第九十五話 メイドと海水浴をします。
眩しい青。輝く白。ビーチパラソルを立て、シートを敷いて、準備完了。空の青と海の青、遠くを眺めれば溶けあうようで、目を奪われる。
「お疲れ様です。飲みますか?」
「うん。サンキュー」
晴れて良かった。日差しは強いが、それもまた海の醍醐味。全力で楽しむだけだ。
「おーい、終わったか―、早く来いよー」
「今行くー」
水鉄砲の集中砲火を避けながらそう呼び掛ける京介、どうしてこうなった。あと、あまり水鉄砲は使わない方が……。とは思ったが、まだあまり人は来ていない。巻き込まれる人がいないなら良いか。
「さて、とはいえ加勢はできないし、救助もできないな」
「できますよ。これをどうぞ」
「……これは?」
「スポンジ製の剣です」
「見ればわかるけど……水鉄砲から出た水を打ち落とせと?」
「はい」
「無理じゃね?」
弾丸とかならまだしも、ビームだぞ。弾丸打ち落とせと言われても無理だけどさ。
「まぁ。冗談ですけど。こちらが本命です。さぁ、銃撃戦です」
百均レベルの水鉄砲で空気圧縮式水鉄砲二丁に対抗しろと、うちのメイドは無茶振りをするのであった。
「いやー、ひどい目に遭った」
「あぁ、大変な戦いだった」
男二人ビーチパラソルの下。女子たちは元気に遊んでいる。水鉄砲合戦は陽菜の参戦により僕らの方に形勢が傾いた。容赦の無い陽菜の火力支援により、夏樹も乃安も逃げ回ることとなった。
「釣り竿でも持ってくるべきだったな」
「釣れねぇだろ」
「ナンパでもするか?」
「陽菜に何て言われることやら」
ここまで中身がスカスカの会話も珍しい。
人も増えてきて、遊ぶのにも不自由しそうになってきた。それは実際に遊んだ三人もそう思ったようで、ビーチバレーを中断すると、戻って来た。
「相馬君、昼食にしませんか? お弁当預かってますし」
「良いね。そうしよう」
おじいちゃんが持たせてくれたお弁当。ここまでしてくれるとはと驚いた。本当にありがたい。まさか一人一人に作ってくれるとは思いもしなかった。
とても手の込んだもの。そして冷めても美味しいラインナップ。
「午後はどうしますか? 私としては、またあれをやりたいのですけど」
「あれって? あぁ、あれね。私も作りたいなぁ、お城」
「? 何をするのですか?」
周囲を見渡す。出来そうだな。よし、やるか。
「どうやっても歪になるなぁ。困った。門が禍々しい城とか嫌だぞ」
さて、仕方ない。今回も評価側に回るとしよう。
というわけで、早速、隣で作っている夏樹のを見てみる。
「あれ、和風だ」
「和風だよ。すごいでしょ」
うん、凄い。凄いのだが、イメージが。まぁ、良いか。
「でも住みにくそうだねぇ、どうしたら良いと思う?」
「そのまま思うように作るのが良いかと」
「だよね! よし、別館も作ろう」
「うん、ファイト」
大作ができる予感がした。
「陽菜は何を作っているんだ?」
「これはですね。スフィンクスです。もう少しすれば形が整いますので、少々お待ちを」
確かに、ライオン? の部分はできている。顔はまだだが、それでも一目見れば何となくわかる。完成が楽しみな作品だ。
「ところで、ピラミッドもあった方が良いですか?」
「あってもいいんじゃない?」
「じゃあ、作ります」
「作るんだ!?」
またここでも大作ができる予感がした。いや、そこまでこだわらなくてもとも思うけど、止めるのも野暮だよなぁ。
「京介よ、言い訳は聞くぞ」
「何を言い訳しろと」
モアイ像がずらりと並ぶ光景は結構圧巻、いや、不気味だ。文句は無い、クオリティも良い。人の顔っぽいものが並ぶというのが不気味なのだ。
「首が並んでいると思ったぞ」
「砂浜に首だけ出して埋めるとか、後でやってやろうか?」
「やめとく」
あと何個作る気なのかはわからないが、楽しみではある。
そして、今回初出場、乃安は何を作ってるのだろうか。ものすごく真剣な表情をしているが、一体何を。
