1996春-7
生島が俺に興味を示したのが面白くなかったのか、靖彦は何かと理由をつけて俺を外へ連れ出すようになった。
贔屓の銀座の老舗で俺の服を仕立てさせ、それにネクタイと靴もコーディネートして俺に身に着けさせると、評判のレストランやバーへも連れ回すようになった。
昔、学ランを買うのにさんざん口出しされたダブルを思い出して、俺は靖彦の買い与える服を大人しく身に着けることにさしての抵抗も覚えなかった。
有名テーラーの格式、イギリス産生地の品質、靴のブランドの歴史。ワインや料理の薀蓄と一緒に靖彦が熱心に語るそれらは、学校の授業と同じで俺の耳を通り過ぎるだけだった。
それでも俺が席もたたずにいるのは、話し続ける靖彦の顔を見ていたかったからだろうか――カイに似た薄い唇の口許・・・
「――聞いてるのか、博之」
苛ついた靖彦の声に浮遊していた心が、はっとその場に戻ってきた。
その夜の最後に立ち寄ったバーのVip ルーム。テーブルの上に合ったワインのグラスを掴んでガブリと飲み干した。
「ああ・・・・マルゴーをそんな風に扱うなよ・・・」
溜息をつきながら、靖彦は自分のグラスを愛しそうに撫でている。
「どうせ俺にはワインの良しあしなんてわからないさ。酒なんて一緒だ――純トロに較べりゃな」
シンナーを付け加えた自分に笑いが洩れたが、靖彦は意味が分からないまま、大きく肩をすくめただけだった。
「味覚は育ちの環境で養われるものだからね」
靖彦にしては珍しく直截的な皮肉を俺に向けてくる。今夜は会った時から、苛ついて機嫌が悪いのはわかっていた。
ワインの瓶が空に近づくにつれ、靖彦の愚痴も増えていく。
「いくら親の地位や財産が有る名家のお嬢様だってブスはお断りだな~」
「また見合いしたのか」
30を過ぎた靖彦には母親がせっついて度々見合い話が持ち込まれているのは聞いていた。今度の相手は大臣経験のある政治家の孫娘だったらしい。
「それがブスのくせにハーバード出てるって生意気な女でね。ブスのくせに僕にあれこれ質問攻めにするんだ。世界情勢だの日本経済だの。あれは自分がいずれ政界に打って出るつもりで僕を財布代わりにする気だろう、ブスのくせに」
まあ、そのブスな女が靖彦よりはるかに頭がよさそうだというのは俺にだってよくわかった。東大を出ているというのに、靖彦は異様に学歴に拘る人間だった。
そう言えば、東大に入った遊佐は無事に卒業したのだろうか。俺も東京の大学に行くと聞いても、連絡先さえ教えてこなかった。三流大学の友達がいるのを知られたくなかったんだろう。
俺が思い出し笑いをしていると、酔った靖彦は機嫌よく自分も笑った。
その夜の靖彦は饒舌だった。
「僕はね、その言葉を初めて知った子供の頃から、いつか自分のファム・ファタールを見つけられたらいいなと思ってた・・・」
いつもより酔いが深いのだろう。靖彦の目は夢を見るようにうっとりと細められて俺を見て笑った。
「そのファントムなんとかって何だ」
「君はホントにものを知らないね。ファム・ファタールは男にとっての『運命の女』って意味だよ。赤い糸で結ばれたなんてものじゃなくて、身を滅ぼすことになっても離れられない運命の相手のことを言うんだ」
そう言いながら、溜め息はますます深くなる。
「まあ、結婚は見合いで決めるしかないだろうけどね。父も祖父も親戚一同みんな見合い結婚だものなぁ・・・・地位と財産を守るためだけの結婚。愛情なんか、余所(よそ)で見つければいい。
ああ、慎おじさんは反対を押し切って普通の娘と駆け落ちしたせいで一族の縁を切られた。
僕は子供心に慎おじさんはファム・ファタールを見つけたと感激したんだけど、二年もしないで離婚して戻ってきたのはお笑い草だったよね」




