1986春-5
広い敷地をぐるりと高い塀で囲んだ俺の家は周囲の住宅とは明らかに異質の雰囲気を漂わせている。
俺が降りた後も、パッジョグに跨ったままカイはその威容を黙って見上げていた。
近くの電柱の背後から、黒い影が四つ走り寄ってきて俺を取り囲んだ。
バタとそら、ハガとトラの四人だった。
「やっぱ無事だったんスね、よかったぁ」
「ヒロさんがマッポ|(警察)に捕まるなんてないですよね」
ハガとトラは俺の無事な姿にただ悦んでいるが、バタは無言でカイを睨みつけている。
「他に捕まった奴はいないか」
「大丈夫。キキはケータとダブルが引っ張って行った。センコーも自分でマッポ呼んだくせに、みんな逃げちゃったからぺこぺこしてたらしい」
そらがけけっと笑ったが、カイがぐいっとスロットルをふかした音にみんなさっと緊張の色を走らせた。
「俺、帰る」
止める隙も与えず、パッジョグは飛び出すように走り去っていった。
闇の中に遠ざかっていく赤い小さなライトをバタは執拗に見送っていた。
「ヒロさん、香西中の頭と仲良くなったんだ?」
「足を捻って走れそうもなかったから拾ってくれただけだ」
ちょっと格好悪かったが、正直に言った。
「へぇ、結構いい奴じゃん」
強いものが好きなハガの好意的な言葉に、
「あいつが?いい奴?」
ライトの消えて行った闇の奥を見据えたまま、バタの低い声がそれに覆い被さるように響いた。
みんなと別れてから門扉の鍵を開け、俺は足を引きずりながら家の中に入っていった。
この家に引っ越してきたのは6年ぐらい前になる。それまでは町中の繁華街に住んでいた。親父の組の事務所もすぐ近くにあり、遊び場も多くてガキには楽しい毎日だった。
だから、ろくな店もないこんな田舎の住宅地に引っ越しさせられた時にはずいぶん文句を言ったもんだ。
その頃、親父は若頭を務めていた伊勢組の組長が死に、その後、自分の首藤組を独立させた。
そのためのゴタゴタがあって、危険を避けるために俺とかあさんを町中から離れたこの家に移したと聞かされたが、小学三年だった俺はめったに会えなくなった親父に捨てられたような気がした。
また足首の痛みがずきずきとぶり返していた。それだけでなく脇腹も顎も背中も痛む。
カイの蹴りで受けた打撃は強烈で、あの時裾を踏んでひっくり返らなかったら、そのままやられて俺の負けが確定していたかもしれない。
それで破れた学ランを思い出した。
片袖をどこかに落としてきたからもう修理は無理だろう。ショーヤに気づかれる前に処分してしまおうと台所の方へ廊下を歩きかけた時、その当人が目の前に立っていた。
ショーヤは俺の惨憺たる有様を眺め、一瞬でそれが昔の自分の学ランだと見抜いた目をしていた。
だが、それには触れずに、「後で離れに来い」とだけ言った。
台所から出てきたかなえさんが山盛りのおにぎりの載った皿をショーヤに手渡した。
それで、離れにショーヤの仲間が来ているのがわかって、一層気が重くなる。
かなえさんは俺を頭からつま先まで見下ろしてから、表情も変えずにいつもと同じことを言った。
「とにかく風呂へ入って、そのドロドロを落としておいで。そんな格好を志穂さんに見せないでよ」
風呂から上がってジャージの上下に着替えると、残っていたおにぎりをぱくつく俺の傷の手当てをかなえさんが手際よくやってくれる。
ショーヤの母親だから、こんな程度の傷は慣れたものだ。
香苗さんと照也の親子に初めて会ったのは、この家に越してきてしばらくしてからだった。
「お父さんのお友だちの南條さんの奥さんと息子さん。今日から一緒に暮らすのよ。照也君はヒロちゃんのお兄さんになってくれるわね」
かあさんがそう言って紹介してくれてから、二人は庭に建てた別棟の離れで暮らし始め、かなえさんは家の一切を取り仕切り、ショーヤは俺の兄貴になった。
その時の俺は9歳の小学校3年生で何にも知らないチビだったが、6年生のショーヤはもう何もかも知っていた。
ショーヤの父親は俺の親父の右腕の首藤組の若頭で収監中の刑務所の中で病死したこと、その父親と俺の親父とかなえさんの三人は中学で同級だったこと。
それからずっと後になって、俺のかあさんも同じ中学だったと知った。
「ショーヤのとこに行くんだろ」
俺の顔の傷がどうやってもごまかせないのに溜息をつき、かなえさんが大きな救急箱の蓋を締めながら言った。
「その前に志穂さんに顔見せておいで。あんたが帰るまで寝ないんだから」
「・・・・・また熱でたのか?」
俺がしかめ面をしたのがわかったんだろう。バシッと頭を叩かれた。
手荒でもかなえさんと喋ってる方が気が楽だ。
かあさんの前に出るときは、いつもたくさんの仮面をかぶらなくちゃならない気がするから。