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伍 神様のお仕事をしましょう

 

 


 神様は、普段はなにをしているのか。

 無論、神様をしている。


「淀んでおる」


 歌うように美しい声で、一言。


 ブラックジーンズに白いシャツというシンプルな服を着こなす青年。

 陽の光を吸っても損なわれない深い黒髪が白い肌に落ちる様は艶やか。地味な装いだと言うのに、隠しきれない神秘を纏う姿を、ただ美しいと表現するには勿体ないように思えた。

 青年は広がる田畑を前に、長い睫毛のついた瞼を閉じた。


 その様子を離れた場所で九十九が眺めている。

 只今、稲荷神白夜命(いなりのかみびゃくやのみこと)――シロは神様のお仕事真っ最中。

 旅館の敷地内にいるときは和装だが、外出時はだいたいあのような格好だ。絹のような真っ白の長髪も、狐の耳や尻尾も隠してある。美形すぎるという問題点はあるが、完全に人間と同じ姿をしていると言えるだろう。

 しかし、身体は薄明るい神気の光に包まれており、力を使っているのだとわかる。普通の人間には見えないらしいが、九十九にはハッキリ見えた。湯築家に生まれた巫女故だろう。


 定期的な「巡回」のようなものらしい。

 稲荷神は豊穣と産業の神。

 シロは縄張りである地域の田畑をまわっては、その地に溜まった瘴気を取り除いている。


「近頃は人も『科学』を獲得しておる。多少放置したところで飢饉に苦しむなどということもないが」


 シロが閉じていた掌を開くと、黒い煙のようなものが上がる。

 土地に溜まっていた瘴気が浄化され、消えていくのだ。溜まりすぎると疫病や災害の元になるらしい。作物の収穫にも影響を及ぼすので、定期的に取り払った方が望ましい。


「じゃあ、放っておいても良いんじゃないですか?」


 九十九は素直に疑問を口にした。

 だが、シロは少し悩んだあとに腕を組む。


「別に良いのだがなぁ。昔のように害虫も害獣も、人は自ら退ける術を持つ。土地が痩せれば肥料を撒くし、休ませるという知恵も得ておる。野菜一つにしても立派なものだ。些末なものなど気にせず放任しておる神も、そこそこ多い。神が人に知恵と力を授ける時代は終わったのだ。地道に出向いたところで、今の世では儂を心より信仰する者なぞおらぬしな。所謂、サービスという奴だ」

「お祭りとか、あるじゃないですか。稲荷神社のは、シロ様も対象でしょ?」

「ただ遊びたいだけだろう? 来たら来たで管轄外の受験やら、家内安全やらを願われる始末。儂は万能神ではないぞ」

「……尚更、なんでお仕事するかわかりません。こっちはサボッて良いなら、もっと旅館の手伝いもしてくださいよ」


 どうでもいい仕事(サービス)は真面目にやって、自分の住処である旅館の仕事はサボりがち。油揚げ食べながらテレビを見ている姿を見る機会の方が多いせいか、シロの行為が九十九にはそこまで良くは映らない。


「溜まりすぎれば、いずれは天災にも繋がる。災いは神を怒らせたときに起こるとは限らない。怠慢でも招く可能性はある。まあ、それも数十年単位での話ではあるが……有体に言えば、自己満足のようなものだ。気にするな」


 誤魔化された。

 あまり言いたくない理由でもあるのだろうか。九十九は疑問に思いつつも深くは追求しないようにした。


「不満のようだな」

「……別に」


 心の片隅で「夫婦(めおと)なのに」と思ってしまったのが伝わったのだろうか。

 普段、夫婦らしい行為を拒んで怒るくせに、こういうときは虫が良いと自分でも思ってしまった。


 物心ついたときから九十九はシロの妻であり、供物だ。

 あまり実感がなく、「家に住んでいる不思議なお兄さん」くらいにしか思っていなかったし、自分が成長してからも、その感覚は変わらない。好きか嫌いかと言われると好きであると思うが、恋や愛かと聞かれると、首を傾げてしまう。

