第百六話 メイドと修学旅行 二日目。
美しい光景だ。清水の舞台から飛び降りるなんてことわざがあるが、そんな物騒な考えを吹き飛ばす、詩でも吟じたくなる光景だ。
隣で熱心に持参したカメラで撮影をする陽菜。今朝、昨日の事を謝られ、今はいつも通りだ。
しかし、これで時間制限が無くて、他の修学旅行生とかいなければな。
「相馬君、この写真とかどうですか」
「良く撮れてるけど、そうだな、あっ、じゃあ、一緒に撮ろうか?」
「えっ?」
スマホを取り出しカメラモード。そしてそれを内カメラに切り替え、陽菜の方に身を寄せる。
「はい、チーズ」
笑顔は強制しない。そうすると陽菜は無理矢理笑おうとして変な顔になる事はわかっている。
写真に写った陽菜の顔は穏やかな笑みを浮かべていた。
「私、こんな顔しているのですね」
「見た事無かった?」
「いえ、私がこんな顔できるとは思っていなかったので……」
尻すぼみになっていく陽菜は唐突にぺこりと頭を下げる。
「夏樹さんたちが見当たらないので少し探してきます。明日の自由行動で確認したいことがあるので」
「あっ、うん。よろしく」
バスの中で良いじゃんとも思う。けれど、それは咄嗟では思いつかなくて、走っていく背中が人垣の向こうに消えるまでには間に合わなかった。
「やほー、相馬くん」
「うん? 夏樹? さっき陽菜が夏樹を探しに行くって」
「あははー、私ずっと近くにいたのに。存在感薄いのかな?」
「陽菜、何か辛そうでさ」
「お、おう、君がそれを言うか」
「え?」
「自分も辛いくせに、なーに人の心配しているのかな? それに、陽菜がなんか辛そうって、鈍感系男子は流行らないぞ」
唇に指を当てて、悪戯っぽく笑って、そしてパシャリとカメラで写真を一枚。
「たそがれてる高校生男子、良いね」
「卒業アルバムに載るかもって事忘れてないよね」
班ごとに班長に預けられるカメラは、その中から卒業アルバムに写真が掲載される。なのだが。
「班員の写真だからね。班長が撮るのは。全くもって趣旨から外れてないよ」
「集合写真とか撮って無いじゃん」
「そんなもの、先生に任せれば良いのだよ。私が持つカメラに何を写すか、そんなもの、私が決める」
キリッとでもつきそうな表情でそう言いつつも、一応紅葉の様子とか写真撮るのは夏樹らしいか。
「はい、相馬くん、おいで」
「うん?」
「はい、チーズ」
「学校用のカメラで何しているのさ」
「うん? スマホでも撮るよ」
「それは良いけどさ」
「はい、チーズ」
出来上がった写真は、流石女子高生、なんというか、構図とかさっき僕と陽菜で撮った自撮りより全然良い、うわ、かっこつけて自分で撮らずに陽菜に任せれば良かった。
「どうしたの、そんなに凹んで」
「うん? 自撮りって奥が深いんだなって」
「まぁ、慣れとか出るよね、そういうのって」
「ていうか、良いの? 学校に提出するデータに僕と夏樹が映ってるのは」
「良いよ良いよ。消すのもなぁ、最近破局した彼女が未練を断ち切るためにやる行為みたいで。それよりもほら、そろそろ移動だよ」
「えっ、もう? はぁ、何だかなぁ。消化不良だ」
「あはは、今度陽菜ちゃんでも連れて来ればいいじゃん」
「そうする」
あっさりと即答してしまったけど。来てくれるのかな、陽菜は。
「なぁ、陽菜」
「はい」
「あの中ってどうなってるのかな」
「中は立ち入り禁止ですよ」
「それはさすがにわかっているとも」
金閣寺。何を思ってこんな建物を造ったのだろか。
黙々とカメラを構え陽菜は金閣寺をそのカメラに。
「撮りつくされた題材ですが、それでも良いものですね」
ふぅと汗を拭う動作をして、僕にカメラを向ける。
「動かないでください」
「……はい」
「チーズ!」
「……京介」
「ふぅ、どう? 朝野さん」
「流石ですね。タイミングが憎たらしいくらいに完璧でした」
「だろ」
「つーわけで、相馬借りてくぞ」
「あっ」
どこからか男子三人。って、レスリング部の人たちだ。が、僕の体を抱えてどこかへ連れていく。えっ、僕何されるの。
「さて、相馬。お前なら何か思いつくだろ」
「何かって、その謎の信頼は何処から来るんだ。というか何をする気だ」
目の前には今日宿泊予定の旅館の地図。そして部屋割り。あぁ、嫌な予感しかしない。
「決まっているだろ。女子部屋への侵入だ」
