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陸 お客様をお招きしました

 

 

 

 どうしてこうなったのか。


 場の空気は、まさしくその一言であった。


「お客様。ようこそ、湯築屋へ」


 旅館の玄関に招き入れたお客様(・・・)に対して、九十九は笑顔で言った。

 後ろではシロが面白くなさそうにお客様を睨んでおり、仲居のコマが「まあまあ」と宥めている。


「ここ、は……?」


 当のお客様は不思議そうに、旅館の中を見回していた。

 雑に結った髪を掻き、居心地が悪そうだ。子供とも大人とも言えない顔で口をへの字に曲げて、シロを警戒するように見ている。


「さあ。お客様、お履き物を脱いで上がってください。お部屋にご案内しましょう」


 戸惑うお客様を導くように、九十九は行動を促した。

 お客様は擦り切れた草履を脱いで、素足で中へ入る。用意した部屋へと、子狐のコマが案内していく。


 湯築屋はシロの縄張りであり、住処。彼の城のようなものだ。

 けれども、温泉旅館でもあった。


 訪れたお客様に対して、シロは不干渉の掟がある。狼藉を働く客に対しては容赦ないが、客である以上は手出し無用。

 九十九がお客様であると宣言し、そして、それを拒まなかった時点で今目の前にいる男は「お客様」なのだ。


「害があってからでは、遅い。儂は、その者を客としては扱わぬ」

「結構です。手出しされなければ、文句は言いません」


 珍しく頑なな九十九に、シロが口を曲げる。


「そいつが九十九になにをしようとしていたか、わかっておるのか? 一歩遅ければ――」

「わかっていますよ。伊達に稲荷神の巫女などやっていません」


 九十九は巫女だ。

 神々のように神気を自在に操ったりすることは出来ないが、その力の恩恵を受けることは出来る。

 勿論、お客様(・・・)の正体はわかっていた。

 そして、その目的も。


「だったら」

「その上で、わたしはこの方をお客様として旅館に招き入れました。そうする必要があると思ったからです」


 九十九は譲らず、シロを睨みあげた。

 彼女に強い視線を向けられることが少ないせいか、シロが気圧されたように口を噤む。

 夫婦喧嘩は日常茶飯事だが、だいたいのことは九十九が折れてきた。

 しかしながら、こうやって強情な意思を示すときの九十九は粘り強い。余ほどの失敗を自分で認めない限りは絶対に折れないと言うことを、シロも知っていた。


「全く、お前たちは……彼奴(あやつ)が少しでも動けば容赦はせぬ」


 シロはそう言うと、自分の姿をスゥッと消した。

 いなくなったわけではない。霊体化して不可視の状態で、九十九の様子を傍で見ているつもりなのだ。姿は消えても、気配でわかる。

 要するに「やれるだけ、やってみろ」ということだ。


「お客様、お部屋は如何でしょうか」


 お客様である男を通したのは、桜の間。旅館の二階に位置しており、部屋の目の前まで桜の枝が伸びている。黄昏色の薄暗い空に、薄紅の雪がよく映えた。


「アンタ、どういうつもりだい? 俺が何なのか、わかってんだろ?」


 九十九が入室するなり、お客様は開口一番そう言った。

 けれども、九十九は笑顔を崩さない。美しい所作で畳に膝をつき、他のお客様と同じように玉露のお茶でおもてなしをする。


「わかっています。初めて見るタイプのお客様ですが」

「だったら……何故、俺に構う。こんなこと、意味もないのに」

「そうですね。強いて言えば、きっと運が悪かったのでしょう」


 九十九の物言いにお客様は首を傾げた。


「わたしを選んでしまったのは、お客様にとって運が悪いことだったと思います。こうしなくても、きっとシロ様に消されていた……そして、わたしはやはり、お客様に消えて頂こうと思っているのですから」


 スラスラと。淀みなく。九十九は自分の目的を告げた。

 お客様も「わかっている」と言いたげに、九十九から目を逸らす。


「……俺は堕神(おちがみ)だ。信仰を失い、神の名さえ忘れた存在。今はただ、存在が消えるのを待つだけさ」


 神は人々の信仰によって存在している。

 信仰と言っても、時代が移るごとにその形は変わりつつある。畏怖され、崇められることばかりが信仰ではない。

 神が名を失い、消滅するのは――人々の記憶から消えたとき。

 その名も、信仰の象徴も、なにもかも誰の記憶からも忘れ去られたとき、信仰は消える(・・・・・・)

 信仰を失った神は自らの名さえ思い出せないまま、朽ちるように消えていくのだ。


 それは人にとっての死と同義。


「名を失って尚、俺は現世に留まろうとした。あの稲荷神や他の連中から見れば、害悪以外の何者でもない。勿論、アンタたち人にとってもな」


 名を失くした神は、やがて消える。

 だが、少しずつではあるが、長らえる手段はあった。


 このお客様は桜の木を寄り代にして、訪れた人の魂を喰っていた。


 最近の新聞で花見客が急死したという記事はなかったはずなので、恐らく全て奪うことはせずに少しずつだろう。それでも、他の神々にとっては醜い行為であるし、魂を喰われた人間は気を乱しやすくなる。

 とても傲慢な行為だと評価出来た。

 そのような行為をしたとしても、持ってせいぜい数日しか繋ぎとめられないというのに。


「ここの温泉は淀んだ神気を癒す効能があります」

「……知ってるよ。この辺り一帯がそうだ。こんな宿に泊まるのは初めてだがね……俺にはもう名はないし、神でもなんでもない。わかってんだろ?」


「いいえ。お客様は、神様ですよ」


 お客様が目を見開いた。信じられないという表情で、九十九を見ている。

 九十九は唇に笑みを浮かべて、丁寧に頭を下げた。


「今はどうあれ、あなたはずっと人と関わって存在し続けた神様です。態度では示しませんが、湯築家の主たる稲荷神がお認めにならなければ、そもそもこの旅館の敷居を跨ぐことすら叶わないのです」


 霊体化したシロから睨みつけられた気がするが、見えていないのを良いことに九十九は完璧に無視した。

 お客様はしばし思案したあとに、大きな溜息をつく。


「わかった。湯に入れてくれ」


 お客様は観念したように呟いた。


 この温泉地の湯には疲弊した神気を癒す効果がある。現にそれが目的でシロは住みつき、この旅館には神様がいろんな土地から集まっているのだ。

 しかし、決して劇的な効果があるわけではない。

 名を失くした目の前のお客様が入浴したところで、ほとんど効果はないだろう。

 九十九も理解している。


 理解しているが。


「あと、これは頼み事だ」

「はい、なんでしょう」


 お客様が風呂へ入ろうと立ち上がりながら、九十九を見据える。


「アンタも一緒に入ってくれ」


 次の一瞬で、霊体化して見守っていたシロが実体に戻っていたので、九十九は必死に堪えるように言い聞かせた。

 

 

 

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