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2001 プロローグ

※この物語はフィクションであり、 登場する人物・団体等は全て架空のものです。

未成年の飲酒・喫煙等の場面があるのでR15指定としてあります。


「――ヒロさん」



※ ※ ※



2001年(平成13年)3月


さんざん焼肉を喰って店の前でみんなと別れた。


「ごちそうさまでした~」

「もうひと月くらい肉の顔見なくてもいいくらい喰ったぜ~」

アルコールの入った社員たちは口々に賑やかな礼を言いながら散っていく。


車を運転して帰る俺は、ノンアルコールビールを飲んだだけだから、妙に重たい胃を抑えながら駐車場まで歩いた。


店の裏のろくな整地もされていない空地の隅で、白いベンツの車体が照明灯のちらつく明かりを受けて浮き上がって見える。

オートキーに応えて車のロックが開く音を確認し、車体に寄り掛かってマルボロを抜きだし口に咥えた。

さっきから煙草が吸いたくてじりじりしていたのだ。

ジッポのライターで火を点け深々と吸い込んで、思い切りよく煙を吐き出す。


二、三度それを繰り返した時、

「――ヒロさん」と、車の傍らで声がした。


砂利を踏む足音を聞かなかったから、最初から車の陰にいたのだろう。

黒い影となって、ふらりと男が目の前に姿を現した。


「――火、貸してくれよ」


それだけで、相手が誰かわかった。



※ ※ ※



火のついていない煙草を咥えて、カイが俺に顔を近づけてくる。

少し傾けた顔がやっと照明の側に向いて、削げた頬と伏せた眼差しを浮かび上がらせた。

伸びすぎて額にかかった髪がまるで見知らぬ男のようだ。

それでも、俺が最初に思ったことは、カイの少し屈み込むような姿勢で俺より背が高くなっているのに気づいた驚きだった。


それを知らなかったくらい長い間、俺たちは隣に並ばなかったのだ。


カイの煙草の先が俺の煙草の火に触れる。

反射的に強く吸い込んで燃え立たせるようにして、カイの煙草に容易に火が移るように助ける。

カイが何度か軽く息を吸い込むと、煙草の先が赤々と瞬き、ゆっくりと吐き出す煙が俺の顔を包み込むように広がった。

昔と変わらないショートホープの甘い蜂蜜に似た匂い。


「さんきゅ」

見知らぬ大人の男の顔で、昔と変わらない少年の笑いを浮かべて礼を言う。

いつもカイが俺に借りるのは、煙草の火だけだった。



「金――貸してくれないか、ヒロさん」

ショートホープを唇の端に咥えたまま、少し顔を明かりの中から背けるようにして、カイがそう言った。

「ちょっと遠くへ行くんで――金が要るんだ」


三月の末、まだ肌寒い夜更けに、コートも着ずに薄いジャケットと派手な柄のシャツ。片手をポケットに突っこんだまま、カイは痩せて寒々とした雰囲気を漂わせていた。



「いくら要るんだ」

俺はもう財布を取り出していた。

「・・・50万・・・くらいかな」

焼き肉店の支払いをした後の財布の中の現金は20万しか残っていなかった。

この時間では銀行も明日の朝まで使えない。


俺がそう言うと、

「ん・・・それでいいよ。今夜のうちに発たなくちゃならないから」

冷たい指で金を受け取って、カイはもう踵を返しかけていた。

礼の言葉もなく、いつ返すとも言わない。そんなことより、カイが俺に金を借りたいと言った衝撃がまだ俺を揺さぶっていた。


昔――カイが借りるのは俺の煙草の火だけだった。

俺は、俺の持つものなら何でも貸してやりたいと思っていたのに。

あの頃の俺が貸してやれたのは、煙草の火だけだった。



「――待てよ、カイ」

思わず離れていく腕を掴んで、その後で言葉を探す。

「金、もっと要るんだろ。そうだ、事務所に行けばある。あそこなら腐るほどあるんだ」

カイがためらいを見せる前に、助手席のドアを開ける。

強引に車内に押し込む俺に、カイはほとんど抵抗を見せなかった。


運転席に座り、車をスタートさせた俺の隣でシートベルトを締めながらカイがくすりと笑った。

「すげえベンツだな」

スターターボタンを押すと素晴らしく滑らかに走りだすベンツに、カイの上げた声には感嘆だけがあり、俺は素直に自分の車を自慢した。

「いいだろ、ディーラーものだからマックスは240だけどな。もうリミッターカットまでやる年齢じゃないし」

「昔だったら、マッポ(警察)もぶっちぎりだな」 乾いた笑い声は楽し気だった。「あのぼろベンツを覚えてるか、ヒロさん」

俺たちが最初に手に入れた四輪。


「ケーニッヒ仕様のあれだろ」

「ああ、あれは解体屋(ぼっこや)の松爺に騙された。走って100mでばらけた」

「タイヤが転がってったな~」

二人で声を上げて笑いながら、それが居心地のいい車内にどんなに虚しく響いているか、お互いに口にはしなかった。


事務所までは車でわずか10分の距離だったが、その手前の交差点で止まった時、カイの声がわずかに緊張した。

「少し回っていきたいところがあるんだけど・・・いいか」

「おう、どこでもいいぜ」

昔の俺のように気軽に聞こえただろうか。


「――俺たちが・・・行ってた中学の辺り・・・」

「よし、久々二人で走るか」


信号機が青に変わった瞬間にアクセルを強く踏みこむ。急激な加速にもベンツは微塵の揺るぎもなくついてくる。

カイが窓を開け、温まっていた車内に冷たい風が奔流のように流れ込んできた。

風を切って疾走する感覚を忘れていた。あれはもうずいぶん遠い昔のことのような気がする。


「遠くって・・・どこへ行くんだ」

風の音に負けないように叫びながら聞いた。

「さあ、強いて言えば・・・シャングリ=ラかな」

目の端で捉えていたカイの横顔は前を向いたきり、答えた後も微かに唇を動かしていた。


「・・・いつか、行きたいシャングリ=ラ・ら・ら~」

冷たい風の中で切れ切れに聞こえてきた、メロディにもならないフレーズを聞いた瞬間に、俺は15年前に引き戻されていた。



※ ※ ※



カイに初めて出会った、中学校の卒業式の午後。

俺は中二の終わりで、いよいよ最上級生になるという気負いに興奮しまくっていた――生意気で愚かなガキだった。



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