第九十七話 メイドと見上げた夜空。
私たちは正座で向き合っていた。お風呂に入ってすぐ、陽菜先輩との会合は始まった。
「先輩、さて、お話の内容は?」
「相馬君は、了承してくれたという事でよろしいのですね」
「はい」
「禁足事項についてはご存じで」
「えぇ。しかし先輩、よく考えてください。禁足事項は書類上の関係が結ばれて初めて適用されるもの。私と相馬先輩の間では適用されません」
ピクリと眉が動く。陽菜先輩が怒りを抑えようとする時の動作だ。
「先輩に、私を止める権利、ありますか?」
「しかし、みんなの前で、その、えっと、接吻は控えた方が……」
「あはは、あれは、その、つい」
本当に、どうしてあんな事してしまったのだろう。特に理由もなく、してしまった。
「今日はもう寝ましょう。さっ、入ってください」
「へ?」
「布団洗っているので、まだ乾いていないですし。私のベッドで一緒に寝るほかありません。まさか相馬君と一緒に寝かせて間違いがあっては困りますし。さぁ、どうぞ」
無意識に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「し、失礼します」
入っていく。良い匂いがする。
「いらっしゃいです。あなたは今晩、抱き枕となるのです」
言葉通り抱きしめられる。
「相馬君が誰と付き合おうと、文句は言いません。だから、私が怒っているのは公然とイチャイチャしたことです。そういうのは、こっそりと行うものですよ」
本当ですか? そう聞こうと思った。でもやめた。返ってくる答えはわかっていたから。
「乃安さん。大切にしてもらってください。相馬君は、とても良い人です」
知っている。十分に。
すぅ、と寝息が聞こえた。
控えめに抱きしめる。優しい匂い。私を安心させてくれた匂い。
「うーん。あれ、いつもより早い。まぁ、いっか」
スッキリとした目覚め。夏休みも残り少ない、休日を満喫できる日々を離れるのは惜しいが、受け入れよう。
「おはよう、陽菜」
「おはようございます。今日は早いのですね」
「うん」
ぽんと頭に手を乗せようと手を伸ばす。いつもやっていること、なんだけど。けれどその手は空を切った。
「相馬君。駄目ですよ。ちゃんと彼女を大事にしないと」
「えっ?」
「その手はこっちです」
それは少し、陽菜より高い位置。持って行かれた手はその頭に乗せられた。
「おはようございます。先輩」
「あぁ、おはよう」
ちらりと陽菜の方を見る。何の感情も表に出ていない。
「陽菜?」
「はい」
「知ってたの?」
「昨日知りました。見ていましたから」
淡々と告げられる事実。自分でも目が泳いでいるのがわかる。
「えっと……その……」
「祝福します」
「はい?」
「お二人のこと、私は祝福します。可愛い後輩、泣かせたら怒りますからね」
そう言ってリビングに入っていく。呆気に取られていると、乃安が腕に絡みついてくる。
「先輩、お許し貰っちゃいましたね」
「あっ、あぁ」
「先輩、またしちゃいます?」
「えっ、えっ?」
「顔真っ赤ですね。熱でもでましたか? なーんて」
乃安も追いかけるようリビングに入っていく。思わず頭を掻く。走ろ。
「相馬君、少しこちらへ」
「うん。どうかした?」
「座ってください」
「はい」
言われた通り、鏡の前に用意された椅子に座ると、櫛を持った陽菜が髪を整え始めた。
「そんなにひどいかな?」
「そうですね。女の子と出かける恰好ではないかと」
「はぁ。でも今日出かける予定は無いよ」
「何を言っているのですか。夏休みはもう終わりますよ」
「そうだね。あっ、陽菜、僕ワックス苦手……」
「つけ過ぎなきゃ良いのです。適切な量があるのですよ」
自分では考えられない、小奇麗な恰好に仕上がっていく。
「あの、さ。陽菜」
「はい」
「隠してて、ごめん」
「そうですね。それは怒ります。ほら、できましたよ。乃安さんの準備も整った事でしょう。では、いってらっしゃいませ」
陽菜はそう言って、笑顔を見せた。陽菜の見せる綺麗な笑顔はいつだって本物だ。だから、僕は安心してしまう。
「いってきます」
人を言い訳にすることしか、僕はできないのか。
パンっと頬を叩く。こんな顔をしていたら、駄目だ。
「先輩。お待たせしました」
「うん、行こうか」
