと一礼してから食べるという噂は聞いていたけど。礼儀正しいなぁ。
最終日は奈良で自由行動。鹿をここまで間近で見たのは初めてだ。
「そういえば、夏樹に聞きたいことがあってさ」
「うん、良いよ。頼れる学級委員長の私が、迷える生徒の悩みに答えましょう!」
「そこまで大げさじゃないけどさ」
見せたのは今朝の乃安からのメール。特に見られて困るメッセージは無いから見せる。
じっくりと眺める夏樹は、やがてうんうんと頷くと、ふぅ、と息を吐く
「ふーーーーーーん。そっか」
そしてこの反応である。
「夏樹?」
「相馬くん、駄目だねぇ」
「いきなり駄目認定ですか」
「特に用事が無くても連絡を取り合うのは恋人同士の基本だよ」
「えっ、無駄じゃない? それ」
そう言うと夏樹は手をぶんぶんと振り回して僕に迫る。
「無駄を楽しむのが恋人同士でしょうが! 向かい合わせで座った方がお互い広く使えるのに何で隣り合わせで座るのさ、レストランで。お口アーンとか、自分で食べた方が楽じゃん! なんで一つのコップに二つもストローぶっ刺すのよ! 相馬くんは今、世のカップル文化に喧嘩を売った!」
「おっ、おう」
ものすごい熱弁だった。反論なんて思いつかない、あまりの勢いに。
「というか、これを見る分に相馬くんから会話を始めたの、一回も無いよね」
「はい」
「流石の私も呆れちゃうな」
「さいですか」
そして、顔を横に背けため息を一つ。
「夏樹、顔が近い」
「ドキドキした?」
「してないと思う?」
「あーあ、相馬くん、人に大分慣れてきたから、からかってもつまらなくなってきちゃったなぁ。また考えなきゃなぁ、からかい方」
プイっと顔を背け、ツーンと擬音がつきそうな顔をする。
「怒った?」
「頭撫でなきゃ許さない」
「それやらなきゃダメ?」
「だめ」
撫でるというよりポンポンとする。
「許します。陽菜ちゃんがそろそろ来るから」
「えっ?」
ようやく鹿に解放された陽菜が、隠しきれない疲れを滲ませながら歩いてくる。
「はぁ、鹿って草食ですよね?」
「そのはず」
「どうしてか動物が近づいていく人っているよねぇ。ちなみに鹿、肉も食べるらしいよ」
「えっ?」
陽菜の顔から完全に表情が引いた。抜け落ちるように消えた。
「あー、そんな顔しないで。ほらおいで~」
むぎゅーと陽菜を抱きしめる。陽菜は抵抗しない。その様子をスマホでパシャリ。
『現在の様子』
と言うタイトルで乃安にメールを送る。
今は授業中か。と思ったのだがすぐに返信が来た。
『良いですね。素晴らしいですね』
おっ、絶賛だ。というか、授業中に返信しなくても良いのに。
「でかいな」
「でかいですね」
「とりあえず、柱潜る? 僕は潜れないと思うけど、陽菜なら」
「遠回しに私が小さいと言いますか。そうですか」
「いや、別に悪口のつもりは」
慌てて言い訳する僕を、東大寺の大仏様は静かに見守る。
ここが最後に巡る場所か。いや、でかいなしかし。デカいしか出てこない。あぁ、語彙力。
「あの、相馬君」
「うん?」
「相馬君は、今後も私をメイドとして置いてくれますか? 乃安さんいますし」
「陽菜を追い出すなんて、そんなことしないよ」
「そう、ですか。良かった……」
小さく微笑む、その様子に、安堵とは別の感情を感じた。
どうしてか自分の胸倉を掴む。言葉にできない苦しさがあった。
何で、陽菜が諦めたような顔をするんだ。
「先輩が思うより先輩の事を思っている人がいっぱいいますよ。認識が甘いです」
乃安はそう言った。あぁ、そうだ。その事を考える事から避けていた。目を逸らしていた。
「相馬君、大丈夫ですか? 頭痛ですか?」
「大丈夫。ちょっと眩しくて」
「そうですね、確かに今日は少し日差しが強いかもしれません」
自己評価が低いというのは謙虚と受け取れれる。けれど、過ぎた過小評価は嫌味にもなる。そして、本当に好いてくれる人からすれば不愉快この上ない。
でも、今更どうしろって言うんだよ。僕は。
お土産屋に来た。自由行動の最後のうちに買っておこう。
「夏樹は家族に?」
「うん。何が良いかな」
ん? あぁ、本当にあるんだ。宇治抹茶カレー。
君島さんが欲しいって言っていたな。あと、乃安には。目に入ったペアのアクセサリー。これ、かな。
頭を振る。付き合っているんだ、これくらい普通だろ。無駄を楽しめって夏樹が言っていただろ。手に取ってそのままレジに向かった。
好意に理屈を求めるのも可笑しな話だと言い聞かせる。これを送って嫌な顔をするような女の子じゃないだろ、乃安は。
そして陽菜も。多分。自意識過剰だ、と、無意識のうちに思うが、けれど。
「おーい、相馬。そろそろ戻るぞ。間に合わない」
「あっ、あぁ。悪い。すぐ行く」
今は楽しもう。気持ちを切り替えよう。だって最終日だ。明日には日常に戻るんだ。
最終日まで余すことなく楽しまなければ。
新幹線に乗って東京まで。夕食は駅弁だ。
「おぉ、これは」
本当に蒸気が出て。なんてことだ。ふかふかの鰻が。
「すごい……」
「本当ですね。温まるものなのですね」
陽菜も興味津々で覗き込んでいる。
「いただきます」
おぉ、弁当という事で舐めていたぜ。普通に美味しいじゃないか。
鰻か、久しぶりに食べたぜ。はぁ、景色も良いし。新幹線って素晴らしいな。バスより高いとのことだが、それだけの事はあると思う。
食べ終わってごみを纏めて。そして、それぞれぼんやりとした時間が始まる。京介は椅子の上でぐっすり。入間さんも夏樹もお互いもたれ掛かって眠っている。
陽菜はぼんやりと窓の外を眺め、僕もそうする。
それぞれ似たような街並みでも、どこかその土地の特徴を感じる。雰囲気というのか何というのか。あっという間に過ぎていく景色、後ろに飛んでいくようにも見える。
出発の時よりも静かな車内。気がつけば陽菜も眠っている。
さて、東京にもうすぐ着くな。
「帰って来た!」
「帰って来ましたね」
「帰って来たなぁ」
「帰って来たです」
「帰って来たぞ」
見慣れた駅前、少し冷えた空気。少しな寂しさと共にこの地に立つ。
「解散だってよ」
「うん、帰還式とかないのはこの高校の良い所だよ」
欠伸が出そうだ。バスと新幹線って座っているだけのはずなのになぜ疲れるのだ。家のベッドが恋しい。
「帰りましょう相馬君。乃安さんが夕飯を作って待ってます」
「あぁ、楽しみだ」
さっき弁当食ったはずなのにお腹も空いた。自然と足は早まるものだ。大きな旅行用の鞄とともに電車に乗る。
出発までの時間を電車の中で待つ。
「うん? あれ?」
「良いですよ。起こしますから、ちゃんと」
「えっ? あぁ。でも」
「大丈夫です。ほら、肩にとんと」
「……うん」
抗い難い眠気と陽菜の誘いに僕は従う事にした。電車はゆりかごのように僕を深い眠りに引きずり込んで行く。
修学旅行の終わりはとてもあっさりと、そして静かなものだった。
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