1996春-11
俺はバカラのテーブルを離れて、靖彦にもらった端(はした)のコインを手持無沙汰にスロットマシンに放り込んで遊んでいた。
ラインの図柄はなかなか揃わなかった。俺には博打の才能が無いのはわかっていた。千種中の仲間と麻雀や花札をやっていた頃から滅多に勝てなかったのだから。
まあそのおかげでパチンコにも嵌らなかったし、この部屋の熱気にも染まることが無い。
頬に冷たいグラスがピタッと押し付けられて、驚いて振り返ると霜の付いたシャンパンのグラスを持った生島が立っていた。
「こんなとこまでご主人様に付いてきてるのか」
そのグラスを俺に渡してくれながら、生島が意地悪そうにバカラテーブルの靖彦を見返った。
「加納さんがこぼしてたぞ。黒沢に結構な見舞金をふんだくられたってな」
部下をボコボコにしてやった後、黒沢は直接俺に何も言ってこなかったが、加納が後始末をしてくれたらしい。
「ここは生島さんの店なのか」
「いや高遠の系列だ」
生島の言ったのは、全国規模のヤクザの名だった。
「警察の摘発が入りそうになれば、店はそっくり他に移る」
その視線はまだ動かず、テーブルの中央でカードを手にしている靖彦を嘲るように見ていた。
「見ろ。また負けが込んでるぞ。今夜はいくら損したんだか」
「凄い金が動くんだな」
「なんだ、田舎もんはこんな程度で驚いてるのか。マカオやラスベガスに行けば、賭ける金の単位は一ケタ違うぞ。億なんてあっという間だ。
御曹司はマカオのカジノでも上客なんだよ。お前もそのうち連れてってもらえ。肉のこびりついた骨でも投げてもらえるかもな」
生島は空いたグラスを取り返すと、笑い声を立てながら離れて行った。
――億の金。
靖彦がいくら稼いでいるか知らないが、この湯水のように散財している金が会社から支給される額だけで足りるはずはない。
憑かれたようにバカラにのめりこんでいる靖彦は、日ごろの物憂い様子など忘れたように喜々として精彩を帯びていた。うっとりと陶酔した目。
思い出した――
昔、俺は同じ目をずっと見てきた。止めることもできずに、ただ見ていた――シンナーに溺れこんでいった・・・・キキ。
ヤクザにもなれない半端者の親父を持った貧乏でシンナー中毒のキキ――中学も卒業できずに屋上から落ちていったキキと、指折りの資産家の御曹司で東大出の靖彦を並べることなどありえないはずだった。
胸の奥底がチリチリと痛むだけで、俺はきっとまた何も止めるすべを見つけることができないのだろう。
※ ※ ※
靖彦がマカオのカジノへ出かけて行くのは、珍しいことではなかったようだ。
俺にも一緒に行くかと誘ってきたが、
「海外に行くにはパスポートが要るんだろ?俺、持ってないヮ」
信じられないことを聞かされた時の靖彦の反応はいつも同じだった。それでなくても大きな目をさらに大きく目を見開き、呆れ果てたように首を振る。
「海外へ出たこと無いのか?生まれてから一度も?」
「行く必要もねーし」
行きたいと思ったことも無い。俺の世界は、あの中学校の学区だけで閉じている。
「僕が帰ってくるまでにパスポート取っておきなよ。次には一緒に連れて行ってあげるから」
――いい子で留守番しておいで。
犬の子にするように俺の頭を撫でる。




