1996春-4
「俺の行ってた高校の入試は名前が書けて、アルファベットが二個合えば合格だったよ。一年で1/3が辞めていき、卒業する時には半分も残っていなかった」
煙草の煙を吐きながら挑発する俺を、靖彦は薄汚い珍種の虫でも見つけたようなおぞましい目つきで見た。
「そんなので、いくら三流大学でもよく入れたもんだね」 口の利き方がいちいち気障だった。
「親父が金を積んで裏口入学だよ。あんたの親父は塾とか家庭教師に金を払ったんだろ。俺の親父は裏口に金を払った。
で、東大出のあんたも、三流大の裏口入学の俺も、今は同じテーブルで、同じ酒を飲んでるじゃないか。
あんたのご立派な半生も、たいしたもんでもないな」
靖彦にはぬけぬけとした俺の言葉がショックだったのだろう。それがありありと顔に出ていた。
その夜、ワインが二本空になる頃には、俺は靖彦が気取ったお坊ちゃんだがそれほど悪い奴ではないと思うようになったし、靖彦は俺が馬鹿で粗野だがそれほど悪い奴ではないと思うようになったらしい。
翌日俺は慣れないワインの二日酔いで昼過ぎまで起きられなくて、高田のおっさんが早速給料の引き算をしているかと思うと、何もかもアホらしくなって会社を休んだ。
そして、そのままずるずる会社へ行かなくなった。
※ ※ ※
大学を卒業後は仕送りは無くなっていたし、勿論貯金なんてものもなかった。
三日もしないで財布の中の一万二千円を使い果たすと一文無しになった。
東京の一等地にいくつもビルを所有しているはずの俺が、明日食べる金もなくなった。
高田のおっさんが一ヶ月勤めた分の給与を(遅刻分を差し引いて)口座に入金してくれてあったが、光熱費や携帯電話料金などでたちまち底をついた。
住んでいた1LDKのマンションは会社名義でもともと家賃を払う必要が無いのだけが助かった。
加納に言えば金を借りられただろうが、あいつとしがらみで縛られるのはいろいろ面倒が起りそうで気が進まなかった。
手っ取り早く金になる仕事を探すか、地元に帰るか、俺には二択しか残っていなかったが、とりあえず【アレキサンドライト】へ行けば飯が喰えた――加納の付けでだが、借金とは違うと都合よく自分に言い聞かせていた。
そして、そこで俺はいくらでも金の出てくる財布を見つけた。
俺が仕事を辞めて田舎へ帰らなくちゃならないとこぼしただけで、靖彦は金を貸してくれた。いつ返せとも言わずにポンと50万くれた。
最初は後ろめたかったが、すぐに慣れた。
俺は店の女の子たちより靖彦のお気に入りになって、周囲の取り巻き連中のやっかみの的になったが、面と向かって誰も嫌味を言って来れないのは俺の素性が知れ渡っていたからだろう。
俺は、靖彦が欲しいのはちょっと物珍しい犬だと思っていた。
見かけが獰猛だが、自分にだけは忠実な闘犬(ピットブル)。
傍らに連れて歩き、場違いな犬を驚きの目で見る周りの反応を楽しんでいるのだ。
豪華な首輪を買ってやり、優しげな手で撫でてやっていればすっかり懐いて、自分が噛まれることなど微塵も疑いもしない。
たまに尻尾の先でも振ってやれば、大喜びする間抜けな飼い主。
だが、実際には裏で俺は犬よりもっとひどい嘲笑を浴びせられていたのを、気づいていなかった。