「あっ、先輩。見てください、どうですか?」
「これは……なに?」
「UFOですよ、UFO。アダムスキー型です。他にも円盤型、皿型も作ろうかと。だいぶ想像が入ってしまいますけど」
「良いんじゃない。ロマンがある」
オカルトにはまっていた時期があった僕としてはとても見守りたいところだ。
「砂でのアートはあまり慣れていないので、ちょっと雑になってしまいますが、楽しみにしていてください」
「うん、そうする」
しかしながら、凝り始めた四人の大作により、結構広く砂浜が支配されてしまったな。写真を撮っている人もいる。
ちなみに僕のスペースには気がついたら立派なピラミッドが建った。
「ただいま」
「お帰りなさい。どうでしたか?」
「砂浜で砂祭りしてきたよ」
「はぁ、それは、楽しそうですね?」
部屋に備え付けられているシャワーで体を流し、男部屋に全員集合。
「たのしかったねぇ」
「そうですねぇ」
思い思いの体勢で休む五人。夕飯は六時。
しかし、どうして畳の上で寝ると気持ち良いのだろう。そして、プールとか海で遊んだ後ってものすごく眠くなる。
あるあるネタを言いたいわけでは無いけど、うん。それに僕は決して眠いわけでは無い。
「先輩先輩」
「んー?」
「みんな寝てしまいました」
「へぇ」
「隣の部屋行きませんか?」
「何しに?」
「いえ、眠れないなら、隣の部屋でお話ししませんか? 起こしてしまいますし」
「良いよ。行こうか」
抜き足差し足。泥棒にでもなった気分で移動。隣の部屋は僕等がいた部屋と作りは同じだ。心なしか良い匂いがする。入れてもらったお茶には茶柱が立っていた。
「熱っ!」
「先輩! 何で一気のみなんて。馬鹿なんですか? 死ぬんですか?」
「酷い言いようだな」
茶柱立っていてたら一気飲みするべしって誰かが言っていたような気がしたからそうしたのだが。
「さて、先輩。どんなお話しします?」
「話題は任せるよ。気の利いた話題なんて、僕には思いつかないし」
「じゃあ、先輩の昔話が聞きたいです。中学生の頃の話とか」
「僕の……」
「はい」
「大した話じゃないよ」
「それでも、聞きたいです」
何から話そうか。大した思い出があるわけでは無い。良い思い出は無い。むしろ、悪い思い出の方が多い。一歩引いた所でずっと眺めていた。いじめの対象にすらなかった。喧嘩が強かったのもあるが。
「ごめん、やっぱり話すような事、無いや」
忘れかけている。濃い日々が続いたせいで、段々と薄れていくその頃の記憶。
「ガンガン踏み込んでくるわりに、自分の事話さないなぁと思っていたんですけど、残念です。この機会に全部聞き出そうと思ったんですけど」
「陽菜から聞いてない?」
「聞きましたよ。先輩の事情は」
それは、一般的にデリカシーの無い行為に当たるだろう。でも、僕にはありがたい。乃安もそれをわかっているのがわかった。
世間一般とは違う事情の人だからと、腫物を触るように扱われる方が苦しい。僕の事情は僕にとっては普通なのだから。
「そっか、じゃあ、そうだね。魔法陣を書いた話でもしようか」
「魔法陣ですか?」
「そう。中学二年生の頃だったかな」
夜中、悪魔という物が見たくなり、本で必死に調べ、一番簡単な方法を試すことにした。
家の外、どうにか書き上げた魔法陣を眺め、達成感に浸っていたところ、一台のバイクがやって来た。
「新聞でーす」
「あっどうも、あっ」
「どうも~。頑張ってくださいねぇ」
僕が何やら頑張っているのはわかったらしい。けれど、足元まで気が向いていなかったようで、書き上げた魔法陣は既に破壊されていた。
「という話」
「ふむふむ。そういえば、着ないわりに大事にしているあのコート、中学生の時に買ったと言ってましたね。あれは……」
「かっこよかったから買った」
「なるほど。じゃあ、後聞きたいのは、君島莉々って人、覚えてますか?」
「誰?」
