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シャングリ=ラ・ら・ら・・・  作者: 春海 玲
第六章 東京Ⅰ
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1996春-8

その話は、小さい頃繰り返し聞かされた母親のおとぎ噺を俺に思い出させた――王子様は18歳になったら必ず迎えに来るからと約束したのよ。

誰にも話したことのないそれを、酔いに任せて靖彦の前で口にしてしまった。


「俺の母さんは15で引き離されたヤクザで在日で中卒の親父を待ってた。18になったら迎えにくるって言葉だけを頼りに待ってたんだ」

「迎えに来たの?」

靖彦が身を乗り出してきた。下層階級にもファム・ファタールが存在する奇跡があるのかと信じられない思いでいるに違いなかった。

「迎えに来たから、俺が生まれてるんだろ」

笑ってその続きは話さなかった。おとぎ噺の結末の後の母さんは幸せではなかった。


「そうか、博之のお父さんにとってはお母さんがファム・ファタールだったんだなぁ。だから頑張って成り上がってきたんだね」

靖彦の感嘆に嘘はなかったが、所詮王座から臣民を睥睨する響きが消えたわけではなかった。



「うちは父親に他に好きな女がいたんだけど、一族に許してもらえなかった。家柄の釣り合った僕の母親と見合いで結婚した後も、その相手と関係を続けて娘ももうけた。

母親は認知もさせなかったけど、できのいい子でね、現役で東大に入った。だから、僕は母親のためにも東大を目指すしかなかったんだ」


「じゃあ、そっちの愛人が親父さんのファムなんとかか」

「そうでもないんだ。父親が死んだ後、愛人がぞろぞろ出てきたからね。みんな遺産のおこぼれ狙いだったよ」

王侯には王侯の悩みがあるらしい。酔った靖彦は自分の親を冷めた口調で語った。


「僕の母親は何より三つ葉の財産が魅力的だったんだろうね。僕が一族の後継者にふさわしい人間であることをことごとく認めさせたい人だから、今の真壁社長の仕打ちが腹に据えかねてて何としても引きずりおろそうと色々画策してるみたいだ」

「どこの母親もろくなもんじゃねぇな」


俺の母さんも、カイの美佐ちゃんも――ろくなもんじゃない。


「自分の居場所ぐらい自分で取り戻せよ、男なら」

自分のことを棚に上げてそう言ってやらずにはいられないほど、靖彦は索漠とした諦めの表情をしていた。



VIPルームのドアがノックされて黒服が顔を覗かせた。

「柘植様にごあいさつしたいと黒沢様がお見えですが――」


返事も待たずに、黒服を押しのけて三人の男が部屋に入り込んできた。

先頭の男は黒いスーツを着ていたが、後ろの二人はホストのような派手でじゃらじゃらのアクセサリにまみれていた。


「うるさいな。なんだよ、こんな場所まで押しかけてきて」

靖彦は露骨に顔を顰めたが、男はいかつい顔をできる限りの笑顔で挨拶してきた。

「柘植さん、最近はちっとも店にいらしていただけないんで女の子みんなさびしがってるんですよ。なんか、他にお気に入りができたんじゃないかってね」

ちらりと俺を見る目に力が入っていた。


金払いの良い靖彦は何処へ行っても大歓迎の上客だろう。

それが最近バックが怪しげな若造が取り入って連れ回していると聞けば、心穏やかでない店も出てくるのは当然だ。

「最近、面白いゲームが入ってきましてね。柘植さんのお好きそうなものですよ」

男が懐から何かのパンフを取り出して靖彦に説明し始めると、後ろの二人が俺の傍らに寄ってきた。

二人とも襟から覗く首の横に下手くそな蜘蛛のタトゥーが見えた。


「俺たちはお邪魔みたいだから、下でちょっと一杯飲みませんか」

年齢は俺とそう変わらないくらいだろう。声をかけてきた方は腕に自信がありそうで、俺をねめつけてきた目はもっと顔をくっつけてくれば昔懐かしいメンチを切るというやつだ。


こみ上げてくる笑いをかみ殺して立ち上がり、上着を脱いでソファの背にかけた。せっかく靖彦が誂えてくれた高価なスーツだ。破いてはテーラーにも申し訳が立たない。



VIPルームを出て階段を下りる前に、「トイレに寄っていいですか」

そう聞いた俺に二人はにんまりして頷いた。これ幸いにいたぶってやろうという企みが見え透いていた。


洗面所のドアを閉めた途端に、二人が飛びかかってきた。こっちも待ち構えていたから、一人は顎を殴って一発で仕留めた。

もう一人はさすがに喧嘩馴れしている様子で、飛び退ると油断なく身構えた。そいつの左手の指にいくつもはめられているごつい指輪が決してアクセサリーでなく凶器だというのは、繰り出すサウスポーの拳でわかった。


狭い場所で足技を蹴りだす隙を狙いながら、凶暴なまでの興奮が俺の全身を掴んでいた。喧嘩をするのはずいぶん久しぶりだったが、身体は覚えている。


わざと誘いの隙を見せて突っ込んできたところを膝で相手の腹を突き上げ、組んだ両手の拳で力任せに床へ叩き落とした。呻き声をあげる背中を踏みにじり、脇腹を蹴りつける。

狂気の入り混じったような喜びが全身を巡って、ワインより深く俺を酔わせる。

ずっと忘れていた、生きているという実感がそこにあった。






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