自然と、手が繋がれる。最初に向かった場所は公園だった。
「実はお弁当作って来たんです。食べますか?」
「いただきます」
サンドイッチが並んだ色とりどりの弁当。ウインナーはタコさんに加工され、アップルパイもある。
「美味しい」
「陽菜先輩に、相馬先輩がどんな味付けが好きなのか、改めて聞きまして。どんどん食べてください」
「乃安も食べなよ。はい」
「食べさせてくれるのですか?」
「うん? 乃安も食べないと」
「ありがとうございます」
そのまま、差し出した形になっている僕の手から食べる。それは端から見ればお口アーンだった。それに気がついたのは、食べ終わって公園に出てからだった。
「次はどこに行く?」
「そうですねぇ、じゃあ、ここはどうですか?」
乃安が立ち止まった場所。そこはデパートだった。
「先輩、私に服を選んでください」
「乃安はもう十分おしゃれだよ」
「先輩に選んで欲しいのです」
じゃあ、と陽菜の服をいつも選んでいる店に連れていく。
「さぁ、先輩の趣味で私を染めると良いです。カスタム彼女です」
「そういうことをあまり外で言うのは控えような」
さて、どうしようかな。乃安はスタイルが良い。そうだな、もうすぐ秋だ。よし、ここは。
「なるほど、ロングスカートですか。それに、秋を意識した色合いですね。着てみますね」
しばらくして出てくると、あぁ、やっぱり。ポンチョが良い。ポンチョがポイントだ。
それから、さらに三パターンくらい考えて購入した。
「さすが先輩ですね」
「陽菜の、うん?」
「デート中に他の女性の名前出すのは、褒められませんよ」
唇を摘ままれて何も言い返せない。乃安はウインクするとパッと手を離す。
「次、行きましょう」
本当に服を買う事だけが目的だったようで、乃安は僕の手を引き歩いて行く。
「次は、どこに行くの?」
「えーっと、どこだったかな。あっ、こっちです」
途中、駅のロッカーに買った服を預け、また歩く。
「山? というかここって……」
「さぁ、行きましょう」
そう言って見上げる目。乃安はどうしてここに。
木々に囲まれた道。歩いて行く。ここは星見の丘への道。
「先輩は、陽菜先輩とどのようにお付き合いを始めたのですか?」
「花火大会の日に、景色の綺麗な神社で」
「ロマンチックですね。とても高校生らしいと思います」
気がつけば、手を繋いでいるのが普通になっていた。
「今日は晴れていますね。雲一つありません」
「うん、知ってたんだ」
「はい。調べるとすぐに出てきました。プラネタリウムで済ませるのは、少し味気ないので」
もうすぐ、今度ははっきり覚えている。もうすぐ景色が開ける。そうすれば僕らは星に包まれる。母さんとの思い出、陽菜と、みんなとの思い出。僕にとって色々なものが詰まった場所だ。
「陽菜先輩が、相馬先輩に連れてきてもらった場所の一つで、一番好きな場所って言っていました」
木々が途切れて目の前に野原が広がった。
「想像していたよりも綺麗です。確かに、とても良い場所です」
広がる星空、それを目の前にあえて目を閉じる。風の音。虫の声。自然の匂いがさらに強く感じられる。
「先輩、こっちです」
「あっ、うん」
乃安がレジャーシートを敷いて手招きしている。腰を下ろすと、肩に重みを感じた。
「腕を拝借です」
自分の小ささを、世界の大きさを実感する。乃安の絡めている腕にも少し力が強まるのに気づいた。
「先輩、私の事、好きですか?」
「えっ?」
「無理、していますよね」
見上げる目に涙を溜めてることに、乃安は多分、気づいても意識してない。
陽菜に泣かせるなと言われたばかりなのに。
「ごめんなさい、先輩。私のせいで困らせて。ごめんなさい」
顔が見えないからだろうか、乃安は遠慮しない。本音が漏れてるように感じた。そんな乃安に、愛しい、そんな気持ちが湧いた。
「先輩?」
抱き締める。暗闇でも、星の光だけが頼りなそんな場所でも、失ってしまわないように。
「乃安、大丈夫。だから、ほら、涙拭こう」
「ふふっ、先輩、慰め方が不器用ですね。こんな体勢でどうやって涙を拭くのですか?」
「あっ、あぁ、そうだね。ごめん」
背中を預けあって、星を見上げる。そんな静かな時間を僕らは過ごした。
温かい。胸の奥が温かい。大事にしたい。そんな心からの気持ちがあった。