1986初夏-3
衣替えは6月1日からだったが、俺の仲間たちは5月半ばから勝手に夏服へ着替えて登校していた。
白いシャツの裾はズボンの中にインするから、それまで上着に隠されていたズボンが俄然クローズアップされることになる。
制服では禁止されているズボンのタックや、後ろポケットの雨蓋が露わになって、嫌でも変形が強調される。
オレンジの蛍光色のビスボタン、白のエナメルの細いベルトもびしっと決めて、シャツの両袖を肩まで捲り上げるのが、俺たちの間の流行(はやり)だった。
黒服の群れの中で、俺たちの白さがひときわ目立つのが束の間の快感。
ダブルは一人だけ開襟シャツを着てきて、仲間のガキっぷりに軽蔑したような目つきを投げてきた。
だが、5月の末に冬服に戻らなければならない日が来た。
奈良・京都・神戸 三泊四日の修学旅行だ。
三年の学年主任である担任の川端が俺を教室で呼び止めたのは、修学旅行の一週間前だった。
「首藤君。今、香西中ともめてることは無いだろうね」
いつも気弱で、俺らからできるだけ視線を合わせないでいる担任だが、今日はのっぴきならない決意が見える。
「特にもめてるつもりはないけど」
「じゃあ、いいんだが。修学旅行の新幹線が香西中と相乗りになったから仲良くやってもらいたいと思ってる」
カイの通う香西中は古い団地が学区で、子供の数が減少しているせいで中三は4クラスしかない。急激な人口増加で9クラスもある俺らの学校と同日出発、コースは少し違ったが、三日目の京都での自由行動の日程は同じになった。
ちなみに二年前には南野中と新幹線が一緒で、一触即発の中、先生らが身体を張って車両間のドアを死守したらしい。
京都での自由行動の日にカイたちと待ち合わせようと相談してある。新幹線も一緒なら行きから遊べるかと思ったが、車両間の移動禁止を申し渡された。
「制服もね、きちんと標準を着てきてもらいたいんだ。中央駅で集合だけど、新幹線に乗る前に持ち物検査もやるから。
煙草や武器になるようなものはだめだからね。没収で済むだけじゃなくて、連れて行けない場合もある。みんなによく言い聞かせておいてくれないか」
「なんで俺に言うんだよ。先生がみんなに念を押せよ」
俺も意地が悪いことを言ったが、旅行の班決めで俺たちを一人ずつバラバラに別の班に押し込んだ恨みは忘れていない。まあ、そんなのは後でどうともなるが。
「みんな、首藤君の言うことの方を聞くんじゃないかな」
持ち上げるように卑屈に笑ってみせて、川端はそそくさと席を立った。
ドアを開けた途端、廊下に並ぶ顔ぶれにぎくりとして硬直したが、そのまま逃げるように消えて行った。
「川端の野郎、なんだって?ヒロさん」バタが眉間に皺を寄せて近寄ってきた。
「修学旅行は標準着て来いってさ」
「何言ってんだろうね~修学旅行こそ、他のガッコの奴らに舐められないように気合入れて行かなきゃ」
ダブルがあきれたように、そらと声をそろえて笑った
「新幹線乗る前に、荷物検査やるってョ」
「わぉ、コンドームの箱どこに隠しておくべ」
本気で使うつもりがあるのか、ケータはおどけている。こいつの頭の中にあるのは女の子のことだけだ。
「タバコはあっちで手に入れればいいけど――キキ」
みんなはそれなりに対処できるだろうが、俺の心配はこいつにあった。廊下の窓からぼんやり外を見ているキキを呼ぶ。
「シンナーは持ってくるなよ。一発で置いてかれるぞ」
「――わかってるよ、ヒロちゃん」
真っ黒になった前歯を覗かせて、キキはにたっと笑いながら頷いた。
本当に分かったのか、キキはまた鼻歌を歌いながら外に視線を向けた。
「ら、ら、ら~ シャングリ=ラ~・・・・ いつか行きたいシャングリ=ラ・ら・ら・ら~」
調子はずれの同じフレーズを、キキは飽きずにいつまでも繰り返していた。
※ ※ ※
キキは俺が小学校三年でこっちへ越してきて、初めてできた友達だった。
それまで住んでいた中央駅近くの町中から5キロ離れただけの地区だったから、俺の親父がヤクザの組長だということはすぐに知れ渡り、俺と遊ぶなと親に言われたのか、新しいクラスメートは俺を遠巻きに無視していた。
「――ヒロちゃん」
キキだけが人懐こく声をかけてきた。
キキの親父も中途半端なヤクザものだったせいもあって、俺たちはすぐ一緒に遊ぶようになり、四年生になると二人揃って少年サッカーのクラブに入った。
キキは俺より足が速くて俺よりセンスのいいMFだった。
ケンカばかりしてクラブの出入りを毎回禁じられる俺を心配して、コーチに何度も頭を下げて頼んでくれた。
そして、六年生になって母親が家を出た頃からシンナーを吸い始め――キキはサッカーの練習に来なくなった。
キキの親父がシンナーを吸っていたから、あいつの家にはいくらでもシンナーがあった。
中学に入るころには完全に中毒になっていた。
当時の不良(ワル)は手軽に手に入り、値段も手頃なシンナーを吸うやつは多かったが、キキは度を越していた。
俺は口先では「止めろ」と何度も言ったが、キキがもう引き返せない限界を超えてしまっていることに、気づかないふりをしていた。
キキも俺も、自分たちがどうしたらいいのかわからない、無知で愚かなガキだった。




