1986春-9
店に似合わない涼しい音でちりんと鳴るウィンドチャイムのぶら下がったドアを開けると、「いらっしゃ――ちっ!」 舌打ちして出迎えるマスターの玄さんがいる。
玄さんの見事な坊主頭は、本人は剃っているだけだというが、明らかにほとんどハゲだという噂だ。
喫茶店のマスターには全く見えない50位の大男で、俺たちは陰で『ジャバのタコ』と呼んでいたが、昔ヤクザだったという本人の前では決して口にしない。
玄さんが顎でしゃくって指した窓側の席に、ダブルとバタが俺を待っていた。
にこにこして手を振るダブルは、仲間が服を買いに行くときは必ずついて行ってアドバイスをするのが何より嬉しいらしい。
隣で相変わらずむすっとしているバタだが、中央駅まで出る俺を心配してついて来ているのは丸わかりだった。
「おらよ、何飲むんだ。ちゃんと店に金を落としてけ」
客のテーブルに水の入ったグラスを置くマスターの小指の先がない店なんて、どこを探してもありえないだろう。
俺は二人と同じアイスコーヒーを頼んだが、すぐに運ばれてきたのはアイスコーヒーのグラスとケーキが三皿。
チーズとチョコレートとイチゴのショートケーキを黙って分担して食べる。残したところで金は払わされんだから。
玄さんは俺が一番の金蔓(かねづる)だと一目で見抜いているんだろう。
「原チャリ、預かっといてくれよ」
【ジャバウォック】の駐車場から車や原チャリを盗み出す無謀な奴はいない。ヤクザより怖い報復が待っているという噂が広まっている。
「中央駅まで出るのか。町中、春休みの学生がうろついてんだろなぁ~ 帰って来れなかったら、売っ払っといてやるよ」
三人分の金を払う俺に、にたりと愛想よく玄さんは請け合ってくれた。
店を出ると、入り口のすぐ外でハガとトラが待っていた。
一個下の二人は律儀に店の中に入ってこない。俺たちも足を踏み入れさせないことをけじめとしていた。
「なんだ、トラ。親がOK出してくれたのか」
もう一人アドバイス相手が増えたと思ったのか、ダブルが嬉しそうに言ったがトラは力なく首を振った。
「標準以外だめだって・・・」
「でも、ボタンとか買いたいからついて行きたいって言うんで、一緒にお願いします」
未だに俺たちの前では萎縮しているトラに代わって、ハガの方が頭を下げる。
こいつは二年のトップで、強いだけでなく仲間の面倒見もいい。いずれ俺たちの代の次の千種中の頭になるだろうと思う。
学生服の表から見えない裏ボタンとか、ベルトとか変えていくのが変形へのセオリーだから、まあトラも第一歩を踏み出すことになるのだろう。
五人でぶらぶらと商店街を通って駅に向かって歩き出した。
歩いても五分の距離だが、周囲に目配りは忘れない。コンビニの店先で俺たちに気づいて慌てて店内に引き返していく他校の中学生もいる。
この春でどこの中学も代替わりしてまだお互い頭が誰かもよくわかっていなかったが、俺たちは前の三年がヘタレだったおかげで二年から暴れていたから、それなりに顔が知られていた。
とくに俺は親父の看板がものを言っていたのは明らかだ。
【駅】を通学で使う近在の高校は二つあったが、一つは進学校で大人しいガリ勉が多かったため無問題で、むしろ中学生の不良(ワル)の標的にされていた、
もう一つは県内外から通ってくる不良(ワル)がほとんどの底辺校だったが、そいつらはこんなちんけな駅など素通りして中央駅の繁華街を目指していたから、よほどのことが無ければ絡まれなかった。
高校生にとっては【駅】は通過点にしかならない。地元を出て散っていく高校生には、単なる学校名しか残らないからだ。
だが、当時の俺たちにとって自分の中学校は背負う看板だった。校区は地盤であり、侵されてはならない縄張りだった。そういう意味で、何よりヤクザ稼業が一番近い世界だったかもしれない。
駅前広場の手前、銀行と薬局のビルの隙間から飛び出してきた奴が、ハガにぶち当たった。
「――てめぇ!」
血相を変えて伸ばしたハガの手を振りきって、相手は必死に逃げていく。他中の奴だ。割れた額から血が噴き出していた。
みんな一斉にそいつの飛び出してきたビルの隙間を覗きこんだ。
激しく争う気配と怒鳴り声。
――どうする? と、仲間と目を見交わした時、隙間の向こうにちらっと茶色の髪が見えた。
その瞬間に俺はやっと体の通る幅の隙間に飛び込んでいた。