間話 メイドとカレーの日
遅れ馳せながら。一年冬です。1月21にやる予定だったのに。
良い匂いがする。冬のある日、積もった雪を片付けて帰ってきたら、スパイシーな良い香りが玄関まで漂ってきた。
「陽菜、今日はカレー?」
「はい、カレーの日と聞いたので、これは良い機会だと思いまして、作ってみました」
「へぇ、そんな日が」
「今朝作ったものに今、仕上げしているだけなのですけど」
寝かせたら美味しいってやつか。しかし、不思議なのはカレーの匂いを嗅ぐとお腹が空く事だ。
「口の中がカレーを食べる準備を始める。これがカレーの魔力なのか!」
「何を言っているのですか? はい、できましたよ」
「おう、口に出てたの?」
「はい、ものすごく熱弁していました。楽しみなのがとても伝わってきて、作る人間としてとても嬉しく思います」
皿に盛られたカレーライス。恥ずかしさより食欲が勝った。
「辛い。だがそれが良い。 スプーンが止まる事を知らない。これが美味いというもの。口の中に広がる旨味、具材は溶け込もうとその存在は確かに感じる! あぁ、語彙力が喪失しそう!」
「あの、大丈夫ですか? 変な薬でも飲みました? カレーには入れていませんけど」
「また、口に出てた?」
「はい」
カレーってすごい。二杯目もあっという間に食べ終わった。
「そんながっつかなくても、カレーは逃げませんよ」
「うん。知ってる」
「カレーを使ってもう一品用意しているのですけど、どうですか?」
「食べる」
陽菜が台所から持ってきたのはカレーの上にチーズを乗せたもの、カレーグラタンってやつかな。
「どうぞ」
「いただきます」
あっ、これは。チーズ好きとしてはたまらん。何より、カレーが軽く焦げているのがまた香ばしい。熱い、熱いけどでも食べてしまう。冷める前に食べてしまおう。
「ふぅ、美味しかった。ごちそうさま」
「お粗末様です。デザート食べますか?」
「食べる」
別腹だ。しかし、陽菜は器用だなぁ。メイド服は一切カレーに汚れていない。
デザートはさっぱりした甘さの物が良い。そう思っていたら出てきたのはアイスだった。
「炬燵で食べましょう。せっかく出したのですし」
「そうだね」
陽菜が倉庫から見つけ出した炬燵。リビングのど真ん中を支配し、僕の仮眠所と化している。炬燵でミカン、炬燵でアイス。人を駄目にするフルコースだ。
炬燵で寝るのは体に悪いらしいけど。ん?
その時だった、僕の中に電流が走るかの如く閃いた。
炬燵の中を移動、そして捕捉。
「あの、何をしているのですか?」
「膝枕してもらっている」
炬燵から頭だけを出し、陽菜の膝の上に乗せる。足は温かく、頭は幸せ。
「というわけで、おやすみ」
「相馬君、今日は妙にテンションが高いですね。恐らくしばらく眠れないかと」
「そうかも。でもまぁ、ほら、美味しいもの食べたし」
「いつもはあまり美味しくないと?」
「違う違う。いつもは美味しいけど、今日は特別、なんだろう、力が入っていた気がする」
「いつも全力ですけど、何でですかね」
思い返してみる。今日は朝、演劇部で練習して、授業を受けて、放課後も練習して、家に帰って来た。帰ってきたら雪が積もっていたからかまくらの補強がてら片づけた。
あぁ、何となくわかった。
「お腹空いてたんだなぁ。というか、陽菜と暮らし始めてから少し肥えた気がする」
「私が来るまでの食生活ってどんな感じだったのですか?」
「うん、父さんがいた頃は自分で作ってた。まぁ、簡単なものだけど。父さんが出張に出てからはコンビニとかスーパーの総菜かな。あとは冷食、インスタント」
「どうして作るのやめてしまったのですか?」
「なんでかな。誰かいないと作る甲斐が無いんだよね」
なんだかんだ、僕は父さんの事が嫌いではなかったらしい。なるべく父さんの好みに合わせようと頑張っていた気がする。要するに、作る目的が無くなってしまったのだ。
「私は、ここに来てから料理の腕が上がったように感じますよ」
「どうして?」
「相馬君の反対ですね。この人のために作りたい、そう思える人に出会ってしまったからです」
頭に手が添えられ、優しく撫でられる。優しい目に見つめられ、安心感に包まれた。温かい。この温かさを手放したくない。
目が覚めた。そこはリビングだった。
「陽菜?」
「はい、おはようございます」
目の前にあった見慣れた女の子の寝顔。目がぱちりと開き、ゆっくりと起動する。
「お風呂、入ってませんよね、私たち。なのに、朝」
「良かったねぇ、今日休みで」
「良くないですよ。お忘れですか? 演劇部。今日が本番ですよ」
「あっ、やっべ」
陽菜は寝坊していない。何がまずいって、今から掃除してお風呂に入って朝食を作る。間に合わない。
「掃除省略する?」
「駄目です」
頑固だなぁ。うん、待てよ? あれがあるじゃないか。
「今日の朝食は昨日の残りのカレーにしよう」
「なるほど、アレンジ料理ですね。相馬君のひらめき、流石です」
「だろ。って、陽菜はそうするつもりじゃなかったの?」
「さぁ、どうでしょう? 秘密です。驚かないでくださいね。では、掃除をして参りますので、相馬君はお風呂に入ってきてください」
「おう」
「はぁ、朝風呂も良いなぁ。温かい」
浴室にそんな僕の心からの言葉が響いた。
朝カレーは体に良いらしい。具体的な理由はさっぱりだが。まぁ、良いのだろう。
昨日の今日でもカレーは僕の食欲を刺激した。楽しみだ。
そうして、お風呂も終わり、陽菜の朝の日課も全て完了し、朝食、出てきたものはパンにチーズを乗せたものだった。
「随分大きなトーストだね」
「見た目に騙されてはいけません。ナイフとフォークを使っていただきます」
「はぁ」
テーブルにカレーは見当たらない。あるのは分厚い、かなり分厚いトーストだ。陽菜の言う通り、パンにナイフを入れてみる。
「あっ」
すると、カレーが中から溢れてきた。慌ててパンにつけて食べてみる。カレーの容器に使われていたパンはカレーが良くしみ込んで、けれど食感はカレーパンとはまた違う。揚げると焼く、プロセスの違いでこんなにも違うのか。
「すごい……」
気がつけば、そんな事を呟いていた。
「中をくりぬいてそこにカレーを流し込み、チーズでコーティング。後は焼くだけです。簡単なものですが、どうですか?」
「うん、おもしろい」
「おもしろいって、料理の感想ですか? それ」
「うん。まさかこう来るとは思わなかったよ」
朝の忙しい、そんな時間も、食卓を囲むときくらいは、和やかでいたい。
「そう言えば陽菜、どうして炬燵で寝てたの?」
「相馬君がとても気持ちよさそうに寝ていたので、興味が湧いてしまって」
「あぁ、まぁ、炬燵の魔力だね」