「犯罪じゃね? まぁ、風呂覗くよりマシなのか」
「京介さん、こいつ、彼女持ちっすよ。信用できるんすか」
「できる。俺が保証する」
「協力するとは僕は一言も言っていないぞ」
これに一枚噛むとか嫌だぞ。正直、陽菜にバレた時が怖い。
「頼む、相馬。彼女いない男子たちの修学旅行伝統行事、歴代誰も成功していないこれを、今年こそは成功させて歴史に刻みたいんだ!」
「つうか、潜入して何するのさ」
「えっ、あっ」
「何も考えていないだろ」
「ははっ、そうっすね」
「壁伝って窓から入れば良いさ。黒い服着てな」
超がつくほど適当な提案だが、うん。関わりたくない。関わりたくなかったのだが。
ふぅ、さて、どうしてこうなった。
「さぁさぁ、どうぞどうぞ。お菓子も買い込んじゃったからねぇ」
「どうぞ、相馬君。良い茶葉だと思いましたので、早速淹れてみました」
「まさか自分から来るとは、日暮氏やりますですね」
本当に男子たちが、僕と京介の部屋から壁伝いに侵入作戦を開始、放っておこうと思ったのだが、最初に移動を開始した一人が足を滑らせ片手でどうにか持ちこたえるピンチ。咄嗟に持ち歩いているロープで、降りていき、そいつに縄を括り付け引き上げてもらい、僕は一旦近くの部屋のベランダに潜伏。したのだが、そこは陽菜の部屋で気づかれたという始末。
「というか僕、よくロープなんて持ち歩いているよな」
父さん直伝、持ち歩いておくと便利な七つ道具、はぁ、感謝しなきゃ駄目かな。
「それで、ここまで来るのに使ったロープはどうしたのですか?」
「京介が回収した」
「なるほど、桐野君に協力してもらったのですね」
これでまぁ、男子たちの名誉守れれば良いのだけど。というかあいつら、流石に撤退したよな。
京介にはスマホで連絡したから、まぁ心配はしていないだろ。
「どうする? 泊っていく? 泊って行っちゃいなよ」
「あっ、あぁ、どうしようかな」
「お風呂入っちゃう? よし、入っておいで。なんなら一緒にどう?」
「一人で大丈夫です! というか、もう入ったのでしょ?」
髪は湿っているように見えるし、というか寝巻だし。
「二度風呂という文化が私たちにはあるのだよ」
「一人で入れるので。えぇ、はい。では」
「相馬君、どうぞ、替えのジャージと下着一式持参しているのでお使いください」
「なんで持っているのか、聞いても良い?」
「どうしてでしょうね」
きょとんと首を傾げる陽菜、まぁ、とりあえずお風呂に入ってしまおう。
「チェックメイト」
「なっ、くっ、さすがです、相馬君」
「おぉ、優勝は相馬くんか」
旅行中の暇つぶしとして入間さんが持ってきていたチェス盤を使って簡単な大会。さすが陽菜、強かった。負けるところだったぜ。
「ポーンの昇格が防がれてたら負けてたよ」
「あの場面で次の一手でチェックをかけられるルークを潰すか、昇格するポーンを潰すかの二択はずるいです」
ジトっとした目を向けて来る陽菜。意外と負けず嫌いだもんな。
「次やったら負けるよ、多分。勝負は水物、どう転がるかわからないから」
「運の要素が介在しないチェスでそんな事を言われても」
「お疲れ。はい、チョコですよ。どうぞ、頭に栄養です!」
と、その時、部屋の扉が叩かれた。
「あっ、見回りの時間」
その夏樹の呟きと共に、みんな近くの布団にもぐり、電気を消す。
「よし、寝てるな」
今日は酒盛りをせずにちゃんと見回りしたのか。我らが担任の声が聞こえ、扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。耳を澄ます。
「あの、相馬君」
吐息がかかる。
「そろそろ、腕を……」
気がつけば、抱きしめていた。あぁ、こういうのって勢いだより何だなぁ、意識してはできないことだよ。慌てて離すと、陽菜が布団をはねのけ電気をつける。
暗くて良かった。顔まで見えてたら正気を保ててたかどうか。
「いやー、ドキドキしたねぇ。ふふっ、どうする? 泊ってく?」
「いえ、帰ります」
見回りしているということは、先生ももう寝るという事だ。さすがに、男僕一人でそんな度胸は無い。
「そう、それじゃ、また明日」
いつもと違う環境、調子が狂う、その事を実感する。それでも、部屋まで見つからないように全力で隠密行動はした。
今更ながら、父さんはどうして教えようと思ったのだろうか。