第一話 我が家にメイドがやってきました。
「えっ、何?今日から家政婦を雇うって、どういうこと?」
『家政婦じゃなくてメイドだよ、メイド』
電話口から聞こえるのは現在海外出張中の父親の声だ。聞いたのは久しぶりな気がする。そしてその久しぶりの声が突拍子も無い事を言っているのだ、正直、頭が理解するのを拒否している。
「一人暮らしも慣れてきたから困ってないぞ別に」
『そうは言ってもなぁ、今は春休みでもあと三日もすれば高校始まるだろ。学校にすら慣れてない一年生がいきなり一人暮らしじゃ心配だと親バカな父親は考えた。だからメイドを一人雇うことにした。おっと電話だ、今日から来てもらうことになってるから、詳しいことはその子に聞け。間違いは起こさないように』
それだけ言って電話は切れた。それを見計らっていたようにインターホンが鳴る。いやまさか、うん。あっ、また鳴った。一応出るか。
「はい!今出ます」
慌てて鍵を開け扉を開く、そこにいたのは絵に描いたようなメイド服に身を包んだ肩まで伸びた黒髪の女の子だった。
「初めましてご主人様。私は本日よりこちらで務めさせていただくことになりました、朝野陽菜です。以後よろしくお願いします」
淡々と自己紹介したその子は、素人目にもわかるくらい洗練されたお辞儀をした。
「まずは契約内容の確認ですが、本当に旦那様から何も聞いていないのですか?」
所変わりリビング、朝野さんは一枚の紙を取り出す。
「読みあげます。『住み込みで息子の面倒を見て頂戴、よろしくぅ』とのことです」
「それは何ですか?」
「依頼書です。早速ですが、とりあえず荷物を置ける場所と寝る場所を割り振っていただけますか?その様子だと部屋などは用意していないと思われますので、床が寝床でも構いません」
「えっと、部屋はありますよ。客間で良いですか?」
一人で暮らすには広いこの一軒家だから、突然泊まりに来た人にも貸せる部屋はある。
「ありがとうございます。ご主人様」
「そのご主人様って呼び方……」
「何か?」
「いや、俺、一応日暮相馬って名前ですけど」
「存じております。雇い主の旦那様、この家の現在の主のご主人様。呼び方に関して何かご要望でもありますか?」
「それじゃあ、相馬と呼んでください」
そう言うと少しだけ考えているように見える。はっきり言ってわからない。
「申し訳ございません。立場がわかりづらくなるので」
「いや、何かむずかゆいというか呼ばれ慣れないからどう反応すれば良いかわからないのですけど……」
「慣れていただけるとありがたいです、それと敬語もやめてください」
そう言って一礼。部屋を出てきっちり一分後戻ってくる。
「あれ、場所教えてないでs……よね?」
「旦那様から間取りの情報はいただいておりますので、では早速仕事に入らせてもらいます。とは言いましても今からだと夕食の準備となりますが、何かご希望はありますか?」
「思いつかないから任せて良いかな?」
「かしこまりました」
そう言って足音も立てずに台所に消える。
「はぁ」
落ち着かない。
突然現れたメイドを名乗る女の子、まずこの日本にメイドと呼ばれる職業がメイド喫茶以外に残っていることに驚いた。それに服装だ。短めなスカートで少し露出多めな最近のアニメなどでよく見るタイプのメイド服だ。見た目も確かに顔立ちは整っているのだが……。
「せめてもう少し愛想良くしてくれればありがたいのだが」
「申し訳ありません。メイド長の方から笑顔が非常に下手くそだと言われたもので」
「うわっ!ビックリした」
いつの間に後ろに立っていた朝野さんは買い物袋を手にぶら下げている。
「夕飯の買い出しに行って参ります。15分ほどで戻ります。旦那様の方から一ヶ月分のお仕事で使う予算は受け取っているのでご安心ください」
そう言って出ていく朝野さんの後ろ姿を見送り、素早く階段をのぼり自分の部屋に入る。
