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そこはかとなく、ラブコメ

二十三話  そこはかとなく、ラブコメ



 結局、バルーンフェスタで新曲を歌うという提案は満場一致で通ってしまった。

誰もが、無茶だと考えていたと思う。しかし、それを打ち消してしまうくらいに、セカンドシングルのデモはすごかったのだ。


ファーストシングルの『一〇〇%☆キラキラ』は全体的に甘めの曲だったが、今回の『美味しい太陽!』は夏を感じさせる、元気でさわやかな曲に仕上がっていた。

最初は無理だなんだと反対していた僕も、これを聴いたらなにも言えなくなってしまった。


 しかしここにきて新曲をぶち込むということは、今までの努力を水泡に帰してしまう可能性を孕む危険極まりない行為だ。せっかく練習したファーストシングルまでぐだぐだになってしまったら目も当てられない。


僕の心は、もわもわとした不安の黒雲で埋め尽くされていた。

学校で郷戸に恨めしそうな視線を送ってみたりもしたが、完全に無視されるし。

なんだかなあ…もう…。



***


 この日はグッズ作成担当の美空さんが用事で来られなかった。

そのためビラ配りを榎本岩島コンビにお任せして、僕が代わりに公民館でラミカ作成とシール貼りをしていた。


洋室の壁にかかった時計がコチコチ時間を刻んでいく音が妙にくっきりと聞こえてくる。細いロゴシールが絡まないように気を付けながら、僕は作業を進めていった。


一時間くらい貼ったところで、僕は椅子から立ち上がり大きく伸びをした。背中をそらして丸まった背骨を伸ばしていると、ふいにドアが開いた。


「こんにちは」

「あ……こんにちは…」


 入ってきたのは春花さんだった。

「となり、座っていいかなぁ?」と言いながら、僕の横にやってきて腰を下ろした。


「物販もやってくれてるんだねぇ。さすがプロデューサーさんだぁ」


 いや…ふつうのプロデューサーは、物販のペンにシール貼ったりしませんて…。

そんな返しもできなくて僕は「ふへえへ」と気持ち悪く笑って作業を続けた。

病院の一件以来、なんとなく春花さんとは話しづらかった。


「私も手伝うよ。今日はダンスも歌も先生の都合がつかなくてお休みなんだぁ」

「あぇっ!?そ、そうなんすか……それはそれは…へへ…」


 わりと親しくなった相手でも、しばらく会話していないとうまく話せなくなる。コレ、人見知りあるあるね…。


「これ貼るの意外と難しいよねぇ。細いからすぐぐしゃってなっちゃう…。私が不器用なだけかなぁ?」

「うぇ!?いい、いや…んなことないと…思います、けど…」

「そっかぁ。ありがと、橋本くんっ。じゃあ、頑張って貼っちゃおうかな」


 春花さんはそう言うと、シールを手に取った。動揺は相変わらずおさまらなかったが、僕もシール貼り作業を再開する。

 室内にはしばらくの間、シールを貼るカサカサという乾いた音だけが響いていた。

十分くらい貼っていただろうか。ふいに春花さんが口を開いた。


「あのね、来週おばあちゃん退院するんだ」


 そう言ってシールを貼る手を止め、僕の方に向き直った。


「あ…それはおめでとうございます。もう大丈夫なんですか?」

「うん。だけど、畑はしばらく休むって。これから桃とネクタリンの出荷が最盛期に入るから、事務の仕事がお休みの日は私も畑に出る予定だよ」

「そう…なんですね。あ、の…フルキンの活動は…」


 春花さんは慌てて手を横に振った。


「フルーツ王国の活動は大丈夫だよ!今まで通り…というか今まで以上にがんばるよ!新曲も歌いましょうって最初に賛成したのも私だしっ!だから心配しないでね!」

「いや…じゃなくて…。無理、しないでくださいって言おうと思ったんですけど…。春花さん、一人でしょい込みすぎてる気がします」


 僕がぼそぼそ言うと、春花さんの顔がくしゃっと歪んだ。え?なんだ!?なんか地雷踏んだのか!?