「あ~、覚えてないですか~」
「うん」
「私がよく話す子なんですが、相馬先輩の事よく聞いてきたので、何かと思えば、先輩と同じ中学とのことでしたので」
「へぇ」
覚えていない。僕はその子に何をしたのだろうか。悪い事なのか、良い事なのか。
「ねぇ、先輩。急かさないとは言いましたが、聞いて良いですか?」
「うん。良いよ。聞かれてみる」
「先輩、先輩は誰を選ぶんですか?」
「僕は……」
言うべきか。いや、ここは、この決断は秘めるべきだ。今の生活を壊さないために。だからここは。
「まだ決められないや」
そう言って、意識して笑顔を作る。それを、笑顔で受け止めた乃安の表情は、すぐに冷たいものに変わった。思わずたじろぎそうになるのを全力で抑える。
「そうですか。先輩、私は、決断を急かさないとは言いましたけど、逃げて良いとは言ってませんよ」
「逃げてなんて……」
「逃げてますよね。わかりますよ。だって、先輩、頑張りすぎる時の顔しています。みんなを傷つけないようにって、関係を壊さないようにって。そう考えているのではないですか?」
何も、言えない。答えられない。答えたくない。目の前の後輩に、僕はこれ以上、弱い所を見抜かれたくない。
「先輩、もし、誰も選ぶ気が無いのでしたら、私を選んでください」
机を挟んでいた空間、それを乃安は踏み越えて来る。すぐ隣に、僕が逃げないよう、気がつけば正座していた足に手を置く。
「どうしますか? 私を選ぶかそれ以外か」
「どうして、誰かを選ばせようと……」
「自覚していないようですが、それが先輩の立場です。自分らしくある事も大事ですけど、誰かの求める自分になるのも、時には必要ですよ。特に、純粋な思いに対しては」
「それは。でも、僕は」
「誰かを選んでしまえば、もう、誰も選ばなくて良いのですよ」
「でも、それは、そんな逃げるみたいに選ぶなんて」
「良いじゃないですか。楽になっちゃいましょうよ」
誰か、起きて入ってこないだろうか。楽な方に行ってしまいそうな僕を、誰か止めてくれないだろうか。
「乃安、待ってくれ」
「待ちません」
「でも、僕は」
「先輩、私は先輩の答えが聞きたいです」
僕は、乃安を振ることができなかった。ここまで来て、僕は傷つけたくないと思ってしまったのだ。
「わかった、付き合おう」
「はい、喜んで」
先輩と付き合い始めて最初の夜。まだ誰にも言っていない。すぐにバレると思うけど。
私の行為はメイド派出所の規定だとグレーなものだろう。でも良い。私はきっとメイドを辞める。そう予感している。
夕飯美味しかったな。将来はここで修行するのも良いかもしれない。
「はぁ」
「眠れないの? 乃安ちゃん」
「夏樹先輩、起きていたのですね」
窓際で涼んでいたら、夏樹先輩が布団から出てきた。陽菜先輩は完全に寝入っている。ここからでもわかる。
「相馬くんは押し切れたんだ」
「はい。わかります?」
「相馬くん見てたら、後は今日一日の状況を考えたらね」
「流石です。私に聞きたかった質問、あるそうじゃないですか」
「まだ聞くときじゃない。まだ、答えが出てない」
夏樹先輩が待っている答えがわからない。この先輩は、本当に、わかりづらい。笑顔の裏に何を隠しているのか、全く読めないのだ。
「夏樹先輩は、どうして自分の物にしようと動かないのですか?」
「んー、私の恋は偽物だから」
月明かりに照らされた顔が、照れたように笑う。
「偽物、ですか?」
「そう、私は相馬くんを利用しているの。だから、本気になれないかな」
「……深くは聞きません。けれど、夏樹先輩は、それで良いのですか?」
「うん、みんな仲良くできているから。平和が一番。もし、相馬くんが告白でもしてくれたら、その時はありがたくいただきます」
眺めは良くないのに、月は照らす。それがどうしてか落ち着く。きっと月なら、私のどんな感情も静かに、優しく照らして包み込んでくれる。今はそれで良い。