1986春-16
思い返すと、俺は中学へ入学した時から特別扱いだったと思う。
親父の看板というより、前年度に卒業したショーヤの威光がまだ残っていて、当時の三年はどんなに俺が生意気でも手を出さなかった。
三年に兄貴のマリンさんがいた「そら」でさえ、ボンタンのワタリ(幅)が広いからと呼び出されてボコられたのに。
一年の間では最も名の知られていたバタが俺を敵視したのは無理のないことだった。ある日とうとうぶつかって、タイマンで戦うことになった。
上級生は囃したてるだけで、一年同士の争いには口を出さない。
俺はショーヤに喧嘩のやり方を仕込まれていたから自信があったが、バタは力も強いし、スタミナもあった。正攻法で強い奴だったが、俺はショーヤ直伝の卑怯な手もいっぱい知っていた。
その時は辛うじて俺が勝ち、頼んだわけでもないのにバタは俺の下についた。
そういう潔いところと頑固なところがあったが、味方に頼むにはこれほど頼りになる奴はなかった。
当時の三年は荒れていて、学校中の窓ガラスが割られて、冬の最中に震えながら授業を受ける羽目になったり、校舎中が消火器の泡で真っ白になっていたこともあった。
火災報知機はしょっちゅう鳴りまくり、タバコでトイレがボヤ騒ぎを起こしたことが何度もあった。
その代が卒業すると、次の三年は微妙にヘタレで、二年になった俺たちがやんちゃしても強くは言ってこなかった。俺たちも表立っては上級生に逆らう態度は見せなかったが、他校との揉め事には俺たち二年を駆りだすので、周辺でも千種の三年はシャバイと嘲笑されていたはずだ。
なにはともあれ、俺たちの代になった。頭を押さえていた煩い上級生はいなくなったから、思い通りに振る舞える気分は最高だった。
俺たちの代の伝説を作る――その思いはどこの中学の新三年生の不良(ワル)も同じ思いだったろう。
香西中のカイのように、他校に一人で乗り込んで頭を倒すというほど過激でなくても、自分たちの縄張りから他校の生徒を排除し、周辺の勢力図を拡大する意欲は満々だった。
※ ※ ※
あんまりぶらぶら歩いたので、始業式の集会はとっくに終わってみんな教室に入っていた。
「早く自分の教室に入りなさい」
校門のところで見張っていた先生がクラス分けのプリントを手渡して、急いで姿を消した。
三年生は9クラスあり、俺たちのグループは見事にバラバラに振り分けられていた。
「あとで屋上へ集合な」
とりあえずクラスの顔ぶれを確かめておこうとそれぞれ自分が指定されたクラスへ向かう。
新校舎は一、二年生が入り、俺たち三年が旧校舎の一、二階を使うことになっていた。
三年九組は二階の端で、俺が入っていくとちょうどH・Rの席決めの最中だった。全員の顔が一斉に俺に注目する中で、最後列の窓側の席に向かう。
「――俺、ここがいいヮ」
席に座っていた奴の椅子を蹴ると、慌てて立ち上がって快く席を譲ってくれた。
「しゅ・・・首藤君・・・そこは」
黒板の前に立っていた奴が言いかけたが、俺がじろりと睨むとそのまま黙った。傍らで椅子に腰を下ろしている担任も俺を見ないようにして無言でいる。
こいつはヘタレで有名な数学担当で、気の毒にも今年度の学年主任を押し付けられている川端だ。
さすがの俺もクラス分けをどうこうできるわけではないが、席ぐらいは自由に決めさせてもらいたいもんだ。
俺が席につくと、隣にささっと素早くキキが腰を下ろし、「ヒロちゃん」と小学校からなじんだ甘ったれた呼び方をしてにやりと俺を見た。珍しく素面だった。
なるほど、キキだけは俺のクラスに入れたのか。シンナーを吸うと手におえないキキを何とか止められるのが俺だけだと知っている教師たちの苦肉の策らしい。
それから、何となくシンパの連中が俺の机周りを囲み、床を引き摺るスカートの女が一人それに加わった。
教室のその一角は、目に見えない近寄るべからずの札が貼られた。
黒板の前に立っていた男女がこのクラスの委員に選出されたらしい。生意気にも俺を止めようとしたのは、学年の成績トップクラスの牧とかいうやつだ。
女は――武田綾香だった。