「橋本くん」

「うえあ!?は、はいいっ!すみません!すみません!すみません!僕、無神経で!考えなしに変なこと言っちゃってごめんなさい!!!」

「あはは。なんで謝るの?」


 春花さんは泣き笑いのような表情を浮かべている。

白くて細いチョークみたいな指でロゴシールをつまみあげながら、彼女は言った。


「がんばるよ。私、頑張るってきめたから…。たしかに練習も、うちのことも大変だけど…頑張る。私にできることって…がんばることだけだと思うから」


『がんばる』という言葉が春花さんから溢れ出した。

それは前向きな気力に満ちた言葉…というより、切羽詰まったぎりぎりの危うさを孕んでいる言葉のように感じられた。


「橋本くん…」


 春花さんがまた僕の名前を呼んだ。

目が合った春花さんの瞳は薄く水分を孕んで揺らいでいた。


「私…頑張るから…。がんばる…がんばる、けど…ごめん。ちょっとだけ…いま、辛い…かも」


 泉が湧きだすように、春花さんの目から涙があふれた。

 僕は自然に彼女の手を取っていた。


「辛いときは…寄っかかっちゃっていいんじゃないですか?僕は頼りないですけど…フルキンにはいっぱいサポーターがいるじゃないですか!富士子さんも絢ちゃんもいます。だから、春花さん一人で抱え込むことないですよ」

「はし…もとくん……ぅ…うあ…ひぐっ…」

「でええ!?あの、春花さん!落ち着いて…」


 本格的に泣き始めてしまった春花さんにテンパりまくる僕。

これじゃ、僕が泣かせたみたいじゃないか!


「春花さん!泣かないでくださいよ!ほら、深呼吸してっ!落ち着きましょう!」

「すー…はー………う、うわあああああん!!わああああん!!」

「うわわわわ……!」


本降りになってしまったああ!涙のゲリラ豪雨!!

 その時。最悪のタイミングでドアが開かれた。現れたのは薔薇柄シャツのチャラ男…。


「はろー。用事がはやく済んだから手伝いにきたよ☆………橋本君?春花ちゃん?なにしてんの?」

「み……そらさん……。あの、これは…ですね…」

「うーん。痴話げんかは仕方ないけど、女の子を泣かせるのは感心しないね。男は大海のように広くて深くあるべきだよっ♪レディの気持ちを受け止めてあげなきゃネ☆」

「ち、痴話げん!?痴話げんか!?」

「あれ~?ちがうの?じゃあ、そういうプレイ?」

「ああああああ!!ちが違い、違いますうううう!!」


 美空さんの誤解を解くのにそれから三十分はかかってしまった…。

その後、泣き止んだ春花さんは憑き物が落ちたみたいにすっきりした顔をしていた。

なんだったんだ…。ま、春花さんが元気になってくれたからそれで良しとするか。うん。



***


  バルーンフェスタまでの残された期間。

それは篠井どんぴしゃのときを凌ぐほどの忙しさだった。

台風が通過していくときのような激しさと、追い立てられる緊張感のなかで僕らは必死にやるべきことをこなしていた。


 新曲『美味しい太陽!』の歌と振付は、二人の先生からしても「厳しい!」という言葉をいただいてしまった。

しかしメンバーたちの熱意に突き動かされ、練習メニューは新曲を加えた新しいものに変更された。


 物販のほうはいよいよ仕上がってきた。

榎本さんが提案してくれた、ロゴとオリキャラ『もなっぷる』が印刷された手ぬぐいが届いた。ペンももう少しで全部仕上がりそうだ。無配のラミカと生写真も用意ができた。



 あとは…当日までに、メンバーのステージングをどこまでのレベルに持っていけるか


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