お世辞にもきれいとは言えない部屋、急いで片づける、父親が海外出張中だからと色々油断をしすぎていた。床に散乱した下着類や漫画の本。女性に見られるのはあまりにもマズイものもある。
物を棚や引き出しに片付け終わったところで玄関の方から物音が聞こえ時計を見る。
ぴったり15分、時報でも聴いていたかのように正確だ。
階段をのぼる音が聞こえ扉がノックされる。
「ど、どうぞ」
「ただいま戻りました。これより夕食の準備に入りますのでしばらくお待ちください」
開いた扉から覗く姿はメイド服のままだ。
「その格好で行ったの?」
「はい」
何がおかしいと言わんばかりの返答にどう答えればいいのかわからず何も言わずにいると、「失礼します」 と言って朝野さんは去って行った。
結論から言うと彼女の料理は絶品と言うべきものだった。
その事を伝えると彼女は一言、
「ご主人様に快適に日常を過ごしていただくのがメイドとしての本望ですから」
とだけ答えた。
横で控える彼女は飲み物が空になれば継ぎ足し、話しかければ淡々と答える。
「朝野さんは一緒に食べないの?」
「私はメイドですので、ご主人様とテーブルを共にはしません」
「一緒に食事した方が楽しいと思うけど」
「立場ははっきりとすべきです、私はあなたに仕える立場です。ご主人様、今日突然現れた人にこう言われても困るでしょう。しかし私は旦那様に雇われた身です。だから私はご主人様に尽くさせていただきます」
そう言って朝野さんは一息つく。
「だから『さん』をつけて呼ばずに名前を呼び捨ててください。ですぎたことを申しているのはわかっています。しかしお互い立場をはっきりしましょう」
そう話す彼女の顔にも声にも何の感情も感じられなかった。
棒読みとは違うけど感情のこもらない言葉、人間味を感じない彼女から感情のかけらを拾おうと見つめる。
「ご主人様、どうかされましたか?」
「あっ、うん、ごめん」
慌てて残ったおかずを食べ終えると陽菜は食器を下げる。
「デザートを用意しておりますので少々お待ちください」
もちろんデザートもおいしかった。
それから学校が始まるまでの三日間、陽菜のおかげで進学の準備に費やせた。
朝起きればすでに陽菜は家事に勤しんでいる。毎朝軽めの運動をする習慣があるため、早起きしている自覚はあったが、それよりも早く起きているのを見たときはさすがに自分が寝過ごしたのかと思った。
何時に起きたのか聞けば三時に起きているそうだ。
「睡眠は足りてるの?」
そう聞けば、「問題ありません、三時間寝れば十分です」とのことだった。
家は一人暮らししていた頃より綺麗になった。しかしながら一緒に暮らしているということでどうにも気が休まらない部分があった。父さんはどうして雇ったのだろう、困るどころかむしろ助かっているのだが、やはり男女ということでやりづらいところがある。表情が変わらないために、何を考えているのかわからないというのもそれに拍車をかける。
そして入学式当日。
真新しい制服に着替えて玄関へと向かう。学ランのフォックを締めるか迷うが首元が苦しいので結局開けたままにしておく。まだまだ桜も咲いていない寒い朝、制服を着こめば寒くもなく暑くもなく丁度良い。
「お待ちしておりました」
玄関には陽菜が立っていた、僕の通う高校の制服を着て。
「高校で雇用関係が知れ渡ると不都合があると思いますので日暮君と呼ばせていただくことをご了承ください」
「えっと……何しているの?」
「ご主人様の入学する高校、私も通わせていただくことになりました。今日から同じ学年ですね、よろしくお願いします。ご安心ください、雇用関係については学校で漏らすようなことはありません。守秘義務がありますので」
戸惑う僕に陽菜は一息でそう言って玄関の扉に手をかける。
「遅刻してしまいますので、そろそろ行きましょう」
こうして僕の高校生活がスタートした。
どうぞよろしくお願いします。