 別に学校で他に好きな男子を作ったこともないが……故に、余計にわからない部分が多い。


「シロ様って、ちょっと隠しごとがチラホラあるなーって……思っただけです」

「隠しごとか。否定はせぬが、聞いてどうする?」


 やっぱり、隠してるんだ。

 落胆しながらも、確かに、内容を聞いて九十九がどうするかと問われると、その先の言葉はなかった。こういうのは、ズルい。


「それより、九十九。彼方(あっち)に屋台が出ているらしい。寄って帰ろう」


 九十九の機嫌を取ろうとしているのか、それとも、九十九の気など知らないのか。シロは満面の笑みを浮かべて九十九の手を引く。

 戸惑いながらも、九十九はシロに連れられて歩いた。


 どこからか、桜の花弁が飛んでくる。

 春の田園に沿って植えられた桜の木。

 桜は季節の移ろいをよく示す。

 春は美しい花を咲かせ、夏は生命力溢れる緑の葉を茂らせる。秋は華やかに紅葉(こうよう)し、冬は春に向けて蕾をつける。そして、廻る。

 四季のある日本で愛され続ける木。


「あまり魅入らぬことだ」

「え?」


 ぼんやりと眺めていると、シロがそんなことを言う。

 九十九は首を傾げたが、それ以上の言葉はなかった。だが、黒髪の落ちる白い顔に表情はなく、シロはあまり機嫌が良くないということが感じ取れる。


「シロ様は桜が嫌いなんですか?」

「そうさな。嫁の心が移ろうのではないかと心配になるだけだ」

「桜に浮気なんてしませんよ?」

「まあ、良い。忘れよ……ここで待っておれ。九十九が好きな東京ケーキを買ってきてやる」


 土手まで出た辺りでシロが言いながら、ベンチを指差した。

 花見シーズンなので、土手には花見客が多い。それを見越して、屋台が多く立ち並ぶのだ。

 因みに、東京ケーキはいわゆるベビーカステラのことである。一応は地元屋台の名物商品なのだが、普通のベビーカステラと変わらない。どこが「東京」なのかも、謎の代物である。

 最近は素直に「ベビーカステラ」という看板を出す店も増えた。


 どことなく嬉しそうに屋台へ向かうシロの姿を目で追いながら、九十九はベンチに腰かける。


 ハラリ、ハラリ。


 桜の花弁がいくつも目の前を落ちていった。

 風が吹くと戯れるように、円を描くように舞う。


「アンタ、桜が好きかい?」


 いつの間にか、ベンチの隣にもう一人。


「え?」


 男が一人腰かけていた。

 青みがかった黒髪に桜が落ちる。雑に結ばれた長髪を一振りして、男はベンチで胡坐(あぐら)をかいた。肌蹴た着流しの隙間からは白い肌と、見事な桜の刺青が覗いている。やや小柄で、顔つきは少年とも青年とも言えない。


 直感でわかった。

 これは人ではない。


 シロと同じ神か、(あやかし)の類である。

 しかし、この気配は――。


「どういう意味でしょうか?」


 旅館の客以外で、このような存在と対峙するのは初めてであった。

 九十九は緊張しながら、言葉を選んで声を発した。


「好きかい?」


 男はもう一度、同じ言葉を繰り返す。

 そして、笑いながら天を指差した。

 九十九は男が指差すままに上を仰ぐ。しかしながら、そこには薄紅色の花の景色が広がるばかり。


「あなたは――」


「九十九、動くな」


 瞬間、景色が揺らぐ。

 晴天であった空は一瞬にして、薄暗い藍の黄昏へ。舞っていた桜の花弁は、まるで一時停止ボタンを押したように動きを止める。桜の下で酒を飲み交わしていた人々の姿は消え、ただただ静寂の空間へと変貌した。


 シロの結界であると気づき、九十九は振り返った。


「其れは、害悪だ」


 人間の擬態が解け、シロの絹束のような白髪が広がる。琥珀色の瞳には火が宿ったように朱が燃え、身体から溢れんばかりの神気が蒼い光となっていた。

 シロの姿を見て、隣で座っていた男がヒュゥッと口笛を吹く。


「こりゃあ、驚いた。稲荷神如きが大層な結界を……いや、これは稲荷なんかじゃ――」

「黙れ。良いか、よく聞くがいい。其れは我が巫女であり、我が妻。貴様のような堕神(・・)が触れても良いものではない」


 シロは言いながら左手を前に出し、右手を引く。すると、一瞬にして神気が凝縮して光の弓矢が現れる。

 九十九が言葉を発する間もなく、矢が放たれた。


「堕ちて神の名さえ失った亡霊が。巫女の甘い神気に釣られて出てきたか?」


 放たれた矢がベンチに直撃する。

 衝撃はなかったが、木製のベンチの半分が綺麗に抉れたように消失しているのを見て、九十九は声も出なかった。


「はんっ。であれば、最早亡霊に神の法度など関係ないだろうさ」


 頭上を見上げると、先ほどの男が桜の枝に飛び移っていた。いったい、いつの間に移動したのか、九十九にはわからない。


 九十九は混乱しながらも、ベンチから立ち上がる。シロは相変わらず殺気立った神気を放っているし、謎の男は好戦的な笑みでシロを見下ろしていた。

 どう考えても、九十九の入っていける隙はない。


「ここは俺の縄張りだ。入って来た餌を喰らうのは当然だろう?」

「縄張りなどと。ただ寄り代としていただけであろうに。良い、儂が止めを刺してやろう」

「へえ……まさか、こんな僻地で天地の光にお目にかかれるとはね」


 シロが腕を振ると、神気が結集して一振りの刀となった。


「ストップ! ストップです、シロ様! やめてください!」


 下手に動けば巻き添えをくらう。

 それなのに、九十九は殺意で満ち溢れたシロの目の前に飛び出していた。

 唐突に割って入った九十九を見て、シロは驚きと困惑の表情を浮かべる。


「九十九、なにを――」

「だって、この人……その……」


 圧倒的な威圧感を放つシロに、九十九は語尾の音量が下がっていく。

 だが、ここで引き下がってはいけない気がした。

 九十九はグッと腹に力を入れて叫ぶ。


「この人は、湯築屋のお客様です!」


 言った瞬間に、シロが怪訝そうに眉を寄せる。

 桜の木に登った男の方も、不思議そうに首を傾げていた。

 

 

 

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